32 / 61
第32話「捜索」
「あ、菅原さん」
峰岸に名前を呼ばれ、藤崎がいる教室の手前の教室から出てきた菅原は彼に対していつも通りの笑顔を見せた。
入っていた教室は造建2年生の別のクラスが使っている教室で、無論中には人がいる。
先程まで菅原はそこに入り、テキトーに理由を付けて生徒と会話をし、1、2分経ったところで出て来たのだ。
「峰岸くん、お疲れ」
「お疲れ様です。あの、」
「ん?」
黒いベレー帽がよく似合う。
菅原は峰岸を見上げながらも一瞬視線を逸らし、廊下の先に義人の姿がない事を確認した。
イチかバチかで試したが、藤崎を呼びに行くふりをして手前の教室に隠れたのは正解だったらしい。
人が良く騙されやすい義人は、まんまと誰もいない撮影準備室に向かったようだった。
「撮影準備室の手伝い、俺も行きます」
「、、あー」
峰岸は義人に会ったのか、と一瞬考え込んでから、またニコリと笑顔を作る。
このままだと峰岸が邪魔になりそうだと予見した菅原は、不安の芽を潰すべく峰岸に嘘をつく。
「佐藤くんの他に何人か捕まえたから大丈夫だよ。1年の男の子、峰岸より筋肉あるから頼りになるし〜」
「ええ、ひどい。言わなくてもいいじゃないですか」
ケラケラと笑いながら、峰岸は菅原に叩かれた自分の二の腕を揉む。確かに彼は細くてひょろく、見た目から言って筋肉が全くない。
「あ、でも教室に藤崎くんいるって言ってましたよ?藤崎くんなら筋肉ついてるし、重いもの持てますよ。呼んできます?」
「あ、いい、大丈夫。佐藤くんさえ来てくれれば人数足りるから。学生の自由な時間取っても悪いし、余計な気遣わせたくないから、藤崎くんにも言わないでいいよ」
菅原はそこまでひと息で言い切った自分が気持ち悪く思えたが、藤崎が来てしまうと元も子もないのだ。
万全を期して峰岸に口止めしておいても損はない。
「わかりました。また何かあったら言ってください。多分しばらく教室にいるので」
「佐藤くん待つの?」
峰岸の人のいい笑顔に向かっていくら嘘を吐いても、菅原の胸は痛まなかった。
それよりも邪魔の入らない状況を作る事を先決している。
「あ、いえ。横川が教室でマジックやってるらしいんで見ていこうかなって」
「あー、アイツ好きだよね。こないだも女の子にチヤホヤされてニコニコしちゃってたし」
「あはは!そうなんですか。ちょっとだけ見たら帰ります」
「うん。早めに帰りな」
そうとだけ言うと、踵を返して足速に8号館へ向かった。
峰岸はゆっくりと教室に向かう。
2階の廊下の一番奥にある自分のクラスからは、数人の笑い声が漏れ出ていた。
ガララ、といつも通りにうるさい引き戸を開く。
「わっ、」
「あ、ごめん」
ちょうど峰岸と入れ替わるように、藤崎が同時にドアを開けて目の前に立っていた。
「大丈夫、こっちこそごめんね」
「いや、大丈夫。急ぐからごめん」
藤崎は短くそれだけ言うと、珍しく廊下を走って階段を降りて行く。
1階に降りて反対に振り向き暫く歩くと研究室がある。藤崎は一度9号館の外まで出て辺りを見回し義人の姿がない事を確認すると、一旦滝野、入山、遠藤、西野に連絡を入れた。
[急にごめん。佐藤くんと一緒にいたりする?]
メッセージを送信し終えると急いで研究室に向かい、ドアをノックしてから中に入る。
「失礼します」
中に入るとコーヒーの香ばしい香りが充満していた。
ここはいつもお茶に本気だな、と思いながら助手が座っている受け付けの方へ歩み寄る。
「ん?藤崎、どしたの?」
義人達のクラスを担当している助手の平野が、コーヒーの入ったカップに付けていた口を離してこちらを向いた。
彼女は受け付けに2番目に近い机に席を置いている。受け付けの椅子には教務補助2人が座っていたが、彼女達よりも先にこちらに気が付いた平野に、藤崎は思い切りサービスしてニッコリと笑った。
「あ、平野さんいた。すみませんちょっと個人的に聞きたい事があって」
「んー?なになに」
助手や女子に懐かないと有名な藤崎にそう言われ、平野は心の中で「クラス担当になって良かった!!」とガッツポーズを決める。
大体の女の子のストライクゾーンにハマる自分の顔に、藤崎は今だけ大いに感謝した。
立ち上がった平野がこっちに来ると、受け付けに肘を置いて彼女が首を傾げる。
藤崎も同じように立ったまま受け付け台に肘を付いて体重をかけて寄り掛かると、ニコニコしたまま話を続けた。
「佐藤くん知りません?」
聞きながら、ブブッと連続して尻のポケットに入れた携帯電話が何かを着信してバイブが鳴る。
礼儀なんて知るか、と思いながら藤崎はポケットからそれを取り出すと、ニコニコしながらもチラリと視線を受け付けカウンターの下の手元に落として画面をチェックする。
滝野[いない。どうした?]
入山[いない]
西野[どうして?]
遠藤[は?]
全員分答えが返ってきたが、義人からの連絡も義人に関する情報も何もない。
「あ"。何だ佐藤探してたの?私今日は見てないよ」
携帯電話を見ている事は全く気にもせず、平野はカウンターに頬杖をついた。
「あ、本当ですか。困ったなあ、、ちなみに、」
そう言いかけたとき、後ろから声が掛かる。
「久遠くん?」
「え、?」
思わず目を見開いた。
ブランドの新作製作で忙しい筈の大城善晴教授が、いつも通りの垂れ眉の眉頭を上げ、190センチ越えの高さからこちらを見下ろして真後ろに立っている。
藤崎は振り返るなりポカンの口を開けた。
「大城さん、、何してるんですか」
「何って、僕ここの教授だよ」
「ああ、そうでした。すみません、慣れなくて」
藤崎は自然と困ったように笑う。
それは幼馴染み達や義人の前でしか見せないような気の抜けた態度で、背後から藤崎と大城の様子を眺める平野には見た事もない景色だった。
「どうしたの?困りごと?」
大城は肩につかない程度に伸ばした黒髪をハーフアップに束ねている。天然パーマで程よくうねった髪はサラサラストレートの光緒の髪質とはやはりまったく似ていなかった。
「いえ、違います。あ、ひとつだけお伺いしてもいいですか?」
「うん?」
大城は造建の助手達の間で「パパ」とあだ名が付けられている程父性の塊のような穏やかで抱きしめられたくなる雰囲気を醸し出す男だった。
今も高校時代から知っており大切な義理の息子の友人でもある藤崎に対して花が飛びそうな穏やかな笑顔で対応している。
「菅原さんは今日大学に来てらっしゃいますか?」
「有紀くん?、、んー、僕はさっき来たところだから分からないなあ。平野さんわかる?」
大城の質問に藤崎もつられて後ろにいるカウンター越しの平野を振り向いた。
「菅原さんいましたよ。さっきまで仕事してたんですけど、上がったんじゃないですかね。荷物ないし」
平野が後ろを向き、自分の机から3つ奥にある菅原の机を見つめる。彼が愛用している鞄も、朝着てきて椅子の背もたれにかけてあった丈の長い薄手のコートも消えているのが確認できた。
「そう、ですか」
「、、んー。久遠くん」
「はい」
帰ったと言うなら、義人から連絡がない事とは関係ないのだろうか。
けれど、一度ここに出勤している事は気になる。
考え込んだ藤崎を見つめて、何となく察したように大城はまたほわっと笑って藤崎の背中に手を回した。
「ちょっと光緒くんのことで相談があるんだけど、今時間いいかな?」
「すみません今は、」
「まあまあまあまあまあ。ね?大丈夫だから。ね??」
「え、、?」
グッと背中を押され、藤崎は出入り口のドアに近づいていく。
「春日井くーん、会議何時からだっけ?」
「17時半からでーす」
大城の呼び掛けに、受け付けカウンターと反対側の、いつも教授達が集まるガラス張りの会議室の開け放たれたドアの向こうから、大城が座っていた椅子の前のテーブルにコーヒーを置き、春日井(かすがい)と呼ばれた男の助手はこちらを見ずにそう言った。
「はーい。それまでには帰りまーす」
時刻は17時ちょうど程だ。
大城は研究室のドアを開けて藤崎を外に出すと、ふわふわとしていた雰囲気をスッと消し、廊下に誰もいない事を確認してドアから離れ、藤崎を歩かせながら話し始める。
「菅原くん、また何かした?」
その声は恐ろしく低い。
「すみません、色々あって」
「手短かでいいから話せる?」
「はい」
この男が凄いところは、自分が可愛がると決めた相手にとことん協力的なところだった。
藤崎はもちろんのこと、誰よりも光緒の為に家まで来てくれている回数の多い滝野を可愛がり、光緒と同じくらいに大切に守ってくれるのだ。
人気のない階段の下まで来ると、藤崎はやっと口を開く。
「俺が今付き合っている人がいて、」
「うん」
大城はしっかりと藤崎の目を見つめる。
「菅原さん最近は俺にしつこかったんですけど、」
「うん。まずはそれがごめんね」
「ああ、いえ、俺はいいんです。でも俺の付き合っている人にしつこくし始めたみたいで、こないだ1人になったところに急に現れて2人でよく分からない話とかしたみたいで。浮気うんぬん疑っているのではなくて、普通に、俺じゃなくて俺の恋人が菅原さんの標的になってるような気がするんです」
「、、、君がそう思うなら、多分そうだろう」
大城は顎の髭に触れながら、うーんと考え始める。
人間として藤崎を高く買っている大城からすると、息子のように可愛がり信頼している面もあり勿論藤崎の考えや勘が間違ってはいないのだろうと思える。考えている問題は、菅原と言う人間にあった。
「さっきまで来てたのに、4限の終わりから全く連絡が来ないんです。何かあったらこまめに言ってくれる人だし、こんなこと前はなかったし、電話も通話中になってしまっていて。心配で、もし今日菅原さんが大学に来てるなら怪しいなと思って研究室に聞きに来たんです」
「んー、そうか。あのね、言い方は悪いけど、藤崎くん以上のスペックのある子なの?」
菅原と言う人間は人の重要性や注目度で目を付ける人間を変える。
例えば同じクラスに人気者で成績が良い奴がいればそれを。他クラスにもっと人気で学年1位の成績のものがいればそれを、とどれだけ人から羨ましがられているかや見られているかでセックスに誘う相手を見つけているのだ。
そして先日まで藤崎が目をつけられていたとしたら、今狙っている相手は藤崎以上の何かでないといけない。
顔がいいだとか、人気者だとか、何か逸脱したものを持っている筈だ。
「あります」
藤崎は大城の目を真っ直ぐ見つめて返した。
「俺が好きになった、男の子なんです」
その発言に、大城の瞼が一瞬ピク、と動く。
藤崎は黙っておくべきかと悩んだ。藤崎からすれば友達の父親だが、義人からすれば大城は大学の教授だ。
もしかしたらバレたくないかもしれない。
けれどそれよりも今は、事の深刻さを大城に理解してもらいたかった。
本当は一番頼りたかった人だったのだから。
「分かった。僕が菅原くんに連絡してみる。久遠くん、連絡先教えてくれる?ごめんねずっと教えてなくて」
「いえ、ありがとうございます」
藤崎久遠が惚れた男。
それだけで大城は、充分理解ができた。
「彼はね、知ってると思うけど、僕のブランドの共同経営者にとってはかけがえのない大切な子なんだ。だから、色々問題を起こしても目を瞑ってきてたんだけど」
手っ取り早く個人携帯で連絡先を交換し終えると、大城はジャケットのポケットにそれを仕舞って再び藤崎を見下ろした。
「僕の大切な息子の友人まで傷付けるなら、もうそろそろ寛大な措置は終わりだね」
「ご迷惑お掛けしてすみません」
「全然」
ふわふわっと大城がまた柔らかく笑う。
「久遠くんはとりあえずその子を探して。勘違いかもしれないから。僕は菅原くんに連絡し続ける。教授会議があるから一旦5時半までだけど、とりあえず連絡ツールは全部使うから。もし見つけて何事もなくても電話して」
「はい。本当にすみません、ありがとうございます」
「ううん、大丈夫だよ」
ポン、と藤崎の頭に一度手を置いてから、軽く背中を叩いて大城は「じゃあ」と言った。
歩きながらも、早速菅原の番号に電話を掛けてくれている。
「、、、」
時刻は17時16分。
藤崎は一度教室に戻って義人が帰ってきていないかを確認する為、階段を駆け上がった。
ともだちにシェアしよう!