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第12話「歯形」
「じゃあ、気をつけて帰りまーす!」
「寝過ごすなよ〜」
「はーい!」
「んー、また明日!」
「ばいばーい!」
入山に手を振り、改札の向こうに彼女の後ろ姿が見えなくなると義人は藤崎を振り返り、「帰るか」と言おうとしてそれをやめた。
「えっ」
思わず声が漏れたのは、藤崎がもの凄く不機嫌な顔でそこに立っていたからだ。
「藤崎、、?」
まさか今まで入山がいたからその不機嫌オーラを隠していたと言うのだろうか。
ぶすくれて眉間に深いシワを寄せながら義人を見下ろす男は困惑し切っている恋人に何も言わずにただ黙っていて返事もしない。
「おーい?」
「帰る」
「えっ?あ、おい!」
ぐるりと踵を返して、そのまま義人を待たずに藤崎が歩き出す。
何がそんなに彼を腹立たせているのか検討もつかなかった。
「藤崎、何怒ってんだよ!」
隣に並んで怒鳴りつけるが、藤崎は前を向いたまま歩き続けていて、一向に義人の話しを聞こうとも、答えようとも、こちらを見さえもしない。
(え、なに?何だ??)
こちらもこちらで黙り込んで歩く。
思い当たる節がない、と義人は頭を悩ませて藤崎の隣でうんうんと唸るがそれすらも藤崎は反応しなかった。
ギュル
自分達のマンションに着くと鍵穴に合う鍵を差し込んで、金属の擦れる音を立てた。
藤崎はいつもの癖で義人を気遣ってドアを開けたまま先に入るように促してくれる。
無論言葉は交わさず視線だけで「入って」と示されるので義人としては嬉しくも複雑だった。
「ありがと」
いつも通りに一言かけて先に玄関に入り靴を脱いでリビングに向かう。
後から続いて入ってきた藤崎の不機嫌オーラは相変わらずで、流石の義人もため息をついた。
(言ってくれなきゃ分かんねーよ)
さしていつも察してほしいと言う方ではない2人からすると、今回の藤崎の状態はイレギュラーだ。
「、、、久遠」
お互いリュックを部屋の隅に置いて手を洗い、落ち着いたところで洗面所から出てきた藤崎をリビングのテーブルの手前に立っている義人が呼び止めると、彼は無言のまま義人に向き直る。
「どーしたんだよ。らしくねえよ」
不安げに見上げれば、無表情のまま。それでも、先程とは少し違う視線が返ってくる。
「、、義人」
「なに。どーした?」
義人に近付き、近距離でピタリと彼を見下ろしながら突っ立つ藤崎。
5センチ上を見上げ、落ちてくる視線を受け止めて義人は少し違和感を感じた。
(ん?あれ、この顔、、)
「よし、」
「ダメだ」
名前を呼ぼうとした藤崎は、ゆっくりと義人の腰に腕を回して彼を緩く抱きしめる。
ダメ、と言った瞬間に見下ろす視線は切なげに歪められ、藤崎は軽く下唇を噛んで口籠った。
「セックスに逃げるな」
「、、、」
「ダメなもんはダメ」
「義人。セックスしよう」といつものように言おうとした藤崎の唇を止め、義人は彼を睨み上げていた。
「なんで」
「ん、」
ぎゅう、と拗ねるようにキツく義人を抱きしめながら首元に顔を埋め、藤崎は義人の匂いを肺いっぱいに吸い込む。
鼻腔を満たす自分と同じ柔軟剤とシャンプーの匂い。それと一緒に、義人独特の甘い香りがした。
「何で怒ってんのか教えてくれてない」
「んー、、」
「何考えてんの分かんないお前としても、絶対気持ちよくない。お前もそうだと思う」
「義人、、」
「だから、」
「義人」
「何だよッ、っうわ、!」
首筋に、生温い感覚が這った。
「ッ!」
舐められたのだと分かって体を離そうとするが、想像以上にキツく縛られた腕に身動きが取れない。
「藤崎!!」
「佐藤くん」
「あっ、お、おい!」
首筋をキツく吸われて、キスマークをつけられていると気がついた。
藤崎はそのまま義人の服の裾から左手をゆらりと侵入させ、へそから腹筋を指先で撫でつつ胸に手を這わせる。
無論右手は義人の腰をガッチリとホールドしたままだ。
「おい!藤崎ッ!!」
ヤられてたまるか!、と義人は肌を這い回る藤崎の左手の肘を掴み、何とか動きを止める。
「佐藤くん」
「あっ、!」
諦めたように下ろされた腕に一瞬油断した。
上半身を触るのを諦めただけで、次に左手が沿われたのは義人の脚の間。
敏感なそこを、少し強めの力で藤崎の手のひらが撫でつけてきた。
「佐藤くん」
「やめろって言ってんだよ!!」
焦って体を離そうとしたが、藤崎の手は義人のベルトを掴んでいた。
目の前にゆっくりしゃがみ込み、ガチャガチャとベルトが解かれて行く。
「えっ?えッ!?何してんの、」
義人の前に跪いた藤崎は素早くジッパーを引き下げて義人の履いていたズボンの前を大きく開き、ふざけてお揃いで買った色違いのボクサーパンツをまじまじと見つめてくる。
「おい!!」
ちなみに偶然だが藤崎も今日は色違いのそのパンツを履いていた。
「んッ!」
右手は解かれたベルトとズボンを掴み、左手は骨盤をなぞってからパンツの生地を指に引っ掛け、少しずつ下に下げ出している。
義人を見上げるでもなく、藤崎は義人の引き締まった下っ腹を弄るように舐めた。
「ふ、じさき?」
「佐藤くん、佐藤くん」
呼びながら、一瞬切なそうに細められた目が上を見上げる。
茶色の目は、何処か曇った様だ。
「待てって、なあ」
義人は流される訳にはいかなかった。
藤崎は普段から自分が義人に余計で煩わしいなと感じる感情を抱くとそれを消す為に度々こうして無理矢理セックスで解決しようとするところがある。
心で会話をするよりも体を繋げた方が手っ取り早く安心すると覚えてしまっているのは、長い間遊び歩いた結果なのだろう。
義人はあまりそれが好きではない。
こうなる度に「話し合う」と半ば無理矢理に藤崎を正座させて思っていた事や感じた事を話させていた。
「藤崎、ダメだ」
「、、義人」
膝立ちした藤崎の頭は義人の腹の辺りに来て、行為を止めさせれば、縋り付くように抱きつかれた。
「どうしたんだよ、本当に」
ちゅ、ちゅと腹筋にキスをされる。
頭を撫でている義人に視線で「ヤりたい」と声に出さずに訴えてくるが、彼は一向にそれに応じなかった。
逃げるな、と初めて義人に自分の感情と向き合えと言ったのは藤崎なのだ。
最近甘やかして逃げがちになっている藤崎を止めるとしたらそれは義人の役目になる。
「ちゃんと言え。なに怒ってんの。俺が何かしたなら言って。悪いけど、分からない」
それなりの理由がなければここまで拗ねないのも理解できている。
それを口に出さずに、セックスしたから義人と俺の愛は本物だ!怒るの終わり!とされるのは義人の性分が許さなかった。
「藤崎」
「いやだ。名前呼んで」
やっとまともに喋った気がした。
「ちゃんと答えないなら、呼ばない」
「いやだ。義人、」
ぎゅむ、と抱き締められるがそんな事で気を許したりもしない。
少し睨みながら藤崎を見つめ、ポンポンと頭を撫でる。
「藤崎」
「、、なんで呼んだの」
「え?」
見上げてくる顔は眉間にシワが寄り、グッと歯を噛み込んでいる。
「なんで」
「呼んだ?誰を?」
「菅原さんのこと。なんで、有紀さんて呼んだの」
「は、、?」
キョトンとした顔が可愛いな、と藤崎は頭の片隅で考えてしまった。
「あ、下の名前でってこと?言われたからって、だけだけど」
「何であんな好き勝手言わせたの。何で否定してくれないの」
ゆっくりと立ち上がった藤崎がまた腰を抱き寄せてきて、義人はすっぽりとその腕の中に収まって思考回路を巡らせる。
あの教室で言われた事。
あの、心臓に直接刺さったような鋭くて残酷な言葉を段々と思い出してきていた。
「あんな事言われたのに、普通に笑うなよ」
頬に触れる大きな手。
いつも壊れないようにとでも言いたげに、優しく優しく触れてくれる。
「ダメだろ」
「、、、」
見下ろしてくる目は、優しくはなかった。
怒っている。
「俺にふさわしいのは可愛くてスタイルが良い女の子?ふざけんな」
「、、、」
「俺にふさわしいのは義人だけ」
(ああ、それに、怒ってくれていたんだ)
自分の出した「藤崎にふさわしいのは義人」という答えに、通りすがりの、自分達の事を良く知りもしない人間に口出しされたのが、藤崎は気に入らなかったのだ。
(あー、そっか。それでいいんだなあ)
菅原にその言葉を言われたとき、確かに義人は「とうとう言われた」と思った。
自分が藤崎に見合わない事も、男同士と言う無理な組み合わせも、1番痛い程理解しているのは彼自身だ。
けれど藤崎はそれを絶対に認めない。
藤崎は自分が選んだ義人が1番自分に相応しいと分かっているからだ。
そしてその逆も。
それを自分や義人以外の人間が否定する事、ましてや2人の関係性をまったく知らない人間がいたぶる為に吐き捨てたような言葉を絶対に許さない。
「俺が選んだのは、義人なんだよ」
「、、、」
反抗していいのだ、と思った。
そんな事ないと思っていいんだ、と。
世間から見た自分達の異形さに押し潰されそうなときがあっても、まだ公に男同士で付き合っていると言えなくても、親に報告できなくても。
何度弱気になっても。
(あの人の言葉に、わざわざ揺さぶられなくてもいいんだ)
何だかホッとしていた。
そして次の瞬間、義人の首筋に鈍い痛みが走った。
「いッ!!?」
食い込む歯。
噛み付かれた肌がジンジンと痛む。
容赦のない力の入れように、一瞬視界はグラリと来た。
「い、たッ、、痛い痛い痛い!!コラ!!」
痛みが広がっていく。
歯のあたる場所に熱が集まり段々と怠くなっていくのを感じ、藤崎の肩をバシバシと叩いた。
「痛てーー!!!やめろマジで!!」
「、、ん。」
ググ、と更に力が込められる。
「いッッたい!!!」
「ん」
やっとの事で唇が離れると、納得した顔の藤崎が微笑みながらこちらを見下ろしてくる。
義人は目に涙を溜めながら噛まれた首筋を両手で覆った。
「ば、バカか!?お前、何、!」
「これくらい」
「あ?」
「こうしたくなるくらいに、俺は佐藤くんの虜っていう事で」
「、、お前さ、」
「?」
まだ痛む噛み跡から手を離し、藤崎の頬へ手を伸ばす。
と見せかけて、義人は藤崎の胸ぐらを掴んでグンと勢いよく自分の方へ引き寄せた。
「もう少し頭使えここどの服きても見えるだろうがッッ!!」
ガツン、と藤崎の額に義人の石頭がぶつかる。
「いッッッてぇえーーーー!!!」
「俺だって悔しかったけどあの場で言い返せる訳ないだろ考えろよ!!当たり前だろ!!お前に似合うのが可愛くて綺麗な女の子なのも分かってるよ!!!でも俺なの!!!」
「えっ?」
首筋も頭もまだまだ痛む。
「今、お前と、付き合ってんのは、誰が何と言おうと、似合ってなかろうと、俺ッッ!!!」
初めて聞いたそんな言葉に、藤崎は痛む頭を抱えながら泣いてるみたいに微笑んだ。
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