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第9話「威嚇」
藤崎と西野が教室に帰って来ると、遠藤はバイトに向かう為にリュックを背負って教室から出て行った。
「告白タイム頑張れ〜」
「うっざ」
笑いながら藤崎の肩を叩いて入れ替わりでいなくなると、言われた側の藤崎は教室に足を踏み入れながら物凄く不機嫌な顔で盛大にため息をついた。
西野は「私もバイトー!」と言いながら遠藤の後を追い、すぐさま教室を出て行ってしまった。
「おかえり」
「帰ろ」
「ダメだろ」
藤崎は珍しく駄々をこね、事情を知っている入山しかその場にいないのをいい事に椅子に座っている義人の後ろからのし掛かり、義人の肩に両肘を置いた。
「帰りたい」
言いながら、義人の首元に顔を埋める。
「、、ごめんな」
「佐藤くんが悪い訳じゃない」
「でも俺が聞いてあげなよって言ったし」
先程の遠藤の言葉を受け、義人は藤崎に対して罪悪感が浮かんでいた。
それでも少しでも何かを誤魔化せるなら5分くらいは我慢してもらいたい、とも思う。
なるべく普通の男として藤崎が見られるように。
(普通ってなんだろ)
また少し自信がなくなった義人は、肩に乗る藤崎の頭に手を伸ばしミルクティベージュの髪を柔く撫でた。
「苦労するなあ、アンタ達って」
そんな2人の様子を見て、入山も悩ましいため息をついた。
藤崎の考えも、義人の考えもそれなりに理解している立場にある彼女は、2人に何かを強制する事もやたらと追い詰めるような事もしない。
先程義人に少しは告白される藤崎の身にもなれとは言ったが、あれは義人がそこまで色々な事を考えて手を回さなくてもいいのではないか、と言いたかったのだ。
「、、ごめん」
本当に小さく小さく、もう一度藤崎にそう呟く。
藤崎はゆっくり義人の肩から顔を上げると、こちらを振り向きもしない義人の後ろ姿を見ながら何か言おうと口を開いた。
ガラッ
「あ、」
その瞬間に、前触れもなく引き戸が開かれる。
「あ、すみませんお邪魔します、藤崎さん!」
ミルクティベージュの肩より長い髪が揺れる。
全体的にふわっとした服を着た線の細い印象を受ける女の子は開け放った引き戸のそばに立ってこちらを見ている。
その後ろには、やはり同じように昼間の学食で見た女の子3人組が教室を覗き込みながらクスクスコソコソと何かを話しているのが見えた。
(あーゆーのが、1番嫌いだ)
義人はそちらを向いたまま、自分の肩を後ろから掴んでいる藤崎の手に力が込められたのを感じた。
「、、佐藤くん、入山ちゃん、外で待ってて。すぐ行くから、教室の前にいて」
「え、いや、なんかそれは悪いような、、」
「いて」
藤崎は機嫌の悪い声で入山に言うと、義人の肩を離して出入り口の方へ向き直る。
「用がある子だけ入って、あとの子は外にいてくれる?」
「あ、はい!ミキ、頑張ってきな」
「う、うんっ!」
ミキ、と呼ばれた女の子は緊張した足取りで「失礼します!」と言って教室に入ってくる。
残りの女の子達は入山と義人を見て確認すると、また何かコソコソと話し始めた。
「じゃあ外にいるか。佐藤、行こ」
「、、ん」
「藤崎、寿司が逃げたら嫌だから急いでよ」
「ん」
義人は黒いリュックを持ち上げ、後ろを振り返り5センチ高い視線を見上げる。
何度見ても、何度考えても、義人と藤崎は男同士だった。
「待ってる」
「義人は悪くないからね」
「ッ、」
一瞬聞こえた小さな自分の名前。
愛しげに落とされる細められた視線に、胸の苦しさが増した。
(俺のものなのに)
でもだからこそ、余計なものから藤崎を守りたい。
本当は誰にも告白なんてさせたくない。この教室に2人きりにしたくない。
けれど義人は下唇を噛んで、薄く眉間にシワを寄せる。
「、、うん」
どうして上手くいってるのに、この世界に2人きりになりたいなんて思うのだろう。
周りの色んな可能性が煩わしく、余計な事まで疑い深く考えて行動する自分が酷く臆病で惨めに感じられた。
目の前の恋人は何も恐れていないのに、どうしてもその考えに合わせる事ができない。
義人は藤崎に再び背を向けると、待っていた入山と一緒に教室を出る。
ガララ、と最後に戸を閉めたのは入山だった。
「向こう行こ」
入山に腕を引かれる。
教室の引き戸の目の前の廊下にはミキと言う名前のあの女の子について来た3人組がいて、やはりジロジロとこちらを見ている。
階段の方へ行くと教室から離れてしまう為、義人達は彼女達と離れて教室の範囲分だけ伸ばされた廊下の端に寄った。
相変わらず角部屋だったクラスの教室は前回同様教室の中から直接外に出られる階段に繋がっている為、教室前方にしか廊下に出られる入口がない。
反対の廊下の端はどん詰まりと言う事だ。
「アンタこう言うの慣れてなかった?」
「慣れてる」
「んー、今回は辛そうだね」
「、、何か色々考えちゃってて」
「そっか」
溜め込まずに話してよ、と入山は続ける。
壁に寄りかかるのも面倒で、2人は廊下に座り込んでしまっていた。
そんなに長くはかからないと言う事は分かっているが、それでも5限分の教室移動で脚が疲れている。
「あのー、」
入山が持っていたお菓子を鞄から出して2人してそれを口に咥えたところで、知らぬ間に近づいて来ていた3人組の1人に話し掛けられる。
見上げた先の彼女は、明るい茶髪に金のインナーカラーが入った派手な髪色のおっとりした顔をした子だった。
「佐藤さん、ですよね?」
まさか義人にまで告白タイムが訪れたか?と入山はギョッとする。
2人して口に入れていたお菓子をもぐもぐと噛み始め、義人は口元を隠しながら答える。
「そうですけど」
明らかに新1年生だが、義人はしっかりと敬語で受け答えし始め、入山はドキドキしながらその様子を伺っている。
「藤崎さんと付き合ってるって噂、本当ですか?」
「、、は?」
義人が怯む事なくそう応えられたのは、こう言った事態がいつか起きるかもしれないと何度も考えていたからだった。
隣にいる入山の方が驚いた顔をしている。
向かい合った目の前にいる3人組の内、後ろ2人は「聞いちゃったし!」とか言いながらお互いを叩き合っていた。
「2個上の先輩に聞いたらそんな風に見えるとか言ってて、」
「付き合ってませんよ」
義人の声は彼にしては低く冷静で、感情がまったくこもっていない。
「あ、そうなんですね!良かったあ」
チクリチクリと胸が痛むのも無視して、義人は何も考えず、別段敵意もなく彼女を見上げ続けている。
(良かったって、どう言う意味だろ)
隣からそんな彼の顔を見て心苦しさを感じながら、入山もまた同じように3人組を見上げた。
「向こう行ってくれない?」
「え?」
普通の反応として、失礼過ぎる彼女達に純粋に腹が立ってもいた。
「ちょっとコソコソ話ししたくて!ごめんね、聞かれたくないから向こう行って中にいる子待っててね」
「ッ、、あ、はい」
わざと子供をあやすような言い方をすると、3人組は入山を睨みつけながら退散して行く。
「佐藤」
義人は無表情なまま、うん?とそちらを向かずに携帯電話を取り出して眺める。
藤崎と2人で始めたゲームアプリからイベントが始まったと言う通知が届いていた。
「、、俺、酷いよなあ」
3人組は十分向こうに離れている。
義人はそれでも入山に聞こえるだけの小さな声で言うと、微かに聞こえてくる藤崎とミキの声に耳をすませた。
「、、、ね、、、ら」
話しているのは藤崎の方で、どうやら何か断っているようだった。
「佐藤、アンタ本当に色々考え過ぎだよ。パンクするからやめな」
「、、うん」
どうして自分は「俺の彼氏だから」と堂々と言えないのだろう。
言う訳にはいかないのだが、それは一体いつまでだろう。それとも、永遠にだろうか。
ぼんやり教室の壁を見て、小さくため息をついた。
その瞬間だった。
カツン、と高い靴音が廊下の踊り場に響き、それは段々とこちらに近づいてくる。
「?」
義人と入山はほぼ同時に音のする方を向いた。
「あれー?入山、そんなところで何してんのー?」
義人と同じくらいの背丈に、マットブラックのピンヒールを履いた男は手前にいた新入生を完全にスルーして廊下を進み、こちらに歩いてくる。
義人はその男にどこか見覚えがあり、逆に入山は見覚えしかなかった。
「あれ?菅原さん!」
「何で廊下に座ってんの?」
細い脚で仁王立ちすると、入山の横に立って彼らを見下ろす。
ヒールを履いた男が突然目の前に現れ、流石に義人も動揺していた。
「あー、友達待ってて」
「中で待てば?尻冷えない?」
「いやあのー、中は今作業してて」
「作業?」
入山があたふたと焦って対応をしている中、義人は男の顔をじっと見つめてこの人物が誰だったかを思い出す為、頭の引き出しを開けまくっている。
確実に知っている筈だった。
「誰待ってんの?」
「藤崎、達、です」
「んー、この教室での作業申請とか出てないんだけど。藤崎くんかー!会いたかったし聞いてみよ!」
「え!?」
「っ、?」
一瞬義人に視線が絡む。
金縁の丸眼鏡が良く似合う輪郭と、釣り上がった細い目の、どこか日本人らしい整った顔立ちをした男はまたヒールの音を響かせて教室前方の出入り口まで向かう。
「菅原さんダメですよ!今は、!」
止めようと立ち上がった入山の手が、男の背中に伸びる。けれど虚しく空を切り、引き戸はまたガララ、と無情にも開け放たれてしまった。
そこでやっと義人は思い出した。
確かこの人物は、造建の助手の内の1人だったと。
「うわ」
突然開け放たれたドアと、そこに立っている男を見て藤崎はまた不機嫌そうな声を出した。
「藤崎くん、みーっけ!」
ビシ、と指をさしてくる相手は、しつこく電話をかけてきていた張本人だった。
面倒事が増えたな、と察すると、藤崎はもう一度ミキを見下ろす。
「連絡先教えたくないし名前も知らなかったのに急に告白されても困るから、今後こう言う事しない方がいいよ。相手を知って、自分を知ってもらってからにしな。あと俺、本当は付き合ってる人いるから」
「えっ、?」
何度断ってもしつこく「お友達から、」と迫って来ていたミキに藤崎は冷たく言い放った。
今はこの女の子よりも、ズカズカと空気を読まずに教室に入り自分目掛けて歩いて来ている男の方が彼にとっては厄介だったのだ。
「はいサヨナラ。とっくに5分経ってるから帰るわ」
「待って下さい、藤崎さん!」
「あはははっ!また女の子に迫られてんの?」
「菅原さん」
とうとう藤崎がリュックを持ち上げるよりも先に菅原と呼ばれた男が隣に着いてしまった。
それと同時にギュッと腕を抱き込まれ、ない胸を押し付けられている。
「んー?どこの学科の子?造建じゃないね」
ミキを見下ろし品定めするような視線を送る。
一見して極端な塩顔の菅原は普通に格好いい部類に入るのだが、足元のヒールが彼の異様な雰囲気を物語っていた。
廊下で立ち上がった義人は背負ったままのリュックの位置を直し、何事かとドアの前で固まっている入山の隣に並ぶ。
中を覗くと、固まっているミキと、義人に気が付いた藤崎、そして藤崎の腕に絡まる菅原の姿が一気に視界に入り込んできた。
(、、、何だ?あれ)
嫉妬も何も感情はない。
ただ単に得体の知れないものを目の当たりにして、義人は困惑していた。
「藤崎くんのレベルには合わないねー」
「!?」
さらりとそんな事が聞こえた。
(なんだ、あの人、、今なんて言った?)
それは誰かが決めるものなのだろうか。
言われた女の子の顔は見えないが、微かに肩を震わせている。
あの男は藤崎とどう言う関係なのだろうか。
背中にゾワリとした悪寒が走り、義人は眉間に皺を寄せる。
「藤崎くんにはさ、」
そして、何故だろうか。
金縁の丸眼鏡の奥の細い瞳は、義人を見ていた。
「すっごく可愛くて、性格良くて、スタイルもいい、」
やめてくれ、と何処かで声がする。
「女の子」
右手の小指が痙攣したようにピク、と動いた。
「が似合うよね。そう想わない?」
「ッ!!」
その言葉は重たく辛く、義人の肺に溜まった空気を濁らせていく。
「菅原さん!!」
藤崎の、怒ったような叫び声。
明らかにそれは、義人の心にドシンと当たる言葉で、見開いた目に映るその男の、怖いくらいに綺麗な笑顔は確かにこちらに向けられていた。
「そう想うよねー?佐藤義人くん」
「、、ぁ、」
義人には、藤崎がすごく遠くに感じられた。
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