25 / 61

第25話「特別」

春の風は少し強かった。 菅原は連日連夜色んな女の子を呼び出していたが、それでも彼の心が埋まる事はなく、苦しさから逃げたいと考えて思い付いたのが義人に直接会うと言う選択だった。 「何でわざわざ男と付き合ってるの?」 12センチのヒールの先をコンクリートのくぼみに当てて、グリグリとそこを踏む。 溜まっていた砂が掘られてポロポロとくぼみの外に溢れた。 「、、何ででしょうね」 盗み見るように義人の横顔を見た。 何処か遠くを見つめる義人の瞳は黒く澄んでいてとても美しく、それを見ているだけで菅原は胸が詰まって苦しくなった。 (分かってるくせに) 確かにそこにあるのに、語ろうとするとその実が何かはよく分からない。 愛とはそう言うものだ。 菅原はそれでも「何ででしょうね」と言う義人の言葉が皮肉に思えてしまった。 そんな曖昧な答えでも明確にそこにあるのが分かるからだ。 義人の中に。彼の体の奥深く、誰も見る事ができず触れる事もできないそこに、確かに暖かくて柔らかいそれは存在している。 (俺にだってそれくらい分かる) あの目は自分を見ていない。 先程からずっと藤崎を見つめている。 菅原にも分かる程有り有りとそれは義人の心を満たしていて、そしてそれは藤崎の身体へと繋がっているのだ。 (俺だって、) グッと、歯を食いしばった。 「っ、菅原さん?」 気がついたときには義人の左手を力加減せず握っていた。 義人は突然の事に困惑しながら、力一杯に握られている手の痛みで眉間に皺を寄せる。 「ッ、、」 自分は何をしているのだろうか。 目の前の男はあの藤崎久遠のものだ。自分のものではない。 今まさに藤崎への愛を見せつけられたではないか。こんな事をしても無駄だ。それは分かっている。 「それっ、て」 分かっているのにあの日から義人の顔が菅原の頭から離れる事がなかった。 目の前で藤崎を守り、自分に牙を剥いた彼の事が気になって仕方ない。言いようのないもやもやとした感情が胸の中を蠢いて気持ちが悪かった。 「女の子じゃダメだったの?」 別にそれが聞きたかった訳じゃない。 菅原は、自分ではダメだなのかと聞きたかった。 「もっと早く、可愛くて綺麗で、藤崎くんみたいに君を見つめてくれる子がいたらその子でも良かった?」 もし自分が彼よりも先に義人を見つけていたら、少しは世界が変わったのだろうか。 こんな自分でも一生懸命になれば、義人は誠実に自分を見つめてくれただろうか。 そんな淡い期待が生まれていた。 「何人でもいいんじゃない?そう言うの、いっぱいいればいるだけいいじゃん。恋人も、そう言うの言い合う人も、セックスする人だって」 自分が入り込む隙間が欲しい。 藤崎よりも、菅原は今では義人を追っていた。藤崎を追っていたときのように体を追っているのではない。 彼の中の見えないものが、菅原は欲しかった。 「え?いやいやいやいや」 「だってその方が自信がつくよ。彼氏がいるなら彼女も作ったら?恋人なんて何人いてもいいし、セフレだってそれなりに深い関係なんだよ。ちゃんと埋め合える」 義人に言われた言葉を否定したかった。 菅原の胸に空いた穴は誰にだって埋められる。義人の欲しがっていたものだって、藤崎以外の誰にでもその気になれば埋められる筈だ。 「だから、」 だから俺と、と言いかけた。 「菅原さん」 義人の低い声にその言葉は掻き消される。 真っ直ぐこちらを見つめる目は、やはり藤崎に向けられるそれとは違っていた。 「俺、そんなにいらないです」 ドクン、と嫌な音がする。 義人は困ったように笑っていた。 熱くもないのにジワ、と手汗が噴き出て、菅原は「え?」と小さな声で呟いた。 「多分、藤崎だったから俺のこと見つけてくれたし、藤崎だったから好きになったんです」 その言葉に奥歯を噛み締める。 「すぐ別れると思うよ。藤崎くん、取っ替え引っ替えするだろ」 義人は寂しそうに笑って見せた。 菅原にそう言われたからではない。 そういう風に藤崎が、周りの目に映っている事が悲しかったからだ。 「そうだったとしても、俺はアイツだけでいいです」 義人の手を掴んでいた手から、徐々に力が抜けていく。 義人は美しかった。 透き通るような眼差しで菅原を見つめ、何処か安心させるように笑いかけてくるのだ。 「アイツがこの大学で過ごす時間を俺と一緒にいるって決めてくれたから」 ニコッと笑う義人を見て、菅原は理解した。 「今だけでもいいから死ぬ程幸せにしたくて、藤崎と真剣に付き合ってるんです」 入り込めない。 藤崎と義人の間にあるものが強すぎて、この男が自分のものにならないと、そこでやっと気がついた。 「、、、」 義人の手を離した菅原は、黙ったまま立ち上がる。 「菅原さん?」 彼を不思議そうに見上げた。 2人の間を風が流れていく。 太陽に照らされた植物の匂いが微かに鼻に香る。 今日は風が少し強いけれど、穏やかな日だった。 「君達のこと、言いふらしたりしないよ」 菅原は義人を見下ろしてそれだけ言うと、研究室目指して歩き出した。 (ああ、ダメだ) 触れていた手を放すのが辛かった。 義人の目にまったく自分が写っていないと分かってしまったのが悲しくて仕方がない。 「、、、」 藤崎久遠に向けるあの視線が菅原は欲しかったのだ。 (何なんだ、これ) 胸の内で巻き起こってしまった嵐はまだ止まない。 虚しさは急速に大きくなって、研究室に戻りながら携帯電話の一番上にある着信履歴に電話を掛ける。 《はーいー?》 今一番気に入っている女の子の声がした。 「今日会わない?」 もう誰でもいい。 誰にだってこの穴は埋められるのだから、藤崎でなくても、義人でなくてもいい。 「セックスしよ」 この虚しさを誤魔化す時間がないと、彼は今、死んでしまいそうだった。

ともだちにシェアしよう!