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第2話

 性別に多少問題があるのはおいておくとして――。そんなどこの学校にでもありそうな、青春まっさかりの高校生たちの、さわやかで微笑ましいエピソードのあったその日の放課後。薄暗くなってきた青陵学園高等部の北校舎の廊下に、「うぎゃあぁぁっ」という潤太の絶叫が反響した。 「真冬にこんなところで服を脱がすなあっ、寒いじゃないかっ!」 「だから、吉野。ふたりであったまろうぜっ」 「うわっ、うわっ、うわっ、大智(たいち)先輩っ、どこに手ぇ突っ込んでんのっ⁉」  潤太は自分を羽交い絞めにしている大智に、頬を齧られたり舐められたりしていた。 「大智先輩、そんな冷たい手で触ってこないでっ! ってか、ここ廊下だから!」 「こんなとこに、誰もこないってば」   一般下校時刻も過ぎたひと気のない北校舎の一角には、執行部の定例会に使われる教室がある。  その教室のなかではいま、潤太の大好きなあこがれの先輩、斯波俊明がひとりで仕事をしていて、いまが彼への絶好の告白のチャンスだった。  昼に彼へ渡しそびれたクリスマスプレゼントも、今度はちゃんと手に握っていたというのに、それなのに――。  潤太はその教室を目前(もくぜん)にして、たった今しがたまで恋の成就のための協力者だった部活の先輩、成瀬(なるせ)大智に冷たい廊下に押し倒されていたのだ。 「せんぱいいぃっ、退()いてってばっ!」  潤太よりも十センチ以上も背が高い大智は、ウェイトもそれなりにあって、身の軽い潤太には押し退けることができない。なんとか彼の下から抜け出せないかと身体を横にずらしてみたら、教室側の壁にぶつかってしまって、余計に彼に追い詰められてしまった。 「だってだって、なかに斯波先輩だっているじゃない」 「いいじゃないか、お前のいい声、聞かせてやれよ」  そう云った大智に今度は唇を齧られる。それだけでなく「やめろ」と云いかけて開いた潤太の口のなかに、するっと大智の舌が潜り込んできた。 (また、先輩のベロが口んなかに入ってきたぁぁっ!) 「んぐっ、んんっううんっ。んーっ、んーっ」  口のなかでさんざん大智の舌が暴れたので、息苦しくなった潤太は解放されると、慌ててぷはっと息を吸いこんだ。  はぁはぁはぁ。 (はぁ、窒息するかと思った) 「うわぁぁぁん。そんなこと本気で云ってるの!? 大智先輩のせいで余計に寒いよぉぉ」  そして開口一番、大智にバシッと頭を叩かれる。 「うわっ! 今度は暴力だ‼」 「‥‥‥吉野、お前、案外、余裕あるな」 「だって、ほんとに先輩のせいで寒いんじゃないかっ」  ふたたび背後から回された大智の両手に、胸をはむはむと揉まれる。冬の寒い廊下で服と下着にしているTシャツを捲り上げられて素肌を出していた潤太は、ぶるるっと震えた。 (うえっ‥‥‥先輩サイテー‥‥‥)  涙目になりながら、必死でその手を押しのけようとするのだが、潤太と大智とでは体格も力も差がありすぎて、まったく太刀打ちできない。残された潤太の抵抗といえば、後ろにまわした手で彼の肩をポカスカと叩くらいだった。 「斯波先輩に見られると困るから、ヤメてくださいよぉっ!」 「大丈夫、大丈夫。あいつはいま奥の準備室のほうでなんかやっているから、しばらくは出てこないって」 「そんな適当なことを云って、いまここに斯波先輩が来たら、俺一生大智先輩のこと恨みますからねっ!」  こうなった責任は双方にあるのかもしれないが、そんなことはうやむやにして彼に全部責任を(なす)りつけてしまえと潤太は叫んだ。すると一瞬大智が傷ついた顔をしたので、「しまった」と口に手をやる。 (俺、云いすぎた⁉)  そう思っても飛びだした言葉はなかったことにはできない。複雑な気持ちで唇を咬んだその時、突然、頭上の窓がガラッと開いて、潤太は大智とふたりして跳びあがった。 「なんかって、……僕は掃除だよ。大智、お前こそ、そこで何やってんの?」 「――っ⁉」 「うわっ!」  潤太がとっさに背中の大智の身体を押しのけると、彼は今度は簡単に離れてくれた。 「お前っ、びっくりさせんなよっ」  大智が文句を云ったその声の主に、潤太が思い当たるのはたったひとりしかいない。恐るおそる首を捻って頭のうえを見上げると、案の定、窓のサンに肘をついてこちらを冷めた目で見下ろしていたのは愛しの斯波俊明だ。 (斯波先輩っ⁉ なんでっ? ……最悪だ、どうしようへんなとこ見られたっ!)  潤太は顔を蒼くした。そんな潤太の耳に「はぁ……」と、大智の溜息まじりの声まで聞こえてきて、肩がびくっとなる。 「……俊明。いまいいところなんだから、お前ちょっと引っ込んどいて?」 (はい? 大智先輩、斯波先輩になんてこと云ってるの⁉)  諸悪の根源である大智がのうのうと云った言葉に潤太は絶句する。そしてつぎにあたりに漂いはじめた不穏な気配に気づくと、潤太は眉尻をたらして狼狽えはじめた。  まるでケンカを売るような大智の態度に、俊明が不愉快になっていないかと心配するが、俊明にはまったく大智のことを気に留めた素振りがない。そして見事に大智を無視した彼は、いつものやさしい笑顔とやさしい口調で、潤太に云ったのだ。 「で、吉野、なんで君はこんなところで、こんなことになっているのかな? 僕にちゃんと教えてくれる?」  笑っているのに、やさしく云ってくれているのに……。 (な、なんか……先輩、怖い……)  ぷるるっと震えた潤太は、そのまま蛇に睨まれたカエルのように固まってしまったが、頭のなかは俊明に求められた説明と云い訳を考えるために、目まぐるしくぐるぐるしだした。

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