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(10) 夏樹 1 強き者

ここ美映留市(みえるし)の繁華街にも、その名が知れ渡るディープな場所がある。 それは、男色を専門にした風俗街、通称『美男子通り』 その通りは、治安管理されている2番街と、無法地帯のなんでも有りの3番街が、メインストリートを挟んで対峙している。 2番街は、いわゆる優良風俗で”茶屋”が中心の営業形態。 店内で売子と話をつけ、そのまま部屋を取って色事を楽しむ。 そこには街の寄合が設定したプレイ内容や価格相場が決めてあり、お客にも売子にも安全で健全なお楽しみが出来るように工夫されている。 一方、3番街は、まさに男同士が一夜の出会いを求めて集まるハッテン場。 バー、公園、映画館等に愛好家達が集まり、好きな相手を見つけて行為に及ぶ。 しかし、これには当然トラブルが付きもので、常にいざこざが絶えない。 すでに警察からも見放されて久しく、品の悪いごろつきの溜まり場ともなっている。 さて、この『美男子通り』には、このような相反する二つの街組織が共存するため、いわゆる用心棒という仕事が生まれた。 つまり、2番街の売子やお客達を、3番街に住みつく品の悪い輩から守る仕事だ。 竹林 夏樹(たけばやし なつき)は、2番街に雇われた用心棒。 今年3年目のベテラン。 歳の頃は二十歳過ぎ。 体格は、決して大柄ではないが、小柄でもない。 しかし、長年柔道を続けてきただけあって、男らしい美しい筋肉の付き方をしている。 いわゆる細マッチョ。 顔は、小顔で釣り目気味の大きい瞳を持ち、小さめの鼻、薄めの唇。 ミステリアスな雰囲気がある一方で、あまり見せないのだが、笑うとくしゃっとした無邪気な笑顔になり人を惹きつける。 猫顔の部類に入るイケメンである。 そんな夏樹なのだが、およそ柔道という格闘家には見合わない容姿である為、一見強そうに見えない。 しかしながら、この界隈では『執行人・夏樹』と呼ばれる有名人で、夏樹の強さを疑う者は誰一人としていない。 さて、満月が綺麗なその日も『美男子通り』には、夏樹がパトロールする姿があった。 **** 「やべぇ、こいつ、執行人だ! 逃げろ!」 走り出すチンピラ達。 3人の内、ひとりは必死にズボンを穿きながら走るが、途中で転ぶ。 「ほら、忘れものだ!」 夏樹は、チンピラの片靴を拾うと、ポーンと投げた。 それは見事に命中した。 そのチンピラはつんのめって転んだ。 「くそ! 次あったら、只じゃおかないからな! 覚えておけよ!」 「ああ、いつでも相手してやる」 夏樹は、薄笑いを浮かべ、一目散に逃げて行くチンピラを見送った。 夏樹は、眼下に座り込んだ放心状態の男の子を見た。 一目で売子と分かる容姿。 整った可愛らしい女顔。 それに綺麗な肌。 2番街のお店の子で間違いない。 しかし、その姿はあられもなく、服の前ははだけ、ズボンとパンツは脱がされていた。 「大丈夫か?」 「は、はい……夏樹さん」 男の子は、差し出された夏樹の手を取って立ち上がった。 そして、冷静な様子で、すっと服を拾い上げ身なりを整え始めた。 夏樹は、その様子を横目で見守った。 (ギリギリアウトってところか……) 地面に飛び散った白い液体を見てそう思った。 **** 夏樹は、店に戻る道すがら売子に厳しく注意する。 「ったく、命があったから良いものを……いいか! 外のラブホを使うときはこっちの通りは使うなと言ってあるだろ?」 「ご、ごめんなさい。早くお店に戻りたいと思って……」 「まったく、危機意識が足りないぜ……」 「……ごめんなさい。夏樹さん」 しゅんとして縮こまる売子。 夏樹は、今にも泣き出しそうな売子を見て、ちょっと言い過ぎたか、と頭を掻いた。 「まぁ、いい……さぁ、ここまで来ればいいだろ、気を付けて戻れよ」 「は、はい……」 走り出す売子の背中を、夏樹はそのまま見送った。 そして、姿が見えなくなると、ため息交じりに呟いた。 「まったく、売子はいい気な物だぜ。まぁ、所詮、男を悦ばす以外の事は考えていないんだろうな……」 夏樹は、あまり売子の事を良くは思っていないのだ。 それは、色を売るから、という軽蔑の意味は含んでいない。 夏樹にも売子を毛ぎらう理由はよく分からないだが、見ていると無性にイライラする。 つまり、相性的なものだろう、と漠然と考えていた。 と、その時、夏樹の耳に悲鳴のような声が聞こえてきた。 「助けて!」 悲鳴か? 方向は、メインストリートの方。 夏樹は、思うより早く、駆け出していた。 **** 『美少年通り』のド真ん中で、何やら揉めている一団。 夏樹は、目を細めてその様子を観察した。 チンピラ風の男、売子、それに通りすがりに巻き込まれたと思われる大柄の男。 その他の通行人達は全くの無関心。 大柄の男は、叫び声の主と思われる売子の男の子に優しく問いかけた。 「どうしたんだ?」 「助けて下さい! その人、約束のお金を払わないでボクを連れていこうとするんです」 男の子は泣きそうな顔で訴えかけた。 幼さが残る美少年で、大男の上着の袖をギュッと握りしめる。 「おいおい、人聞きの悪い事を言うなよ。気持ち良かったら金は払う。そう言っているじゃないか? ひひひ」 チンピラは、そう気色の悪い笑い方で男の子に近寄ってきた。 すると、男の子は、チンピラから逃れようと大柄な男の背中に回ってしがみ付いた。 そして、顔だけひょっこりと出してチンピラに叫ぶ。 「嘘だ! ボクを騙しているんだ!」 「なんだと! ちょっと甘い顔をすれば付けあがりやがって! なぁ、そこのあんた。怪我をしたくなかったらその子をこっちに寄越しな!」 夏樹は、一連のやり取りを遠目で分析していた。 あのチンピラは、間違いなく3番街の住人。 おそらく、ショタ愛好家で、自分のシマではお目当てにありつけず2番街に手を出してきた。 そんなところだろう。 しかし、あのチンピラは、少しやるかもしれない。とも思った。 姿勢の良さと、脚の運び。 空手か何かの格闘技をかじっている。 それに、実戦慣れしているのか、動きに隙がない。 大男はすぐに逃げた方がいい。 夏樹は、そう思ってすぐに飛び出した。 ところが、すでに事は動いていた。 チンピラが大男に襲いかかっていたのだ。 「おら!」 踏み込みからのパンチ。 シュッ! 空を切り裂く音。 とても素人のパンチとは思えない。 (早い! やはり喧嘩慣れしている!) 夏樹は、自分の判断が遅かったか、と大男の身を案じた。 しかし、次の瞬間……。 夏樹は、驚きのあまり声を失った。 なんと、宙を舞ったのはパンチを繰り出していたはずのチンピラの方だったのだ。 チンピラの体は、大きな弧を描き地面に叩きつけられた。 ドーン! 大きな音を立てた。 何が起こったのか。 夏樹も、間近で見ていた男の子も呆気にとられた。 そして、投げ飛ばされたチンピラでさえ、理解できずにいた。 痛みに耐えながら、よろよろと立ち上がりながら言った。 「う、ううう……なんだ今のは? 体が勝手に……お、お前がやったのか?」 一方、大男は、何事もなかったようにチンピラに背を向けて男の子に話し掛けていた。 「大丈夫かい? 怪我はない?」 「……」 何が起こったのか分からずに口を開けたままの男の子。 チンピラは、その大男の態度にカチンときて言った。 「くそっ! この野郎!」 問答無用で再び襲いかかるチンピラ。 背を向けていた大男の目が一瞬キラリと光った。 ドーン! 地面に叩きつけられたのは、やはり殴り掛かったはずのチンピラの方だった。 今度は大男の動きをよく見ていた夏樹には理解できていた。 (合気道……) 夏樹は、そう呟いた。 合気道とは、相手の力を利用して攻撃する護身術。 しかし、ここまでの神業ごとき技のキレとなると、さすがの夏樹でも見たことがない。 大男は、倒れているチンピラを見下ろして言った。 「俺がこの子を買う事にした。お前は立ち去るがいい」 そう言うと、今度はしゃがんで男の子の手にお札を握らせた。 「これで足りるかい?」 男の子は呆然としながらも、コクリと頷いた。 チンピラは、横に転がり片膝を立てながら言った。 「て、てめぇ! ふざけた真似を! 後悔させてやる!」 チンピラは、懐からナイフを取り出した。 ナイフの柄から、刃がくるっと回転し、眩しく光った。 それを見た大男は、すっと男の子をかばうように自らの体に引き寄せた。 「大丈夫だよ」 男の子に呟く。 チンピラは、構わずにそのまま大男の背中目掛けて突っ込んだ。 「死ね!」 「あ、危ない!」 男の子の悲鳴。 大男に突き刺さるナイフ。 かと思いきや、間一髪。 そのナイフを持った腕は夏樹の手によって寸での所で取り抑えられていた。 「そこまでだ!」 夏樹の声。 そのチンピラは、固定された腕はどうすることもできずプルプルと震わせた。 そして、夏樹の顔を見て、悔しそうに呟いた。 「お、お前は……く、執行人……だと!?」 それからの夏樹の行動は早い。 まず、そのままチンピラの腕をぐいっと絡めとり、ナイフを手からおとさせた。 そして、襟を絞めながら言った。 「自分のシマに帰れ……いいな」 「ふ、ふざけるな……」 悔し紛れに口ごたえをするチンピラ。 「そうかよ……」 そう言うのと同時に、チンピラの腕を取った夏樹は、それは見事な一本背負いを決めた。 肘を固め、脳天から叩きつけるその投げは、受け身を完全に封じ込める。 チンピラは、一撃で脳震盪を起こし気を失った。 夏樹が編み出した実践型柔道……。 それは、いかに神がかった合気道とはいえ、比べようもない。 必殺の威力を有していたのだ。 夏樹は、手をパチンパチン叩いて、大の字で伸びたチンピラを見下ろした。 そして、吐き捨てるように言った。 「だから警告したんだ……バカな奴……」 **** 「あんた、ちょっと話をしないか?」 チンピラの後始末を終えた後、夏樹は大男に声を掛けた。 ところで、夏樹が他人に興味を持つことは非常に稀である。 一匹狼で用心棒を続けてきた夏樹は、誰かに頼ることも頼られることもない。 ただ、淡々と職務を全うする。 そんな夏樹をここまで思わせたのは何か? それは、夏樹がチンピラを投げ飛ばした直後の事……。 一時騒然とした乱闘劇。 緊張が解けた売子の男の子は、はっとして大柄の男に言った。 「あの、ありがとうございました! これ……」 手には先ほど大男によって渡されたお金があった。 しかし、大男は、その差し出した手を逆にギュッと握りしめ、こう言った。 「いいよ。取っておいで……怖かっただろ?」 男の子は、ポッと顔を赤らめ言った。 「あ、ありがとうございました!」 深々とお辞儀をする男の子。 大男は、そんな男の子の頭を優しく撫でてやっていた。 そのやり取りを見ていた夏樹は、この大男の懐の深さに感銘を受けた。 なんという男気……。 完全に巻き沿い食った挙句、金を出して心配してやる。 それは、あまつさえ、命を失う危険もあったのだ。 夏樹は、この男が見せた格闘術もさることながら、その人物に猛烈に興味を持ったのだ。 さて、路地裏に移動した二人は、どちらからとなく手を伸ばし、ギュッと固い握手を交わした。 夏樹は、嬉しさを隠せずに話かけた。 「強いなあんた。オレの名前は竹林 夏樹(たけばやし なつき)。ここらへんじゃ、『執行人』なんてよばれている……この街のゴタゴタを見回っている用心棒さ」 「執行人? たしか聞いた事が有るな……名前は夏樹というのか……ありがとう、助かったよ。俺の名前は高坂 拓海(たかさか たくみ)。拓海と呼んでくれていい。ところで、ずいぶん鮮やかな一本背負いだったな」 「ふふふ、そうでもないさ。拓海……あんたこそ見事だったな。あれは合気道だろ?」 「まぁな。見よう見真似ってやつさ」 夏樹は、拓海の顔を覗き見た。 (こいつ、本心か? 謙遜しているのか? あれだけの神業を持ってして……) 自分の腕をひけひらかさないのは、真の強者である証拠。 夏樹は、ますますこの拓海という男に好感を持った。 それで、お節介とは思ったが、拓海にある提案をした。 「で、拓海、お前、男を買いに来たんだろ? どんな子が好みだ。いい子を紹介するよ」 拓海は即答した。 「そうだな……お前はどうだ?」 「えっ!?」 夏樹は、拓海の答えに目を見開いた。 (この男は何を言っている? 冗談? 冗談だよな?) しかし、拓海の表情は真剣そのもの。 夏樹は、動揺しながら答えた。 「ば、バカを言うなよ」 「ん? なぜだ?」 さらに詰め寄る拓海。 「な、お前な、オレが客を取っているように見えるか?」 「……あれ、違うのか……そうか……それは残念だ」 「あははは……何処をどう見てオレが売子に見えるんだよ……冗談はよせよ……」 夏樹は、ごまかし笑いをしながらさりげなく拓海の顔を覗き込んだ。 その瞳は深い輝きを放ち、夏樹の事をじっと見つめて離さない。 トクン……。 あれ? なんだこれ。 体中が猛烈に熱い。胸が張り裂けそうだ。 (ちょ、ちょっと待て……マジでオレを抱きたいってこと……なのか!? ……って、自意識過剰か、オレは……) 夏樹は、この慣れていないシチュエーションに、顔を真っ赤にしてぶんぶんと横に振った。 **** 二人はこじんまりとしたショットバーに入った。 そこは、2番街の中心にあるお店で、情報収集がてらに度々立ち寄る夏樹の行きつけである。 拓海が、「ちょっと聞きたいことがあるんだが……」との依頼を受けて、夏樹はこの店に誘ったのだ。 店内は薄暗く、少しけたたましくアップテンポの洋楽が流れる。 内緒話にはうってつけの環境。 飲み物を注文した二人は、カクテルグラスを手に、さっそく本題に入った。 拓海の話に、静かに耳を傾ていた夏樹だったが、突然大声で叫んだ。 「人身売買だと!?」 「しーっ!」 拓海は、人差し指を口元に当てた。 「す、すまない……」 夏樹は周りを見回して素直に謝った。 拓海は続ける。 「……どうやら場所は、あの通りの向かいのラブホテル。あそこがさらった男の子達を一時的に集めておく場所のようなんだ」 「向いのラブホか……あそこは3番街だな。人身売買の連中にとって、もってこいの場所ではある……確かに、あり得るな……」 「そっか……」 拓海は、腕組みをしながら考え事をしているようだ。 夏樹は、拓海の方に顔を寄せて囁いた。 「しかし、気を付けないと危ないぞ……乗り込むのか?」 「いや、俺はその先を知りたいんだ。あそこからどこへ連れていかれるのかを。根城を暴きたい」 「なるほどな……で、張り込みをしているってわけか……じゃあ、何かおかしな事に気が付いたら、お前に知らせればいいんだな?」 拓海は、頷きながら、すっと懐から写真を取り出して夏樹に見せた。 そこには、双頭の蛇のマークが写っていた。 それを見た夏樹は首を傾げた。 「ん? 何だこれは? 蛇?」 「『双頭の蛇』 そう呼ばれている。この組織のコードネームだ」 「ほう、『双頭の蛇』ね……」 「こんなマークがあったら、間違いない。怪しいトラックか何かを見かけたら俺に連絡をして欲しい。きっとそれが手掛かりになると思う」 「双頭の蛇か……オーケー! 何か気がついたら連絡するよ」 「助かるよ、夏樹。お前に相談できてよかったよ」 ありがとう、とにっこり笑う拓海。 トクン……。 う、まただ。その目……。 夏樹は、さりげなく目を逸らしてカクテルを口に注いだ。 (落ち着け、オレ。こいつに、そんな気がある訳がねぇ。気のせいだ、気のせい。オレみたいなのを求めてくる男がいる訳がない。そう、オレは売子達とは根本的に違うんだ) 夏樹は、筋肉が盛り上がった自分の腕をチラッと見た。 柔道で培ったその腕は、戦にこそ向いているが、男を喜ばすのには向いていない。 売子のほっそりした美しい腕とは雲泥の差。 そう、誰も望むわけがない。 夏樹は、そう自分を納得させ、胸の高鳴りを必死に抑えようとした。 **** 店を出た二人は、再び再会を約束して握手をした。 そして、夏樹は去り際に拓海に声を掛けた。 「なぁ、拓海……」 「ん?」 「あんたは探偵っていったな? 警察でもないあんたが何故こんなヤバそうな事件に首を突っ込んでいるんだ?」 「何故かか? 何故だろうな……ふっ、俺は困った奴は放って置けないたちでな。たぶん、そんなお節介みたいなものだ。ははは」 「ふふふ、放って置けない……か。そっか……オレたち気が合うかもな」 おそらく命がけになるだろう事件を『お節介』でと、軽くいう男。 そして、なんとも言えない、眩しい笑顔を振りまく。 これで、惚れないわけないだろ? 男としてな。 夏樹は、そう自分に言い訳をした。 その時、突然、夏樹は、体がふわっと何か温かいもので包まれる感覚を得た。 気がつくと、拓海の腕の中。 そう、夏樹は、拓海に抱かれたのだ。 え!? 夏樹は、一瞬驚きで声を失った。 しかし、夏樹の期待とは異なり、拓海は、夏樹の背中をパンパンと叩いた。 「そうだな……夏樹。俺達は気が合いそうだ」 夏樹は、少し落胆したが、すぐに夏樹も拓海の背中を叩いた。 「だな……」 拓海の後ろ姿を見送る夏樹。 今でも心臓の高鳴りは収まることを知らない。 夏樹は、振り返って持ち場に向かって歩き出す。 そして、独り言をつぶやいた。 「オレは、こんな男に今まで出会ったことがない……だから、しょうがないよな、夢見てしまっても……」

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