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第41話「謝罪」
(自分から久遠を裏切ったんだ、望んで身体を触らせたんだ、なのに、)
藤崎に縋ろうとしている自分が気持ち悪くて仕方がなかった。
許してくれる筈だと女々しく泣いているところを見せようとしている。
(許される訳がない、俺が自分から抱かれたって言ったら、全部終わるに決まってる)
右のこめかみの少し上の辺りに、キン、と鋭い痛みが走った。
(久遠を傷付けてるのはずっと俺なんだ)
視界が滲んで、脱衣所の床の柄が見えない。
「義人、入ろ」
藤崎は義人のズボンにもう一度手を掛け、ずり下ろそうと力を入れる。
「き、聞いて。ちゃんと、聞いてくれ、じゃないと」
義人は慌てて藤崎の手を掴んだが、彼は止まる事なく下着ごとズボンを下ろしていく。
義人の身体には噛み跡やキスマークがいくつもついていて、藤崎はそれを無表情に眺めながら義人の服を脱がせ終わると自分も早々と身に纏っていたものを脱ぎ捨てた。
「いやだ」
「え、?」
「義人が自分のこと責める前に、シャワー浴びて体綺麗にしたい」
細い身体に触れ、指先で鎖骨から段々と下へとラインを描く。所々に鬱血した小さな印が残されていて、藤崎はそれらひとつひとつに触れた。
「っ、これは、」
「で、」
「?」
右の胸にある噛み跡に触ると、藤崎はグッと何かを飲み込んでから自分を落ち着けるように深呼吸をして、義人を真っ直ぐ見下ろした。
「俺とセックスして。あいつにされたこと、全部上書きするから」
見上げた先の強い視線は、誘うように熱で揺らいで見える。
義人の心臓はドクンと熱く高鳴って、そのまま、掴まれた腕にすら熱を帯びた。
「おいで」
腕を引かれて風呂場に入ると、キュ、という音と共に、壁にかけられたままのシャワーから熱めのお湯が出た。
寒がりの義人の為に、春でも夏でもシャワーのお湯は43度に設定されている。
義人は後ろ手にドアを閉めて既にぐしゃぐしゃに濡れている藤崎と同じようにシャワーの下に入った。
「ん、」
藤崎のボコボコした筋肉に触れると抱き寄せられる。
ミルクティベージュの髪は濡れて色を変えていて、見上げた藤崎の顔に張り付いたそれをどかすと愛しそうにこちらを見つめる男と目があった。
「久遠、んっ」
欲しいな、と思った途端にキスをされる。
優しくて、気持ちの良いキスだ。
大体同じくらいの身長の藤崎が義人の腰を片手で抱いて、今度は義人の顔に張り付いた茶色い髪をお湯の伝う腕で払っている。
「あっ」
グッと抱き寄せられれば当然、お互いのそこが擦り合うように触れた。
「感じたの?我慢して。体、洗うから」
「んんっ、、分かった」
どうにかして欲しいのに、と思いながらまた降ってくるキスに応えて舌を絡ませる。
「っん、ふっ」
シャワーを止めていないせいで、お互いの口にお湯がびたびたと入ってきた。
「ケホッ、ん、、んん」
息ができず苦しそうに胸を叩くと、藤崎はやっと唇を離して義人の額を撫でながら濡れる前髪を後ろに流す。
「どこ触られた?」
するりするりと藤崎の手が義人の体を撫で回してきて、その感覚がくすぐったくてビクビクと細い腰が跳ねた。
「どこ、って」
ドンと胸が重たくなる。
「怒らないから言って」
優しい声と優しい視線。
義人はグッと弱音を飲み込み、本当の事を全部伝えようと口を開く。
ジャバジャバと落ちて行くお湯の音が止む事はなく、少しの沈黙の後に義人は意を決した。
「ぜ、全部」
そう言っただけだったのに。
あのときの光景が、感触が、脳内に鮮明に思い出され、再び義人を吐き気が襲った。
「何された?」
その質問に、ビクリと肩が揺れる。
言いたくない。
思い出したくない。
もう全部忘れて消えてくれたらどんなに楽だろうか。
「ッう、」
グッと腹から何かが迫り上がってきて、義人は咄嗟に両手で口元を覆った。
「義人」
「っあ、ぅ」
お湯に混じって義人の涙が彼の頬から首、鎖骨に乗ってから足元まで一気に流れ落ちて行く。
藤崎に名前を呼ばれると、不思議と辛さが少し減る。
自分達の家にいるのだと実感が湧いて、義人は酷く安心するのだ。
「名前、、もう、1回呼んで」
弱々しい声だった。
「義人」
する、と頬を撫でられる。気持ち良かった。
藤崎に触れている安心感で、先程までの緊張は嘘みたいに消えている。
「っ、、キス、されて」
「うん」
腰を撫でられてゾワリと背筋が粟立つと、義人は藤崎に擦り寄ってぼたぼたと泣きながら彼を見上げる。
睫毛に乗った水滴を払い、藤崎は強張る義人の頬に手を沿わせてジッと彼を見下ろした。
「口、でっ、、した、」
「うん」
あまりにも苦しくて義人が顔を歪ませると、藤崎は堪らず震える身体を抱きしめる。
大丈夫だ、久遠だから、大丈夫。
義人は心の中で繰り返しそう唱えて、馴染む体温に身を委ねるように身体を抱きしめ返し、ポツリポツリと言葉を零していった。
「胸とか、触られて、それで、」
「うん」
「色んなところに、キスされて、噛まれて、ちょっとだけ、、ほんとに、ちょっとだけ、後ろ、に、、入れられて、」
「うん」
そう言った瞬間に、身体に抱きしめる腕に痛いくらいに力が込められた。
「っん、!」
「、、ごめん」
「久遠?」
耳元で掠れた苦しそうな声がする。
壊されそうだ、と義人はそう思った。
怖いくらいに強い力。痛いくらいに強い腕力。それが全身にかけられ、義人の骨はギシギシときしみを上げている。
けれどそれが、どうしてだか切なく感じられた。
「ごめん、義人」
「なんで、久遠が謝るの」
首元に顔を埋められて、表情が見えない。
今、藤崎はどんな顔をしているのだろうか。
「俺がちゃんと、早く、光緒や大城さんに言ってれば起きなかった事だから」
首に息がかかって身震いをした。
それでも藤崎の言葉が嫌で、義人も痛いくらいに抱きしめ返す。
「違う、ごめん、、俺がバカだっただけ」
「違うよ。義人は悪くない。何にも悪くない。酷い事されたのに、なんで義人が悪くなるの。悪くないよ。義人は絶対に悪くない」
その言葉にすら胸を締め付けられ、義人は苦しくなって一度吐き出すように息をつく。
言わなければ、と、荒くなる呼吸に耐えながら口を開いた。
「でも、俺」
身体が熱い。
けれど冷たい。
寒くて寒くて心細くて、この言葉を言ったら全て終わるような気がして身体も心も全部が痛む。
「義人?」
「っ、、俺、じ、、自分から、」
『抱いて、ください』
その言葉が頭の中に甦って、何度も何度も再生される。
脳裏に浮かんだ見下ろしてくる楽しそうな顔に、悪寒が背中を駆け巡って行く。
何度思い出しても事実は変わらない。
望んだのは、義人自身だ。
「自分からッ、したんだ、俺」
ヒュッと喉が変な音を出した。
「ごめん、俺から言ったんだ、抱いてくださいって、、だから、ご、ごめんなさい」
ヒュッ、ヒュッと呼吸が乱れていく。
「義人」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
罪悪感が、彼の脳を壊していく。
もう何を言われても受け入れようと決めたのに、自分があまりにも汚くて、醜くて、嫌になる。
謝っても足りないのだ。
人生で初めて自分を選び、好きになってくれた相手を散々に裏切ったのだから。
「なんで、、ちゃんと理由があるからだろ?」
義人の腰をキツく抱きしめ、藤崎は落ち着かせるように聞いた。
「ごめんなさい、、ごめ、ご、、めんなさ、っ」
(ダメだ、俺なんかじゃダメなんだ、久遠のことを幸せにできない、吊り合わない、こんなに汚い奴が、)
乱れた呼吸でぐわんぐわんと視界が歪み、義人はふらつきながら頭を抱えるように耳を塞ぐ。
『抱いてください』
その声が止まない。
「義人、言って。何でそう言う事になったのか、言ってくれないと分からない」
「ごめんなさい、ごめんなさいっ、、ごめん、なさいッ」
自分の声が届いていないのだと気が付いた藤崎は、慌てて義人の身体を離し、肩を掴もうと手を伸ばした。
「や、やだ、久遠!!ごめんなさいッ、俺、も、もうしないから、絶対にしないから捨てないでッ!!」
藤崎を見上げる怯えた黒い目は見開かれていて、眉間にシワを寄せた彼の顔を写し込んだ。
「違う。義人、聞いて」
「いやだ、離さないで、お願い!!ごめんなさい、ごめんなさい」
「義人」
「ごめんなさい、ごめんなさいッ、、!!」
(嫌われたくない。嫌いにならないで。遠くに行かないで。1人にしないで。怖い。1人は嫌だ。1人だけはいやだ。1人になりたくない。一緒にいたい。怖い。怖い。久遠に見捨てられたくない。もう離れたくない。いやだ。もう、いやだ。もう、)
そこまでくると頭の中が真っ白になった。
限界が来た義人は力を込めて、藤崎の目の前で自分の頭を思い切り殴った。
ゴッ
「え、、?」
そして次の瞬間には、またゴッと重たく鈍い音がする。
(嫌われたくない、、嫌だ、俺がいけない、こんなんだからダメなんだ、馬鹿だから、)
ゴッ ゴッ ゴッ ゴッゴッゴッゴッゴッゴッゴッゴッゴッゴッゴッ
「ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい」
「義人、聞いて、義人!!」
突然目の前で始まった自虐行為に、藤崎の頭の中に以前まで赤くなる程自分の胸を拳で擦り続けていた義人の姿が蘇る。
「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
あまりにも恐ろしい光景だった。
彼は本気の力を込めて、加減なしに自分の頭を殴っている。
「義人、大丈夫だから!!」
涙が出て、鼻水が出て。でも全部お湯で流されていく。
戸惑って義人に触ることのできない藤崎を見て、義人は更に涙を溢して自分を殴る手を強めた。
「行かないで、ご、ごめんなさい!ごめんなさいごめんなさいッ!!」
「義人!!」
腕が掴めず、義人を止める事ができない。
「ごめんなさい!!ごめ、」
「ッ、この、」
パンッ
「っ、、ぇ、?」
頬に痛みが走った。
濡れた髪が、頬に張り付いていてうっとうしいと、今やっと気がついた。
目の前の藤崎も同じように髪が濡れていて綺麗だが、それでも、表情は厳しくて硬いものだった。
「いい加減にしろ」
ひゅ、と息を飲む。
藤崎は軽蔑するような厳しい視線で義人を見下ろし、低い声でそう言った。
(、、、嫌われた)
義人の頭にはシンプルにそんな言葉が浮かんだ。
(もうダメだ)
そうして、その絶望に似た感覚が義人の身体に仕舞い込まれた恐ろしい記憶を呼び覚ます。
やめろと鳴っている頭の中の警報は意味がなく、そのワンシーンは彼の頭にぽっかりと浮かんでしまった。
『いい加減にしろッ!!何が美大だ!俺に恥をかかせる気か!?』
「ッ!!」
振り上げられた手は、いつもは自分を撫でてくれていた筈なのに。
小さな頃に交わした「叩かないで」と言う2人だけの約束は、目の前で破られた。
何を思い出してもいつも怒っている人に変わってしまったのは、いつからだったろうか。
(ああ、多分、菅原さんもそうだったんだ)
愛情をきちんと受け取れなかった人だから、妙な親近感が湧いていて油断してしまったんだ、と菅原のどこか寂しそうで不自然な笑顔を思い出す。
自分と同じ匂いに、「そんなに頑張らなくても大丈夫だよ」と声をかけてあげたかった。
同じように生きている人はたくさんいる。その誰もが不幸ではないんだから、と。
自分が誠実に生きて、不器用なりに頑張れば、誰かは見ていてくれるから、と。
なのに自分は、見てくれていた藤崎を、裏切ってしまったんだ。
「う、」
「義人、」
「っう、あ、」
もう怒られたくない。
拒絶されたくない。
(もう俺のことを否定しないで)
口元を手で覆い、荒く大きく呼吸をする。
別れたい、と言われてきっと終わるんだ。
付き合ったのが間違えだった、義人を忘れたい。なかった事にしたい。
きっとそんな言葉が自分にぶつけられるのだろうと、義人は目を瞑って堪え忍ぼうとした。
「許さないなんて、言ってないよ」
「、、ぇ、?」
ガタガタと震えだした体で、思わず身構えていた。
目の前にいるのが彼の父親だったら、確実に殴られて罵倒される。
彼が心から愛しているものを全て否定し、生まれてこなければ良かった、と口足されるのだ。
そんな経験の繰り返しのせいで、義人は他人が自分に怒る事も、自分が誰かに怒る事も、誰かが誰かを怒っている光景を見る事もできなくなった。
なのに。
それなのに、藤崎は穏やかで優しく、少し困ったような顔をして、義人の頬を両手で包んで柔らかく笑いかけてくるのだ。
「教えて、義人。言って、そんで2人で全部消そう」
身体を離した筈の腕は、もう一度義人を抱きしめた。
「義人は悪くない。だから、怖がらないで、ちゃんと教えて。俺以外の人間に、義人がそういうこと自分からするなんて不可能なんだよ。わかる?」
藤崎の確信を持った言葉に、何でそう思えるのだろうと義人は不思議でならない。
「、、、」
「だから、理由を教えて。何言われたの?」
未だに荒い呼吸は、段々と静かになっていく。
お湯を浴びすぎて熱くなった藤崎の身体が心地良くて、義人は涙を止めていた。
「げ、、ゲイだって、親とか学校中に、言うって」
素直になれない心は、それでもまだ自分を責めてくる。
「うん、分かってたよ。脅されたんだよね」
「、、でも、」
「でもじゃない」
ギュッ、と腕に力が込められた。
「それが事実なんだから、お願いだからそれ以上自分を責めないで」
「、、、」
「前にもそう言っただろ」
「ぁ、」
『俺は、佐藤くんが好きだよ。だから俺の好きな佐藤くんを、あんまりいじめないで』
確かにそんな事を言われたな、と思い出した。
あの言葉があったから自分に自信を持とうと頑張った事も、あのときは結局不安に負けて、麻子に言われた台詞を全部間に受けて初めて藤崎の前で泣いた事も。
(されたくなかったんだから、それが俺の気持ちなんだ)
やっと素直にごめん、と思った。
自分の事すら大切に出来ていない事に気がついて、そんな奴が誰かを大切にできる訳がないのだと。
(俺達が、俺達のままじゃなきゃ、何だって意味がないんだ)
やっとそう理解した。
「よかったあ」
「?」
「義人がそんなことするわけないんだから、ちゃんと言ってよ。ちょっとハラハラした」
ふわっと穏やかに、少し幼く笑う藤崎が見えた。
それからズイ、と顔が近づき、どちらともなく唇が重なる。
(久遠、だ)
柔らかくて気持ちの良い藤崎の唇が、何度も角度を変えながら、ゆっくりとキスしてくる。
それに応えながら、湧いてくる欲を義人は自分の奥で感じた。
「ごめん、な」
色んな意味を理解してちゃんと謝りたかった。
キスの合間に藤崎を見上げながらそう呟くと、ふ、と大人びた笑顔が見える。
またゆっくり頬を撫でられて、もっとキスが欲しくなった。
「大丈夫。俺もごめんね。殴ったことも、1人でどうにかできると思って周りにすぐ連絡しなかったことも、1人にしたことも、ごめん」
「うん、大丈夫」
お互いに言いながら、自分に言い聞かせているようだった。
「義人」
今度は噛み付くみたいに、激しくて深いキスをされる。
濃厚で気持ちよくて、息継ぎを忘れて夢中になった。藤崎は義人の息が苦しくなるタイミングを見計らって、たまに呼吸をする暇をくれる。
「んっ、ん、ん」
「、、ん、」
「はあっ、、ん、ふっんん」
舌と舌が絡んで、いやらしくて、気持ちいい。腰が抜けそうなくらい感じて跳ね、頭の中がぼわぼわしてきて堪らない。
「んっ、、?」
まさか唇を噛まれた事にも気が付いたのだろうか。義人の下唇を丁寧に舌で舐めてから唇が離れていく。
名残惜しくて藤崎を見上げると、「後で」と笑って言われた。
「洗うよ」
言うなり、藤崎は義人の目の前にしゃがみ込む。
「ん、え、、?」
腰に回されていた腕が解かれ、脇腹から太もも、膝の裏をするするとラインをなぞりながら藤崎の熱い手が降りていく。
ゾワゾワした甘い感覚が、義人の体を痺れさせた。
「久遠?」
「そこ座って。お風呂のふち」
「、、ん、」
コンコン、と浴槽の縁を叩かれ、言われた通りにそこに腰掛けて藤崎を見下ろした。
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