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第30話「連絡」
「佐藤くん」
「うわっ、!」
驚かされるのは何度目だろうか。
20分程長引いた4限が終わり、3限で使ったテキストを9号館のロッカーに仕舞いに階段を上っていると、後ろから声が掛けられ、それと同時に肩に手が乗った。
「っと、危ない」
驚きのあまり足を滑らせそうになった義人の身体を、菅原が抱きとめた。
「あ、え?菅原さん?あ、すんません!」
体重をかけてしまっていた義人は慌てて身体を起こし、菅原に向かって頭を下げる。
一方で、菅原は抱き止めたときにふわりと香った義人のシャンプーの匂いが、どこかで嗅いだ事のある匂いだと考えていた。
「ん、いやごめん。俺が急に話しかけたからだね」
菅原はまた敵意のない状態で義人にクス、と笑ってみせる。
やたらと色っぽく見える彼に、義人は首を傾げた。
「いえ。何かご用ですか?」
義人は藤崎や滝野に言われた事を覚えていたが、目の前の菅原のぽやぽやとした雰囲気に当てられ、気前よくそう聞き返してしまった。
「、、うん。ちょっと手伝って欲しくて。ちょうど君が見えたから声掛けちゃった」
完全に警戒心を解いた訳ではないが、やはり初めて会ったときの菅原と今の菅原では纏う空気が全く違う。
それは毒気の抜かれたようであって、義人から見るとただ普通の助手だった。
「手伝い?」
「うん。あ、俺じゃなくて平野がね?撮影準備室にある機材、また1年生の部屋に持って行きたいんだって」
「撮影準備室、、」
今いる9号館の隣、8号館の地下の階にある部屋だ。
(、、何でここまで?)
8号館の地下から来たなら、9号館の1階にある研究室の方が近い。そのうえ、研究室と同じ階にはこの間行った1年生の教室がある。
わざわざ今いる階段に来なくても、研究室にいる後輩の助手か教務補助、又は1年生に頼めばいい筈だ。
「、、、1年生に頼んでもらえませんか?藤崎が教室で待ってるので」
何かしらの違和感を感じた義人は、菅原に笑い掛けながらそう言った。
悪いとは思ったが、下手な事をして藤崎を不安にするよりも菅原と距離を取ろうと考えたのだ。
「あ、藤崎くんもいるの?だったら藤崎くんも呼んでくる」
「え?」
義人の横を通り過ぎ、菅原が2階にある教室へ足を向ける。
予想外の動きにキョトンとした表情をしてしまった。
「ん?」
「あ、いや、、」
「あー、ごめんごめん。1年呼びに言ったんだけど女の子しかいなくてさあ。今年男子少ないから仕方ないんだろうけど」
菅原は困ったように笑った。
「重い物ばっかだから男の子探してるんだ。上の学年の男子ならいるかと思って。横川とかよく残ってるし。量多いからできたら何人かにお願いしたいんだよね」
「あ、そうだったんですか」
確かに横川はよく教室にいるな、と義人は思い出す。
何故かいつもお決まりの女子達に囲まれて、髪を結ばれたり化粧を施されたりしながら飄々と過ごしている。
義人からすると少し怖いが、話すと悪い奴ではないのは知っている。パリピ感が漂っている男だった。
「藤崎くんいたら手伝ってくれる?」
義人を安心させるように菅原は控えめに笑いかけてそう言った。
「アイツ来るなら、大丈夫ですけど」
「ほんと?ありがとう。悪いけど先行ってて貰っていい?色々藤崎くんに謝りたかったから、2人で話したかったしちょうどいいや」
「え?、、あ、はい」
言う事なんて予想もできていなかった発言に、義人は目をパチクリさせている。
「場所分かる?」
「はい」
「平野、多分先に何かやっちゃってると思うんだよね。あそこ危ない物も多いし、急ぎでお願い。藤崎くんに謝ったらすぐ行くから」
「、、はい」
藤崎に謝りたい、と言う言葉に義人は驚いたが安心した。
どうやら色々考え直したらしい菅原は「急かしてごめんね〜」と言いながら2階へ上がって消えて行く。
その後を追って階段を上がり、一度廊下からそれて階段の踊り場にあるロッカーにテキストを入れると、義人は2階の廊下に菅原の姿がない事を確認した。
本当に藤崎を呼びに行ったらしい。
(待ってちゃダメなのかな)
けれど先日持った重たい撮影機材のケースが頭をよぎる。確かに、ああいったものを女性1人で持つのは危ない。
義人は撮影準備室に何度か足を踏み入れた事があるが、撮影機材の他に照明や先代の造建の学生達が使ったり作ったりした訳のわからない物もたくさん置いてある。
(着いてから一回連絡入れればいいか)
義人はとりあえず平野の様子を見に行く事にした。
「あれ、佐藤くん」
「あ、峰岸」
再び階段に差し掛かっていた義人の視線の先に、峰岸が現れる。最近買ったと言っていたお気に入りの黒いベレー帽を被り、にこりと人の良い笑みを浮かべていた。
「どしたの?帰り?」
「ううん。平野さんの手伝いで撮影準備室に行くとこ」
「そうなんだ。人手いる?行こうか?」
「え、いいの?」
さすがは峰岸だった。
クラス内で菩薩系男子と呼ばれているだけあって慈悲深い。
義人よりも背が高く細身でひょろりとしているが、男子なのだから手伝って貰った方がいいだろう。
「撮影準備室行けばいいんだよね?」
「うん、ありがとな」
「いえいえー。荷物教室に置いてくるから先行ってて」
確かに峰岸の両手には買ったばかりのスケッチブックや模型に必要なスチレンボードが何枚か持たれている。
授業で使う分がなくなったのだろう。
「ん。あ、菅原さんと藤崎もいると思うから一緒に来て。菅原さんが人集めてるんだ」
「あ、分かった」
「平野さん心配だから先行く!」
「はーい、あとでね〜」
ヒラヒラと峰岸が手を振ると、義人も振り返して階段を駆け降りて行った。
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