16 / 61
第16話「悩み」
「佐藤くん?」
「え?」
帰り道。
隣を歩く藤崎が、心配そうにこちらを覗き込んでくる。
近づいていた顔にビクッと驚いて、義人はドキドキしながら藤崎に笑い掛けた。
「ごめん、なんか言った?」
ボーッとしていたのだ。
ボーッとしながらずっと、菅原の事を考えていた。
「言ってないけど、何か考え事?」
いつもの自転車屋の前を通る。
今年に入ると同時にここは店仕舞いをしてしまっていた。
「長い間ご愛顧いただき、誠にありがとうございました。」から始まる短い文章は、透明なビニール袋に入れられ、インクが滲みながらも閉じられたシャッターにずっと貼られている。
「いや、何かぼーっとして」
ニッと笑ってそう言うと、藤崎はそれでもまだ不安げだった。
「はあ」
「どしたよ、人の顔見るなりため息とは」
「え?いや、違う違う、ごめん」
翌日も、憂鬱。
悩みの種は菅原である事に変わりはなく、義人は1日ぶりに散々抱かれて痛む腰が怠く椅子に座って背中を丸めながらまた短く息を吐いた。
「入山」
隣の席に座っている入山は、ぐるりとこちらを向いてくる。
少しつったキリッとした目と視線が交わって。そのまま口を開いた。
「俺って、男としてどうなんだ?」
「何だいきなり」
さして驚いていないくせに、眉を浮かせて入山はそう言った。
金曜日1、2限の選択授業は入山、片岡、片岡の彼氏と同じガラス工芸を選択している。
自分の好きな形を粘土で作り、その型を取り、ガラスを流し入れてヤスリで磨いて出来上がる。
今はその好きな形を作っている最中だった。
「んー、、」
藤崎と義人は金曜は大学の正門まで一緒に来るとそれぞれ違う教室へ行く。
藤崎は彫刻の授業を取っており、テキトーに選んだらしい遠藤と被っている。
あと峯岸もいると聞いた。
そう言うところはお互いやりたいものを選ぶようにしていて、わざと同じ授業を取ったりしない。義人と藤崎の面白い距離感だった。
「藤崎と喧嘩?この間からおかしいよ、アンタら」
ごねごねと粘度を丸くしながら入山は義人の手元を眺める。
何故だか500円玉くらいの大きさの三角形がたくさん並んでいた。
「喧嘩じゃないんだけど、」
義人はほぼ手癖でそれを作っている。
思い返すとボーッとしていたせいもあって昨日の夜は大変だった。
「佐藤くん佐藤くん佐藤くん」と夕飯を食べ終わったあたりからずっと追い回され、義人は洗い物やら洗濯やらで逃げ回り、風呂も鍵を掛けて入ろうとしたところを本気でドアを蹴破られそうになったので仕方なく受け入れ、コンドームを持ち込み浴室で1回、脱衣所で1回、ベッドで2回の計4回セックスをするはめになった。
藤崎は義人の不安を感じ取っている。
その原因が菅原である事も分かっている。
義人も全部藤崎にバレている事は察していた。
けれど分かってるとはいえ、彼には最悪な妄想を止める事ができない。
「悩みなら聞くよ。そうそう、誰か他の人にできるようなあれじゃないでしょ」
片岡と片岡の彼氏は、教室内の真ん中辺りの席に座っている。
恐ろしいのは片岡は義人に告白した事を彼氏である野上昌也(のがみまさや)に言っているらしく、この教室で顔を合わせる度に無言で義人は野上に睨まれるのだ。
「ん、ごめん」
「慣れてるし、そう言う相談は」
ニヤッと笑う入山。
それもそうだ。入山はずっとこんな相談を和久井から聞いていたのだから。
ある意味適任である彼女の言葉に甘える事にした義人は、肩の力を抜いて作っていた三角形を崩し、ひとまとめにして粘土をこねた。
「菅原さんが藤崎のこと本当に好きだったらどうしよう」
「は?」
「だって何か、無理矢理迫ってきたり酷いことされるって言ってたけど、菅原さんにそこまでされてる訳でもないみたいだし」
「いや〜?これからかもよ?」
「いや、でも、もしさ。このままずっと好き好きアピールしてくるだけで、本当に藤崎のこと好きなだけで、純粋に恋人にしたいだけってなったら」
「、、なったら?」
それ以上は口からこぼすのが恐ろしかった。
「、、んー、まあいいんだけどさ、佐藤」
ガラス工房の第2製作室。
その一番後ろの席は他の席と違って2人がけで、前方でワイワイ話しながら作業しているグループと少し距離がある。
2人は集中して作業をしながらも話していた。
「ん?」
「アンタは本当に少し自信持ちな?」
呆れたような声だった。
「ギャグだわ、ギャグ」
「こっちは真剣に悩んでいるんですがね、楓さん」
「あらごめんなさい、義人さん」
あはは、と笑ってから、入山が前方の壁の上に掛かっている古い時計を見る。
10分程進んでいる時計からすると、あと20分は授業が残っていた。
「アンタのことだから、どうせ藤崎が菅原さんに惚れちゃうんじゃないかとか思ってんでしょうけど」
横から見る入山は肩が細く、すらっとした体型をしている。
けれど腕の力は強く、粘土の形をどんどん変えていっていた。
「お、お見通しですか」
義人は自分に呆れた。
見透かされる程分かりやすく鬱になる、何度も同じ事で悩み苦しむ自分に。
「藤崎は本当にアンタ以外見えてないよ、今は」
「今は、だから、」
「だーかーらあ!」
「え?」
珍しく苛立った声にそちらを向くと、眉間に皺を寄せ、口がひん曲がった入山と目が合った。
「ぐちぐちうるっさいねん!だったら別れれば?そんな自信なかったら一緒にいても意味ないでしょ!」
「ッ、、んん」
「いちいち落ち込まない!何でアンタはすぐそーなるの?」
「え」
何でと言われても彼には分からなかった。
ただどうしても自信が湧かない。
自己肯定感が極端に低く、ネガティブな内面が直った事はなかった。
この性格のせいで友人と呼べる数少ない人間達とも何度か衝突をしているが、大体の理由は「ネガティブ過ぎ」と相手にうざがられて起こっていた。
現に入山も少しイラついている。
彼女自信が気持ち悪い程に藤崎から義人への愛を見せつけられているのに、義人はそれでも不安になるのだ。無理はない。
(何で分からないかなあ)
はあ、とため息をついた。
苛立っても仕方ない。何であっても縁を切るほど義人を嫌いにはなれない。
このネガティブささえなければ完璧と言う程、入山は義人の存在が好きだった。
近さゆえに苛立つときもあるが、比べるとしたら藤崎みたいに冷め切ってスれた男よりもピュアで反応が面白く、話しが合う男友達は義人以外にいない。
身の危険を感じず距離感を保って、こちらを絶対に見下さず馬鹿にしない。
義人は人と丁寧に関われる男だと、入山は友人として高く買っているのだ。
無論、和久井をカウントしない場合の話である。
「あ、そうだ。藤崎と付き合う前、アンタどういう子がタイプだった?」
「え?なに」
「いいから」
「?」
義人はいつの間にか自分の喉や顎を触り、小さめに鼻の付け根から喉仏までの形を粘土で作り始めていた。
「あー、、よく言ってたのは髪の短い子」
「そうそう。だから、大丈夫」
「はあ?」
意味が分からないが、入山は何度聞いても大丈夫だと言い張る。
頭の中は疑問でいっぱいになった。
それと藤崎と何か関係があるのだろうか。
「まあまあ。大丈夫だから早く作りなよ〜。あ、そうだ結局明日何食べるの?」
「あれ?何で知ってんの?」
「昨日食堂で2人が話してんの聞いた」
その後、未だに決まっていない土曜日の夕飯について入山オススメの店を紹介されながら、教室の前方で騒ぐ女子達の声に耳を傾けていた。
ともだちにシェアしよう!