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第10話「警戒」

目が回りそうだ。 「俺、造建の助手の菅原有紀(すがわらゆうき)。よろしくね〜、佐藤くん!」 にっこりと楽しそうに彼はそう言った。 義人はその顔が、入学式の後に開かれた造建の教授、助手紹介の場で見た顔だと言う事は思い出せていた。 多分、3年生か4年生のゼミを担当している。 藤崎が追い返した事により、ミキの連れの3人組は泣きながら教室から出てきた彼女にたかり、「大丈夫?」「もう帰ろう」と声を掛けながら義人達の教室を後にしていた。 「あ、俺のことは有紀さんでいいから!ね?ね!?」 「どうも、ゆ、有紀さん、、?」 「そうそうそう!宜しく〜!」 差し出された手を握ると、ぶんぶんと上下に勢いよく振られる。 ヒールを履いている事もあり、藤崎よりも少し高い身長。その位置から見下ろされるのは何だか新鮮だった。 (入り口で頭ぶつけたりしそう) 先程まで余計な事も含めて考え込み過ぎていた義人の頭にはそんな事はもうなく、今は菅原の珍しい服装と特徴的な細い目に興味を示している。 無論、何か異様な空気が放たれている事も、彼が来てからその隣に並ばされている藤崎の不機嫌加減が段違いに跳ね上がったのも見逃してはいない。 (苦手そうだもんな) 基本的に義人以外には男相手であろうと滅多にボディタッチなどしない男に、菅原はやたらと肩を触ったりを繰り返している。 先程までは藤崎の右腕を完全に抱え込んでいた。 滝野相手でさえ頭を叩くくらいしかせず、まとわりついてくるとそれ以上の暴力で撃退しているような男が藤崎だ。 多分あの距離感とか、にたにた喋る感じ、全て気に入らないのだろう。 「何か御用ですか」 「ん?」 言いながら藤崎は目の前で繋がれている義人と菅原の手を眺め、義人の右手の肘の辺りを掴んで、握り合っていた手を強引に解かせた。 「別にー?御用って程でもないかな!」 のんびりとしたふざけた口調は、周りから浮いて立つような菅原の見た目には何となく溶ける。 嫌がってはいるものの、藤崎と菅原の会話は親しげにも聞こえた。 (この人とは前から知り合いなのかな) 「君が顔見せにきてくれないから、逆に見にきただけ」 まるで義人と藤崎の視線を邪魔するように、菅原は藤崎の正面に立ち、ズイ、と顔を近づけている。 何故かズキン、と義人の胸が痛んだ。 (何でこんなに仲良いんだろ) 菅原有紀と言う知り合いがいる事自体を義人は知らなかった。 造建の助手である以上、話題に出してもいい筈だ。 なのに藤崎は義人にそんな事は一言も教えておらず、初対面の菅原の行動にただただ義人は驚くばかりで、2人の間に立つ事もできない。 蚊帳の外にいる。 そんな気持ちだ。 「たまには研究室来てよ」 「用がないのになんで研究室に行かないといけないんですか」 「研究室に用がなくても、俺に会いに、ね?」 「ッ!?」 するり。 藤崎の頬に、右手を這わせる男。 その光景に驚いて、義人は目を見開き、唾を飲んだ。 「ほんっと綺麗な顔〜!」 「やめてくださいって」 藤崎は藤崎で、払い除けるわけでもなく緩くその手を退ける。 怪訝そうな表情には容赦がないが、行動自体は菅原を傷つけないようにしていた。 「怖いなあ。その顔」 「、、、」 「まぁいいや。今日は見にきただけだよー」 「?」 カツ、とヒールの音。 振り向いたその男のにんまりと歪む口元は、本当に楽しそうに見えた。 「これ、ね」 さも楽しげに、ご機嫌に、一言ただそう言って、今度は義人から視線を外す。 悪寒は先程から止まないで、背中を駆け回って義人の肌を掻きむしっていた。 「それだけだからもう行くよ」 「え?」 藤崎の険しい顔が見えた。 「入山もまたな。早く帰れよ〜」 ぶんぶんと手を振りながら、ドアの方へ歩いていく。 ガララと扉が開き、次にまた同じような音がして引き戸は閉められた。 靴音が遠ざかったのまでが聞こえると、何故か義人の身体からフッと力が抜ける。 知らぬ間に、随分緊張していたらしい。 「菅原さんこっわ」 入山の声だった。 「佐藤、大丈夫?」 「ん、何かすごい睨まれた気がする」 「あーあ、あの人も藤崎狙いかな?」 「えっ?」 義人がそう聞くと、怪訝そうな顔をしながら入山が2人の隣に立ち棒立ちしている藤崎の肩を1発殴る。 向こうは無反応に義人を見つめていた。 「佐藤知らないの?あの人の噂」 「知らない」 一瞬、藤崎をチラリと見たが、彼は何か考えるような目で義人を見つめたまま固まっている。 「藤崎?」 「、、あの人は目に付いた人間とすぐセックスするだけ」 「え?」 入山の方を向けば、呆れたような顔で義人を見ていた。 「男も女も関係なく、あの人に食われた人は多いんだよ。半ば無理やりとか、男相手でも容赦なく立場利用したり、女の子相手だと妊娠させたり」 「え、何それ、、」 「だから。ヤり捨てされた人がたくさんいんの」 「はあッ!?」 思わずこぼれた声が、3人きりの教室に響く。 「あの中性的な顔立ちは一級品ですからね。どっちも騙されて、ヤッて、はいバイバイ。と」 「うわ、、」 確かに見た目と雰囲気の軽さから言ってそう言う事をしていても納得してしまいそうだ。 やたらと細い身体や可愛らしい声からしても、男も女も騙せるのかも知れない。 「だから気をつけなよ。もう藤崎は目え付けられてるみたいだし、さっきはやたらと佐藤のことも見てたし」 「それは、、まあ、なんか嫌な感じはしたけど」 黙り込んでいる藤崎を見ると、絡まった視線の先で一瞬小さく息をついた。 「夕飯食べに行こ。そんで、そこでゆっくり話さない?」 「うん」 「藤崎もいいね?」 「、、、」 「黙りこくってないでよ。何で目え付けられてんのか、佐藤に話してないのはおかしいんじゃないの?」 義人が言いたかった事を、わざと入山は口に出してくれた。 どうせそう言う話を藤崎が義人にしていないと言うのは分かり切っており、先程から何か言いたそうに藤崎を見るのに諦めて口をつぐんでいる義人の事も見えていたからだ。 「、、藤崎?」 「不安にさせてごめん。ちゃんと話すよ」 「うん」 すり、と藤崎の長い指が義人の頬に触れて、そこをゆっくりと撫でて行く。 風が強い帰り道を歩き、その間は何事もなかったかのように他愛ない会話を繰り返した。

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