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第29話「悪寒」
「あれ?アンタ達ってもう1年経った?」
入山のその問いに、藤崎はハッとしてすぐに唇に人差し指を当てた。
「4月の終わりだからまだ。今めっちゃ考えてるから佐藤くんに言わないでね」
「え?あー、サプライズでも考えてるの?」
「そう。佐藤くん忘れてるっぽいから」
藤崎は学食での事件以来菅原を見ていない。義人にだけ接触して来たらしいが、それすら事後報告を受けただけで彼自身は菅原に会っていなかった。
義人は敵意がなかったと言っていたが、藤崎は未だにそれを鵜呑みには出来ない。
義人と違って彼は人間の汚さや愚かさを自分を含めて良く知っているからだ。
「何がいいかなあ」
火曜日1、2限の授業はクラスでの模型の授業。
それが終わって昼休みを挟み、3限目は藤崎と入山で絵画史の授業を一緒に取っている。
教授が20分程遅れると言う話が伝わって来てから教室内は気の抜けた空気で満たされ、周りのザワつきに合わせて2人も会話していた。
「例えば?」
「プレゼント。指輪」
「言うと思った〜分かる〜ペアリングとか欲しいよね〜」
実に大学生らしい発想にお互い笑いが浮かぶ。
「やー、でもさ。もちっと軽めにすれば?」
「え、何で」
「佐藤の事だからどうせ付けないし」
「あー、、あーーーー」
シャイで2人の関係がバレる事を1番気にしている義人に対して1年記念日のプレゼントにペアリングを送ろうと模索していた藤崎は、その盲点に天井を仰ぎながら顔面を両手で覆った。
「ですよね」
悲しみながらそれだけ言うと、今度は机に突っ伏して泣き真似をする。
入山はポン、と肩を叩き一緒に泣き真似をしてくれた。
「佐藤は難しい男だよ。お前は良くやってる」
「もっと言って」
「でも佐藤の方が偉いと思う。私はアンタとは絶対付き合いたくないよ」
「もっと。もっと佐藤くんのこと褒めて」
「自分貶されてていいの?」
藤崎は自分が貶されようが義人が褒められるならどうでも良かった。
ふざけ合いを終わらせ、2人はひとしきり笑ってから真剣に1年記念のプレゼントを考え始める。
入山はザラだが「恋人、1年記念、プレゼント」と携帯電話に打ち込んで検索し、藤崎も同じようにSNSで同年代がどんなものを送っているのかを調べ始めた。
「ペアリング多いなあ〜、あとブランドもののお揃い」
「例えば?」
「んー、、アクセサリーだとピアスとかブレスレット。あとリュックとか?Tシャツ、寝巻き」
入山の携帯電話の画面を向けられ、藤崎はそこに並んだ画像を見ながらうーん、と目を細める。
「んー、、家で使えるやつならギリギリお揃いでもいけるか」
「あんた人に見せびらかしたい派でしょ。お揃いのものとか」
「そうなんだけどそれやると佐藤くんが困るから迷ってんだよ」
藤崎は机の上に身体を倒し、腕を伸ばしてスッスッと画面をスクロールしている。
「指輪は意味深だから今はやめといた方がいいと思うけど、色違いのTシャツとかなら良くない?同じ日に着なければ」
「んー、1年記念って感じがあんましないんだよね」
「言われてみればそうだ」
2人して頭を抱えた。
義人がいつも身につける事ができ、かつお揃いであり、1年記念日に相応しいもの。
中々に難しい。
「女の子同士なら下着とかできるのにね」
くっくっ、と入山が笑う。
「色違いのパンツなら履いてるよ」
「えっ、そうなの?ウケる」
「こないだふざけて買った」
見る?と言って店の中で色違いのパンツを片手ずつに持って爆笑している義人の写真を入山に見せた。
藤崎は何かとこう言う写真を持っているな、と入山は彼の携帯の画面を見て笑う。
「あ、ねえ。こんなに写真あるならさ、お揃いのものじゃなくていいんじゃない?」
「え?」
「いやほら、ここは美大生らしく作ってみるとか」
「、、あー、なるほど。それ良い、採用」
藤崎は携帯の写真のフォルダをスクロールする。1年分の思い出が、そこにはパンパンに詰まっていた。
「そんで、2人でも良いかなと思ったんだけど、どうせならりいも一緒に帰る?と思って」
《えー!何それめっちゃいいじゃーん!》
久々に電話した双子の妹は、藤崎の提案を「ばっちこい」と了承した。
《え、飾り付けは私のセンスでいい?》
「全然いいけど、あんま気合い入れなくて良いよ。誕生日って訳じゃないし」
《大事な日だし良いじゃん。てか全員呼ばない?》
「は?」
9号館のクラスの教室でいつも通り窓側の1番後ろの席についていた。
4限の授業も義人とは被っておらず、早めに終わった藤崎は1人、そこで義人を待ちながら里音と通話をしている。
16時05分。
教室内には他の生徒も数人いるが、藤崎は基本的に決まったメンバー以外とはあまり話さない為、彼らは離れた席でギャーギャーと騒いでおり、小声で話す藤崎の声など聞いていない。
《滝野とミツと楓と敬子》
「ん?寺本は?」
藤崎と違って里音はまだ落ち着かず、男を取っ替え引っ替えしている。先日義人が連絡を取ったときには「彼氏できたー!」とその寺本と言う男の写真まで寄越してきたのだ。
《悠介はいいよー、くうと義人と違って親に紹介する程でもない〜まだ2ヶ月しか付き合ってないし》
「あ、そう。まあいいけど、あいつらかー」
あいつら、と言うよりは主に光緒の事が気掛かりだった。
最近はまた付き合いが悪くなり、連絡するたびに機嫌も良くない。
菅原の事を話そうと「会いたい」と携帯でメッセージを送っても、「今は無理」と返ってきたきり返信がないのだ。
「来るかなあ」
滝野は細々連絡を取っていたが、やはりあちらも最近になってメッセージに既読すら付かなくなったと言っていた。
光緒にたまに訪れる誰とも連絡を取りたくない期間がどうやら来てしまったようだ。
《私も電話したけど出てくれないんだよねー。いつものことだけど突然過ぎて疲れる》
「まあ昔からだし、あいつも大変だから」
《パパとのことでしょー?》
里音は電話の向こうで何処かのカフェにでもいるらしく、店員の声や周りの客の雑音が時々聞こえて来る。
「んー、、りい、菅原さん覚えてる?」
《ミツのパパの同僚の息子》
「うん息子ではねえな」
《あれ?》
「助手、アシスタントの方」
《あっあっ、思い出した!目と身体が細いイケメン!》
細マッチョ好きの里音としては見逃せない存在である菅原の姿は、割とすぐに彼女の頭に蘇った。
電話越しに指をパチンと鳴らすのが聞こえる。
「多分その人。ここの大学でも俺のいる学科で助手やってるんだ」
《ありゃ。初耳》
「初めて言ったからね」
里音は既に何か察知したようで、普段よりも少し低い声になっている。
藤崎はもう一度教室内を目でぐるりと見回し、自分の通話を誰も聞いていない事を確かめた。
どうやら人のいる方の席ではクラスに4人いる男子の内の1人、横川が、数人の女子相手にマジックを見せているようで、全員それに夢中になっている。
「ちょっと今、その人と厄介なことになってる」
重たいトーンで話すと、やはり里音は「うん」と真剣な声で返してくれた。
「最初は俺が言い寄られてたんだけど、佐藤くんがそれに対して菅原さんに怒ってくれて、その日から様子がおかしい」
《うん》
「こないだは佐藤くん1人のときにわざわざ会いに行ったみたいで、佐藤くんは普通に何でもない会話しただけって言ってたんだけど何か気になる」
《、、んー、》
唸る声は電話越しでも良く聞こえた。
藤崎は風が強い外の景色を眺めて里音の言葉を待つ。何故だか少し、胸騒ぎがして、話さなければ良かったような気がしてくる。
何か、悪いものを引き寄せてしまったような、ただの思い過ごしで終われば何でもない悪寒だった。
《ミツには言ったの?》
「言いたかったから会いたいって言ったんだけど逃げられてる。大城さんとの事聞かれたくないんだろうな」
やたらと暴走し、悩み事を全て抱え込む癖のある幼馴染みの顔を思い浮かべる。
彼からは数ヶ月前に、唐突にある相談を受けていた。それは、「父親に恋をするのは異常者か」と言う問いだった。
同棲前のそのときは里音と滝野と自分しか家におらず、義人は引っ越しの準備で実家に帰っている日だった。
思い悩んでいる彼に滝野が「恋するだけならいいだろ。誰も傷つけてないし」と1番に言い放った事を覚えている。
「俺も男が好きな異常者だよ」と笑って返した藤崎に、いつもは鉄仮面な光緒が少し悲しげに無表情を崩していた。
それから何があったかは分からないが、光緒はここ最近めっきり幼馴染みの会合に参加していないのだ。
《うーん。そっとしておいてあげたいけど、》
「でも言った方がいいよな」
《んー、あの人あんまりいい噂聞かないもん。西宮さんも相当裏で手回してるみたいだから》
グッと、心臓に何かが刺さったようだった。不安が増す。恋人の事でここまで狼狽えるのは藤崎には初めての事だった。
(生きた心地がしないってこう言うことかな)
脳裏に浮かぶ義人の顔に、1人でハラハラし始めていた。
滝野の言う通り、光緒か大城に早めに連絡しておけば良かったかもしれない。
拳を握り締め、藤崎は落ち着く為に短く息をついた。
《私からも連絡入れるから、どう言う事になってるのかグループメッセの方に送って。会えたら大城さんにも言っとくよ》
「ん。ありがとう」
里音と大城はたまにモデルとブランドのデザイナーとして仕事で会う事があるのだ。
《とりあえず義人のそばにいてね。どっち狙いかよく分かんないけど、汚いことする奴は世の中に五万といるの、知ってるでしょ》
その言葉を里音が言うと、何とも重たい響きになった。
双子は「顔が良い」のだ。昔からそれで良い事もあったが、苦労も多い。2人だけが共通認識として持っている危機感をお互いに今打ち鳴らしている。
汚い事も知ってしまっているからこそ分かる嫌な感覚は、悪寒としてビリビリと藤崎と里音を背後から襲っているのだ。
「そうする」
《ん。じゃあお店のことは任せて。滝野に連絡してあげてね〜、あと楓と敬子も》
「わかった。宜しく」
プツ、と電話を切る。
ふと見上げた壁掛けの時計は、16時40分過ぎを示していた。
「、、、ん?」
携帯電話の画面を触り、メッセージ連絡が出来るアプリを開くが、余計な女の子達と滝野からの連絡以外、何も来ていない。
「佐藤くん、遅過ぎるよな」
4限の授業終わりから30分強経過している。
律儀な義人ならこれだけ待ち合わせの時間を過ぎれば電話か何か一言メッセージを送ってくる筈だが、携帯電話は一向に何も受信しない。
「?」
嫌な予感がした。
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