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第35話「疾走」

ガララッ 一旦教室に戻ってきた藤崎は、自分の荷物を置いたままの席を見た。 未だにそこには義人の姿はなく、女の子達にマジックを見せていた筈の横川や、教室を出るときにすれ違った峰岸ももうそこから姿を消していた。 「はアッ、はあっ、、」 絶え間なく嫌な予感が頭を駆け巡っている。 藤崎は呼吸を落ち着けながら教室に入り、もう一度携帯電話を確認した。 17時30分。 大城はもう教授会議に入ってしまっている。 数件の着信が来ている事に今気が付き、藤崎はすぐに滝野に折り返した。 《久遠ッ!?》 1コールで電話に出た幼馴染みは、電話の向こうで走っているらしく荒く呼吸している。 「悪い、電話気が付かなくて、」 《そんな事いいから!!どうした!?義人は!?》 「いない、4時半前までは連絡取れてたんだけど、今は電話にも出てくれない」 《今日菅原さんは!?》 「来てたらしいけど荷物ごといなくなってる。帰ったかもしれないけど、多分そうじゃない」 藤崎は冷静に滝野に今起きている事を話した。 義人が音信不通である事。菅原は大学には来ていた事。大城に義人との関係を話し、菅原の事も報告して協力してもらっている事。 《誰か他に義人のこと見たやついないのッ!?俺、大学の近くの公園で写真撮ってたんだけど、とりあえずそっち戻ってるから!!》 呼吸が一旦落ち着いたかと思うと、「青になりました」と言う信号機の音声が聞こえ、また激しく呼吸する音が聞こえ出す。 滝野は写真学科の課題の為、今日は藤崎達とは帰らず学部内の同級生達と公園に行って写真を撮り溜めていたらしい。 「いや、お前は課題やって、」 《うるせえな本当にお前は!!》 「ッ、」 キン、と頭に響く声。 珍しく苛立って怒鳴った滝野の声は、携帯電話の向こうから強く藤崎の頭を揺さぶった。 《のろのろしてっからそう言う事になるんだろうが!!》 久々に彼に本気で怒られている。 藤崎は奥歯を噛み締め、携帯電話を握る手に力を込めた。 「うるせえなこっちだって焦ってんだよ!!」 怒鳴り返すと、通話口の向こうでは重たいため息が聞こえる。 《だから頼れってつってんだろ!!いつまでも中学のときの事引きずって人に頼らないようにする癖やめろよ!!あの時だって頼ってくれてたらあんな事にならなかったんだよ!!》 「ッ、、あれは、」 脳裏に蘇った初めて裏切った少女の顔にズクン、と胸が痛んだ。 あの日以来、本当に大切な人達を彼は傷つけず、そして高いプライドを築いて誰にも頼らず巻き込まずに物事を進めるようになった。 また間違えたのだろうか、と藤崎は握り締めた拳に爪を立てる。 いつだって大切なものを大切にするのが彼は苦手だ。それをよく分かっている滝野に説教される事はもっと苦手だった。 《俺は行くからな!!義人見つけに!!》 そしていつも正しく真っ直ぐな滝野が、藤崎にとっては眩しくてならない。 悔しさや恥ずかしさをグッと喉の奥に飲み込み、藤崎は絞り出したような声で「ありがとう」と伝えた。 《こまめに携帯見ろ、いいな!?》 「分かった。とりあえず造建が使う部屋しらみ潰しに見てくから、大学ついたら電話しろ!」 《分かった!!》 (義人、頼むから、無事でいて) 通話を切るとすぐにまた教室を出て行った。 造建の使う様々な部屋を回る事にした藤崎は、9号館の地下の教室から女子トイレまでとにかく扉を開けて行く。 途中でかかってきた遠藤からの電話に出ると、隣に入山もいるようで今起こっている事を手早く伝えた。 《なんっでそんな事になってんの!?》 彼女達も焦っている。 この1年の間に、自分達は一体どれだけの時間を共に過ごしたのだろう、と頭の隅でぼんやりと考えた。 義人は藤崎にとってかけがえのない存在だ。 生まれて初めて本当に「愛してる」を分からせてくれた人。あのとき、あの教室で全てが始まり、どうしてももう一度会いたかった人。 その人は、自分のかけがえのない存在になるだけでなく、自分の周りの人間達とも丁寧に関わり、不器用ですぐ人を拒絶する自分と違って、友達に対するそれ相応の愛情を持って周りと接し、そこに自分を巻き込んでくれた。 「分からない」 誰よりも人を大切にするからこそ、こうやって周りの人間達も彼の為に動くのだ。 自分だけじゃない。 彼は滝野や入山、遠藤達にとってもかけがえのない存在だった。 「佐藤くんだって警戒してた筈だから、手荒な事をされてるかもしれない」 はあはあを息を切らしながら走り回る。 覗いた女子トイレに女の子が入っていたときは、遠藤達と電話をしながらも「すみません男子トイレと間違えました!!」と大声で叫んだ。 《あ、藤崎待って!!》 入山のその言葉に、9号館3階の教室に入って彼は止まった。 中にはやはり誰もいない。 《峰岸くんちょっと前に教室いたんじゃん!!横川のマジックの動画SNSにあげてる!!入れ違いになっただけで佐藤のこと見てるかもよ!!》 「あ、教室出るときすれ違いで中入ってった!」 教室の中と外で同じタイミングでドアを開けた事を思い出す。 《うわ最悪、私あいつの連絡先知らない!》 《これメッセージ送れないの!?》 帰る為に乗っていた電車を降りた遠藤と入山は、どこの駅かも分からないそこでギャーギャーと騒いでいる。 確かに藤崎が教室を出て研究室に行き、大城と喋っていた数分の間は峰岸は教室にいた筈だ。 その間に一瞬でも義人が帰ってきて、彼らに何か言っていたりしたのかもしれない。 しかし、どうにも影が薄い彼の連絡先を、藤崎含め入山も遠藤も知らずにいた。 連絡先の交換をしているのは義人だけなのだ。 2人が覗いている彼のSNSにはメッセージを送れる欄があるようだが、果たして直ぐに気がついてくれるだろうか。 「どうしよ、ぉ、、、待った!!」 藤崎は9号館の3階の端の教室から出ると、廊下の端にある吹き抜けから芝生の向こうの正門に峰岸と横川がいるのを見つけた。 《なに!?》 電話越しに、入山と遠藤が口を揃えて叫んでくる。 「峰岸いた!!峰岸ぃいいーーーッ!!!」 《えっ!?ちょ、もっと腹から声出せ藤崎!!》 入山の苛立った声に後を押され、藤崎は更に声を張り上げて叫ぶ。 「みーねーぎーしーーーッッ!!」 電話を持っていない右手をバタバタと振ると、微かに声が届いたらしい、峰岸が正門の手前でキョロキョロと周りを見渡す。 そして、どうやら隣にいた横川が藤崎の存在に気がついたようで、こちらを指差して手を振ってくれた。 「そこにいろ峰岸ッッ!!」 そうとだけ叫ぶと藤崎は走った。 直ぐそこの階段を降り、芝生の上を通話を繋げたままの携帯電話を振り回して走り抜け、息を切らしてミルクティベージュの髪を乱し、峰岸のいる正門までたどり着いた。 「ハアッ、ハアッ、ハアッ」 突然現れた藤崎に、峰岸と横川の他に帰路に着こうと言う様々な学生がこちらを見ている。 「藤崎くん?どうしたのー、そんな慌てて」 「あのッ、」 ゲホッ、ゲホッ、と咳き込みながらも、自分の事は今はどうでもいい藤崎は汗だくの顔で峰岸を見上げ、膝についていた手で額と顎の汗を拭う。 「さ、佐藤くん、見てない?連絡取れないし、電話繋がらなくて、」 「佐藤くん?」 呑気な彼は隣にいる横川と顔を見合わせ、数秒考え込む。 そして思った通り、ぽん、と握った右手の拳を左手の手のひらに落とした。 「思い出した!平野さんの手伝いで、撮影準備室に行くって言ってたよ、8号館の地下の」 「え、、?」 やはり異常事態が発生している。 平野は先程藤崎が研究室に行ったとき、義人の事を「今日は見ていない」と言っていた筈だ。 「それで、菅原さんがその手伝いの人集めてたんだけど、佐藤くんと別れた後に俺達の隣のクラスの教室から出てきて、荷物置いたら手伝いますねーって言ったら、もう人が集まったから来なくて良いって言われたよ。手伝い、こんなに長引いてるんだね?」 悪気がなく騙されっぱなしの峰岸は、キョトンとした顔で汗だくの藤崎を見下ろした。 「ごめんね、藤崎くんも呼びますよって言ったら、言わなくて良いって言われて、、」 「ッ!!あ、の、、」 (あのクソ野郎) ビキビキ、と藤崎の額に青い血管が浮き出る。 整い切ったその顔が歪み、歯を食いしばって目を見開いた。 どうしようもない怒りを堰き止める事ができない。 峰岸は表情の変化にすら気を回していないが、隣にある横川は明らかに慌てて峰岸の言葉を急かす。 「2人、ルームシェアしてるんだもんね。心配だったよね、あそこ、電波通じないから連絡取れないもんね」 その言葉に、藤崎は頭の中でブツっと何かの切れる音を聞いた。 「そうなんだ、ありがとう。過保護過ぎて気持ち悪いって言われるんだけど、親友だから心配になっちゃって。俺行くね、峰岸も横川もありがとう、バイバイ!」 (義人、今行くから) 一息でそれだけ言うと、藤崎は踵を返して8号館へ走り出す。 「聞こえたよな!?」 再び携帯電話を耳に押しつけると、入山と遠藤も怒りに満ちた声で応えた。 《聞こえた!!》 《何だあの人、クソ胸糞悪いな》 「詳細後で伝える、悪いけど切る!!」 (義人、義人、義人ッ!!) 返事も待たずに通話を切ると、藤崎は人目も気にせず全速力で学内を走った。 8号館自体は直ぐそこにあり、すぐさま地下に降りる階段が見えてくる。 汗よりも、疲れよりも、藤崎が今感じているのは紛れもない怒りと、菅原への殺意だった。 「8号館地下1階、撮影準備室!!」 最後に滝野に電話をかけ、通話開始の音が鳴った瞬間にそれだけ早口で伝えると、通話終了のボタンも押さずに携帯電話を尻のポケットに滑り込ませて階段を2段飛ばして降りる。 どうせこの地下は電波が届かず、電話はすぐ切れるのだ。 降りた角で右に曲がり、もう一つの階段を降りてから左に曲がり、角から2番目のドアへとたどり着いた。 握られた拳が緩む事はない。 本当に殺してしまおう。と、藤崎の頭に浮かんだ。

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