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12. 九月になっても

やらしい、気持ちいい、死にそう、と途切れ途切れに吉村さんが繰り返し、そのうち、もうだめ、と言い出す。 「もう少し、しませんか」 彼は首を横に振り、だめ、と呟く。 「どうして」 「死にそ」 「死なねーけどなあ」 「だって、こんなんなったことないもん、やだ、もう、怖い」 やだ、もう、怖い、という声が、俺が突き入れるのに合わせて揺れ、どうしてそんだけエロいことが言えるんだ、と俺は夢中になりながら苦笑いする。彼はその気配に目を開けて、何笑ってんだ、と言おうとしたのだろうが、言えない。 九月になっても、木戸に黒い影が差すのは変わらない。 吉村さんは、何も見えないと言い張った。 石で組んだ二十段に満たないほどの階段を登って、木戸の前まで行くとか、開けるとか、そういうことをしてもいいわけだが、吉村さんの家に向かう時は、木戸が目に入らないように顔を伏せて坂を登った。 家を出る時には、小さな門を出てから、ちらりと見上げるだけだった。 「怖いからか」 と吉村さんが聞く。 「怖いというより、わざわざ荒らしに行くこともないかと思って」 「なるほど」 吉村さんはソファーに寝転がり、俺は床に座って彼の顔を眺めていた。 「あの影より、吉村さんの方がよっぽど怖いですよ」 「ん?お前、駅でも言ってたな」 「誘惑してくるから、こええ」 「誘惑はしてないだろ」 半分開けた窓から夕方の涼しい風が吹き込み、レースのカーテンがはためく音とひぐらしの鳴く声が重なって聞こえていた。 「したでしょ」 俺に視線を移し、また天井を見上げてから、吉村さんは気だるそうに目を閉じた。軽く開いた唇に指で触れたいという衝動を堪えて、俺は左右の手を握り合わせた。 「吉村さんて、本当は女性が好きなんですか?」 彼は目を閉じたまま、 「本当は、って何だ」 と言う。 「モテるだろうし」 「……学生の頃、好きな女の子がいて、しばらく付き合ったことはあるな」 「へえ」 「女としたことあるかって質問?」 「どちらかと言えば、そうでした」 「あるよ」 答えてから、吉村さんは、目をぱっちり開けて俺を見た。 「なんでそんなこと知りたいんだ」 「すみません」 知りたいことはたくさんあった。これまでどんな男と寝たんですか、どうして俺を誘ったんですか、俺のことをどう思ってるんですか、と片っ端から煩く質問しても、彼は答えたり答えなかったりするだろう。 そして、彼が言葉で何を言ったとしても、俺は満足しないだろう。 ネットでいくら彼の情報を読んでも、満足できなかったように。 誰も知らないこの人を知りたい。 人は底まで暴けば皆同じだとどこかで読んだ気がするが、荒れ野で朽ち果てた骨を見てもこの人だとわかるぐらい、この人を暴いてしまいたかった。 彼の胸を開くと、奥にめちゃくちゃにこんがらがった不思議な仕掛けがあるはずだ、と俺はふと思いつく。 仕掛けは、巨大な知恵の輪に似ている。肋骨の代わりに複雑に絡み合って、金属でできているようなイメージだ。 俺の中にも、彼のよりは単純な作りの仕掛けがあるとして、自分の胸を切り開き、彼の仕掛けにガチャンと連結させるところを想像した。 胸のあたりで繋がって、決して解けない知恵の輪。二つが一つになり、離れられなくなる。 「セックス、好きですか?」 白昼夢を心の隅に押しやって俺は質問する。吉村さんは噴き出した。 「深刻そうな顔で聞くことか」 「いや、マジで。俺とするの大丈夫ですか?いやじゃない?」 そう言いながら、結局、人差し指で彼の唇に触れた。くすぐったそうに俺の指を振り落とした吉村さんの顔は薄闇に溶け出すようで、瞳だけ輝いていた。 「いやそうに見える?」 「全然。すごく気持ち良さそうに見える」 俺は彼の髪に指を差し入れ、形のいい頭蓋骨を掴んだ。唇を重ねると、吉村さんが絡めてくる舌は甘い味がした。口の中を舌先で擽りながら、彼の吐息を数えるように聞いている。途中で、彼は唇をそっと離す。 「店閉まる前に飯食いに行こう。お前今日帰るんだろ」 「帰ります」 吉村さんは、男とセックスしたことはあると言いながら、全く慣れていなかった。俺はあっという間に彼にのめり込んだが、吉村さんも多分、俺というより、俺とのセックスに夢中になった。 焦りに似た不安感が少しずつ増していく。 会計の時、レジの女性が、久しぶり、と吉村さんに声をかけた。 「こんばんは、珍しいね、夜いるの」 「そうなの、うちさ、今度娘が結婚することになったのさ。で、引っ越しちゃうんだって。はい、四千六百八十円でございます」 俺が財布を手にしていたので、彼女は金額を俺に伝えながら、にっこりと笑った。 「そういえば、お嬢さん今日いなかったね。もう結婚かあ」 「だから、また私が夜に手伝う羽目になりまして」 「でも、おめでとうございます。どこに引っ越すって?」 二人が話すのを聞きながら、五千円札を革製のトレイに置く。彼女はレジを打たずに取り出した硬貨をトレイに載せ、 「そういえば、この間、宮田くんが来たよ」 と言った。 「え、圭悟?」 と吉村さんの声の調子が変わった。 「先々週かな。ランチの時間に」 「ふーん。奥さんと?」 「一人で、仕事だって」 「こっちに来ることあるんだな」 「会ったりしてる?」 「いやー、ずっと会ってない」 お釣りをしまい込んだ俺が突っ立ってるのを見て、女性は何となく微笑を浮かべて、 「前はよく、この人と二人で来てたの」 と言った。 店を出て階段を下りながら、吉村さんがご馳走さま、と言った。 「いえ、いつも出してもらってるので」 吉村さんは振り返って、俺を見上げた。 「気使わなくていいよ。気にするほど大したもの食わせてねえじゃん」 「今の、宮田圭悟の話ですか?」 「うん、そう。知ってる?」 「はい、元々は大学で」 「そうだった」 少し前に映画の主題歌がヒットしたので、宮田圭悟の名前はある程度世間に知られたが、彼と吉村さんは大学時代、同じ音楽サークルで二人で歌っていた。当時、学祭のライブの中の一曲がネットに流れて、人気があった。 学祭より前だったか後だったか、音楽サークル主催のライブのポスターに使われていた宮田圭悟と二人の写真を、俺は吉村航介の名前と一緒に記憶していたのだ。 誰もいない細い路地を抜け、線路脇の暗い道を吉村さんと俺は歩き出した。駅のプラットホームが白い光に照らし出されて、先の方に見えていた。 「あのお店、よく行かれるんですね」 「うん、俺が中学の頃に出来たから、もう二十年近く通ってるか。神崎とも何度か行ったかな」 「宮田さんも、この辺に住んでたことがあるんですか?」 「え?」 「前に二人でよく来たって、さっきの人が言ってたので」 「ああ。彼女、一応店長なんだけど、あんまり店にいなくてな」 吉村さんは、いつも持っている布の大きなバッグを俺の側から反対側の肩に掛けかえた。 「圭悟と来てたのは、それこそ大学生の頃な。休みの間に俺んち来たりしてたから、その時だろ。昔だよ」 吉村さんと寝た男は宮田圭悟じゃないか、と俺は思っていたが、それこそ聞いても無駄だろう。

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