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第39話「帰路」

「それ、は、、それだけは、」 「何を言ってるの?君に優しくする義理は僕にはないよ」 「っ、」 震える視線は怒りに満ちた大城の視線をとうとう受け続ける事ができなくなり、菅原はバッと顔を下げて俯いた。 座り込んでいる彼は床についた手を握りしめて、頭の中に蘇る西宮の笑顔に絶望する。 (今度こそ見捨てられる) 自分がしてきた行いの恐ろしさを、彼は今やっと理解した。 「もう僕も帰るところだから、このまま孝臣に会いに行こう」 「い、」 「拒絶する事はできないよ。分かるね?」 再び見上げた先の厳しい表情は崩れない。 菅原はもう無理なんだ、と肩を落として項垂れた。 「洋平くん、久遠くん。悪いけどこの子を連れて、この子の面倒を見てる大人の所に行ってくる。必要なら義人くんを病院に連れて行くけど、どうしたい?」 菅原の二の腕を掴んで無理矢理立ち上がらせ、大城は真剣な表情で2人を見つめる。 滝野は出したままだったカッターの刃を仕舞い、藤崎と義人を振り返った。 「久遠」 「、、、」 藤崎は義人を抱きしめたまま、彼の首筋に顔を埋めて動かないでいる。 落ち着きを取り戻した義人は涙の跡が残る顔を上げ、滝野と視線を合わせて頷いてから、大城へ視線を投げた。 初めて光緒の父親ときちんと喋る機会が今かと思うと、彼としては複雑だった。 教授でもある大城とのお互いを認識しての初対面に自分がこんな姿でいる事も心苦しく、また、ゲイとバレているのだろうと思うと何か申し訳なさを感じる。 「自分は大丈夫です。その、、菅原さんのことはお任せしてしまって大丈夫でしょうか」 「大丈夫。ただ、訴えるのは少し待って欲しいんだけど、」 「う、訴えません!」 義人は藤崎を抱きしめる腕にグッと力を込めた。 大城から見たそれは、まるで藤崎を守ろうと必死に彼の身体を隠しているように思えた。 「訴えません」 先程までパニックに陥り意識がハッキリとしていなかった頼りない青年とは思えない程、義人はグッと真剣で誠実な瞳で大城を見上げている。 その真っ直ぐな視線を受けて、大城は鼻からゆっくりと息を吐いた。 (この子、久遠くんとの関係がバレるのが嫌なんだろうな、、嫌と言うか、) 大切なものを傷付けさせない、と言う硬い決意が見える顔を見つめ返し、大城は一度瞬きをする。 (そうやってずっと彼を守ってるのか) フッと表情を緩め、菅原を掴む手の力を抜かずに彼は義人に穏やかに笑いかけた。 「君がそうしたいならそれでいいよ。でも気が変わったらそれもそれでいい。一回この子を連れて帰るから、色々話しがついたら久遠くんに電話するね。そしたら、明日は土曜日か。時間があるなら少し話したいんだけどいいかな?勿論、この子がいるのが嫌なら僕と、この子の面倒を見てる人間だけでもいいから」 義人を安心させようと大城はゆっくりとそう言った。 訴えない、と言ったときに義人の腕の中の藤崎は一瞬動いて反論しようとしたが、義人はそれを強く抱きしめ返して止めていた。 義人は義人で藤崎を安心させようと、未だに震える手で彼の背中を小さく撫でている。 「分かりました、、それでお願いします」 「うん。久遠くんも、それでいいね?」 その声にまた藤崎がもがいた。 冗談ではない。 自分の恋人にこんな惨たらしい真似をされて、「もうするなよ」で終われる程、彼は自分の怒りを押さえられはしないのだ。 「藤崎、いいから」 けれど耳元で聞こえたその声に動きを封じられる。 「、、どうして」 掠れた声で義人に囁いた。 「早く帰ろう」 義人は甘えるようにそう言いながら、人目も気にせず藤崎の肩に顔を埋め、彼の服についた柔軟剤の匂いを吸い込む。 「、、、」 「帰ろう。もうこれ以上、関わりたくない。藤崎が怖くなるのも嫌だ」 義人は友人に対しても、藤崎に対しても本当の「怒り」と言う感情をあまり見せない。 自分が苛立つ事も他人が苛立つ事も義人は酷く嫌がるのだ。 だからこそ今、藤崎が菅原に対して苛立ち、殺意すら芽生えさせている事が悲しくて仕方がない。 そんなものに飲み込まれないで欲しいと藤崎を腕の中に閉じ込めている。 「久遠、義人が言ってるんだから、聞いてくれよ」 滝野の声だった。 「、、佐藤くんと帰る」 「うん、帰ろう」 大城が菅原を連れて先に教室から出て行った。 撮影室に彼らが現れた理由は、藤崎がいくらたどり着いた準備室のドアの前で声を張り上げても、義人と菅原の耳にその声が届かなかったからだ。 ドアを蹴破ろうとしたとき、連絡を入れた滝野と滝野が呼んできた大城が現れ、大城が持ってきた撮影室の鍵で中に入り、準備室とのドアを叩いたのだった。 菅原はこの撮影室と準備室の間のドアも、準備室の鍵でしか開かない事を踏んでこちら側の鍵2つを研究室の鍵棚から取って持っていた。 準備室の鍵さえ押さえておけば、電波も通じないここなら誰にも邪魔をされないと思っていたのだ。 「痛いところない?」 「ん、大丈夫」 自分でやると言ったのに藤崎は義人の脱がされたズボンと下着を引き上げ、きちんと履かせるとジッパーを上げてボタンを止め、ベルトは嫌そうな顔で義人の腰から引き抜いて丸めて手に持った。 涙の跡が残る頬を優しく摩ってから、コツン、と額と額をぶつける。 「帰ろう」 「うん」 長い1日だった気がした。 「閉めるから先に出な」 滝野は準備室の鍵をドアから引き抜くと、義人達が階段を降りたのを見てからドアを閉め、準備室と撮影室の境のドアの鍵を施錠した。 そのまま撮影室から出ると撮影室の鍵を締め、それから準備室のドアの前まで行ってそちらのドアの鍵も締めた。 「洋平くんありがとう。鍵、僕が戻すよ」 廊下で待っていた大城の手に3つの鍵を渡すと、義人に貸されていたジャケットも彼に返し、滝野は菅原を見ないようにしながら2人の元に戻った。 「久遠」 「ん」 「俺は大城さんと行って西宮さんに色々話してくる。義人のことちゃんと家まで連れてけ」 「分かった。悪い、頼む」 「、、義人」 黙って藤崎の腕に肩を抱かれている義人は、ずっと菅原を見ていた。 その視線を遮るように彼の前に立つと、滝野は真っ直ぐ義人を見つめる。 「大丈夫だな?」 心配そうな表情に、義人は気弱に笑ってみせた。 「迷惑掛けてごめん。大丈夫だよ」 「迷惑掛けられてねーよ。俺が好きでやんの!久遠のこと頼んだぞ」 「うん。ありがとう」 へへ、と笑う義人を見て安心すると、もう一度藤崎を見てから滝野は歩き出した大城と菅原に追いつく。 3人の後ろ姿を眺めてから、同じ方向に行かなくてはならない2人は廊下で顔を見合わせた。 「藤崎の荷物は?」 義人が持ってきていたリュックを、今は藤崎が肩にかけている。 持つと言ったのに藤崎に奪われたのだ。 「教室にある」 「取りに行きながら帰ろ」 「うん、、、もう少し待ってからね」 どうしても3人に追い付きたくない藤崎は、苦笑いしながらそう言った。 もうだいぶいつもの藤崎に戻っていて、義人はそれを見て安堵する。 「じゃあトイレ行ってもいい?」 「ん、行こ」 すぐそこの角を曲がると、見えづらい狭いその廊下の中頃にトイレがあるのが見えた。 こんなところにあったっけ、と2人して笑いながら中に入ると、義人は鏡張りの壁の前にある3つの内の真ん中の洗面台の前に立ち、顔を洗い、口を何度も濯いだ。 「、、、」 藤崎はそれを眺め、義人がTシャツの裾で顔を拭いたときにチラリと見えたヘソの近くにあるキスマークに、また表情を歪める。 「久遠」 突然呼ばれた名前に、怒りに傾いていた意識がすぐに目の前に戻ってきた。 トクン、と胸が高鳴る。 義人が藤崎の手首を掴み、切ない表情を浮かべて彼を見上げていたのだ。 「キスして」 苦しい程に愛しさが溢れる。 「っ、、していいの?」 眉間に皺を寄せ、視線を細めた藤崎は義人の頬を苦しそうに撫でていく。 「して欲しい」 それだけ聞くと、義人の腰を抱き寄せて、誰よりも優しくキスをした。

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