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第31話「絶望」
ドアの取っ手を回すと、ガチャ、と簡単に扉が開いた。
「平野さーん?」
撮影準備室の中は電気がついていて明るかった。
室内は背の高い棚が並んでおり、そこに積載量オーバーだろう数々の機材や段ボールが乗せられている。
(奥かな)
床にも所狭しと物が積み上げられており、ひと1人通るのがやっとの通路幅のところもある。
ここから荷物を出すならまずこの通路を広げないとダメだ。
「平野さーん?」
義人は通路にある段ボールを拾い上げ、手前の小さな山の上に乗せる。
少しずつ進み、道を広くしながら携帯電話を尻ポケットから引き出した。
「、、、あ」
藤崎と連絡を取ろうとして画面に触れたが、画面の左上に表示されているマークが目に入る。
「ここ、圏外か」
撮影準備室は地下1階。
撮影室の他に学生達が頻繁に使う部屋のない8号館地下1階には、当然電波は入って来ていなかった。
「一回出よ」
物音ひとつしない準備室の棚の奥がどこかから覗けないかとキョロキョロしたが、物が邪魔で一番奥までは見えない。そして本当に無音だ。
自分が来る前に何かが崩れたりして平野が事故になったりしていなければ、もしかしたら人を呼びに外に出たのかもしれない。
義人は来た道を引き返そうとポケットに携帯電話を戻して振り返った。
バタン
「あ、」
扉の閉じる音。
「、、え?」
ガチャン
「、、、」
鍵の閉まる音。
「あの、何で、鍵、、」
いつの間にか部屋に入ってきていた菅原は、後ろ手にドアの鍵を閉めてしまった。
そして、ゆっくりと俯いていた顔を上げる。
「菅原さん、藤崎は、、どこですか?」
嫌な予感がした。
菅原の姿を見た瞬間から、ドッドッと嫌な音を心臓が奏でている。
埃臭い部屋の中に、シン、と静けさが息を詰まらせるように積もった。
「、、、佐藤くんてさ、」
咄嗟に携帯をポケットから引き抜き、震える手で藤崎の携帯電話の番号を探す。
(まずい、、まずいまずいまずい!!)
見つけた番号を押して、携帯を耳に押し当てる。
(繋がれ、頼む、藤崎、藤崎ッ!!)
けれど直ぐに、ツーツーと通話中に鳴るコール音が義人の鼓膜を震わせた。
何度掛け直しても変わらない。
(藤崎ッ!!!)
身体が熱い。いや、寒い。
手が震えて、視界が震えて、すぐそこまで迫った何かに急かされている。
この部屋を出ないといけない。藤崎のところに行かなければいけない。
けれど、目の前には美しい顔で不気味に笑う菅原有紀が立っている。
「君、お人好しってよく言われない?」
高いヒールの音が何処か遠くからカツカツと聞こえてきた。
「、、来ないで下さい」
自分は馬鹿だと思うよりも、今どうすべきかを考えろ、と自分に言い聞かせる。
(反対にも、撮影室と繋がってるドアがある筈だ)
カツ、とまた一歩こちらに菅原が近づく音を聞いて、義人は反射的に物の散らかった通路を無理やり駆け抜けた。
何を踏んで壊してももうどうでもいい。
平野はここにはいないし、藤崎もきっと来ない。
本能が逃げろと命じるままに、義人は入ってきた入口から一番遠い対角の隅にあるドアへ急いだ。
「開かないよ、そっちのドア」
棚は入り口のドアのある壁に片側の端をつけて立ち並んでいる。ドアから直進に進み、突き当たった角で左に曲がると全ての棚の通路とぶつかる撮影室のドアへの通路だ。
(出ないとまずい、早く出ないと)
何を言われても義人は走り、何に使ったのかも分からない大きな幕の入った袋や何が入っているか記されてもいないキャスター付きの重たいケースを棚の通路へ一旦押し入れ、また元の通路に戻してから撮影室との境のドアにたどり着く。
ガッチャ
(開かない、!)
取っ手が回らない。
鍵穴はあるが鍵がない。
「そこは開かないんだよ、鍵がないと」
置き直した障害物を全て棚の通路へ追いやり、菅原がとうとう背後に迫っていた。
「だ、誰かいませんか!!開けて下さい!!誰かいませんか!!!」
この時間ならもしかしたら誰か撮影で使っているかもしれない。
大声で呼び掛けながら乱暴にドアを叩く。けれど一向に誰の返答もなかった。
「助けて下さい!!誰か!!ここ開けて下さい!!!」
手が痛い。
無機質なドアをジンジンと血が通うたびに痛む程力一杯に叩き続ける。
「誰か、!!」
それなのに、誰も、何の音もしないのだ。
「ねえ」
そして耳元で男の声がする。
いや、振り返りたくなかっただけで、菅原がすぐ後ろにいる事は気配で分かっていた。
「、、、っ!」
スル、と肩に手が乗る。
「やめろ!!」
左手を勢いよく振るいながら振り返ると、ガッと何かが手の甲に当たった。
「いってえなあ、、」
「ぁ、」
菅原の顔に当たったその手自体が物凄く痛い。
当然当たった相手も勢いよく強打された顔の左側を押さえながら、至近距離で義人を鋭い視線で睨み上げた。
「す、すみませ、」
「、、、」
「菅原さん、退いてください、、俺、帰ります」
目の前の男は黙ったまま、ただこちらを睨んでいる。
「お願いします、退いて、」
「あのさあ」
「ッ、」
今度は義人が振り払った左手の手首を掴まれた。
先日のあの重いケースを両手でやっと持ち上げていた人とは思えない程、菅原が掴むその手は締め上げられて痛む。
「菅原、さん、、?」
情けなく、声が震えた。
「大声出してもいいし抵抗してもいいよ」
菅原はゆっくりとした口調で言い聞かせるように真っ直ぐ義人を見下ろしている。
「、、、」
「その代わり、」
恐怖で歪む義人の顔に、満足そうに菅原は笑って返した。
「お前と藤崎が付き合ってること、お前の親にも藤崎の親にも、君達の友達にも、大学中にもバラすけど、それでいいんだよね?」
「ッ!!」
見開かれた目に映るのがやっと自分になったと、菅原は歓喜した。
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