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第8話「考え」
ふと視線を感じて義人は後ろを振り向いた。
「、、、?」
レジュメの提出は難なく済んで3限が終わり、4限の教室へ向かう為に1人で広場を歩いていたときだ。
何か寒気のようなものまで感じて、一瞬ブルッと体を震わせた。
「なんだ?」
「佐藤〜」
「あ、遠藤」
あまり2人きりになる事のない2人ではあるが、水曜日の4限に同じ授業が被っているのはお互いしかおらず、何となくいつも教室に向かう途中で合流している。
あえて連絡は取らない。
「どした?蚊にでも刺された?」
うなじをザラザラと撫でている義人を面白そうに眺めながら隣に並んだ遠藤。
義人はしばらくキョロキョロとしてから登ろうとしていた階段に足を掛けた。
「何か、、んー、何でもない」
「あ?なに?」
「いや何か、、視線を感じた」
「サスペンスドラマかよ」
「あはは、ホントだ。考え過ぎだな」
苦笑いしながら階段を登り始める。
登ったすぐそこにある5号館の購買と区切られた1階のフロアに足を踏み入れ、正面にある大階段へと歩いていく。
肌寒いと言う訳でもないが肩掛けにして着ている義人のロングコートがどこかの窓から入ってきた風にヒラリと揺れた。
「そのコート似合うなー」
「え?あー、ありがとう」
義人にとって遠藤は苦手という訳でもない。
何を考えているのかが読めない、何を話したらいいのかが分からない相手だった。
「佐藤はさー、そう言う、何だろう」
「ん?」
「ふわってするやつが似合う」
対して遠藤は高い身長を利用して真っ黒なハイウエストのスキニーパンツを履き、トップスは薄いカフェラテのような色をした薄手のニットを着ている。
暑がりらしい彼女は上着は持っておらず、タイトな印象を受ける服で固め、控えめなゴールドのピアスを付けていた。
考えてみればスカートを履いているところは見た事がない。
「ふわってするやつなあ」
3階まで上ると廊下を右に曲がり、日の当たらない廊下に入る。
カツ、コツ、と2人の靴音が響いた。
「儚いのが似合う」
意外な言葉にキョトンとしつつ、やはり何となく藤崎と遠藤が気が合う理由が頷けて、義人は小さく笑った。
藤崎も良くこうして突拍子のない不思議な話をするのだ。
「俺消えそうなの?」
「あはははは!そう言うんじゃない!何だろう、綺麗め?変に可愛いのとかじゃなくてエレガントなのが似合うよ」
けれど2人の間のどこか落ち着かない他人行儀な距離感は、お互いにそれを感じつつも改善されることはなかった。
義人が踏み込もうとしても、遠藤が確実に距離を保つのだ。
「あー、何となく分かった。はは、ありがとう」
嬉しそうに笑うと2人して教室に入る。
義人は先に遠藤を部屋に入れると、最後にもう一度だけ廊下の左右の端へ視線を投げた。
どちらにも、こちらを見ている人間や知り合いはいない。
休み時間で廊下に出て話している連中は決して数が多い訳ではないが、1人としてキョロキョロと周りを見回す義人に注目している人物は見当たらなかった。
先程感じた視線はやはり思い過ごしか、と引き戸を閉める。
「へーえ、何だ。ちゃんと見ると結構美人じゃん」
廊下の壁に寄り掛かって生徒の中に紛れていたその男は、よっこらせ、と壁から背中を離した。
コツ、と高いヒールが鳴る。
「困るなあ〜、でも一回でいいから藤崎くんとセックスしたいんだよなあ」
小声でそう言うと、ヒールの先で軽く壁を蹴った。音はそれ程響かず、ただ彼の素行の悪さが見て取れるようだ。
教授室への用事を済ませた帰り道にまたまた見つけた義人を眺め、ひらりと舞うコートがやたらと似合う彼を少しだけ付け回していた男は不機嫌そうに眉間をシワを寄せる。
「邪魔なんだよなあ、あの子」
下唇を軽く噛み、靴音を響かせながらその場から遠ざかって行った。
「あ!!そうかあ〜、そうだったよねー」
額に手を当てて天井を仰ぎ、再び視線を苦笑いしている義人に戻した入山は盛大にため息をついた。
「藤崎告白タイムがあったんだった」
「ぷッ!何、それ待ってんの?アンタら」
2年生なると9号館2階にクラスの教室が移された。
斉藤以外にあと1人、留年で再び1年生をやっているクラスメイト以外は顔ぶれは変わらず、峰岸や西野、片岡もいる。
義人達は相変わらず窓側の席の1番後ろの隅に集まり、それぞれ椅子に座って向かい合い、5限から帰ってこない藤崎と西野を待っていた。
「だってお寿司食べに行くし。あ。アンタ今日もダメなの?」
「ごめんバイト〜、人減ったから補充大変でね」
遠藤を誘ってはみたが、やはりバイトだと断られる。
とっくに帰っていい時間なのだが、藤崎と夕飯を食べに行く義人と入山は教室に残ってその帰りを待っていた。
遠藤はバイトまでの空いた時間を今日はここにいるメンバーと過ごすようだ。
「佐藤ももう少し藤崎の事考えてあげたら?」
「え?」
「あの男にとっては告白とかされたくもないいらんイベントでしょ」
入山が義人のついている机に頬杖を置き、顎をガクガクさせながら喋る。
「しかも付き合ってるアンタが後押しするとはね〜」
遠藤はまた面白そうに笑いながら、窓の外に視線を投げていた。
外は暗くなり始めている。
相変わらず強い風はときたま窓を叩き、バシッと大きな音をたててこちらを驚かせては流れて行った。
「後押しはしてない」
「でも断っても良かったじゃん、あの場で」
「んー、、まあそうなんだけど」
義人は少し考え込むようにしながら黒板を眺め、何も書かれていない暗く深い緑色を睨んだ。
「いやなんだよね」
「何が?」
「アイツが周りから見て、強く当たる、威圧感の凄い嫌な人になるの」
自分の事を考えてくれているのも、安心させようとしてくれているのも分かる。
けれど自分の為、自分の為と言って藤崎が周りに冷たく当たる性格の悪い男と噂されたりするのは義人にとって好ましい状況ではなかった。
「まあほら、友達の事は大切にするって知ってるけど、そうじゃなくてさあ」
ただでさえ目立つ藤崎が、悪目立ちするのは嫌だった。
いらぬ噂や事実確認の取れていない尾びれ背びれのついた話しが1人歩きして、藤崎の評判が落ちるのは見たくない。
「そんなんさあ、」
遠藤は珍しくニヤけず、義人の目をまっすぐに見つめた。
彼女の目はぴかぴかと光が良く入る茶色で、瞳は小さく目尻がクッと上がったキリッとした顔立ちをしている。ほとんど化粧はしていないようだった。
「アンタにちゃんと見てもらえれば、アンタ達に関係ない人間にどう見られようと、正直どうでも良くない?」
「え」
「よく見られる必要なんてないじゃん。くだらな」
「っ、」
ドク、と嫌な音がした。
遠藤が言っている事は確かに正しい。
何も被害が出ないなら、義人は周りの人間を気にする必要なんて毛頭ないのだ。
しかし、伏せている別の意味がある。
(だって、ゲイってバレたら、、)
義人が気にしている最大の原因はそれだった。
「、、そうだね」
下手くそな笑顔を見せる。
あまりにも告白を断れば、藤崎とやたらと仲の良い義人の存在に誰かが気が付いたり、それがバレた後に、人の悪い奴の「悪い噂」を広めてやろうと言う輩も現れかねない。
顔が良く、目立つ存在で人目を惹く藤崎のそんな噂が広がれば藤崎自身の人生を狂わせかねないと義人は考えていた。
彼の両親や親戚、今まで関わってきた友人達はどう思うのだろう。
もし自分も別れた後に、自分と付き合っていた事が広まった藤崎は誰かに愛してもらえるのだろうか。
結婚は、ダメになってしまったりはしないだろうか。
「ッ、、、」
出来るなら、永遠に隣にいたい。
誰にも譲りたくはない。
けれど終わりが来たときに、藤崎に「恥」にされるのは嫌だ。
その恥を加速させるような噂が出来上がってしまうのは嫌だ。
(守りたい、から)
義人は藤崎を絶対に苦しめたくないのだ。
この先の人生で、一緒にいてもいなくても。
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