3 / 8
第3話
*
コウの仕事は調達屋だ。
朝のミルクから大陸間弾道ミサイルまで、客の要望に応じてなんでも調達する。
調達屋の真似事を始めたのは、子供の頃だ。最初は、近所の足の悪いじいさんの煙草を買うおつかいをしたり、妊婦さんの代わりに重い荷物を運んだりして小遣い稼ぎをすることから始まった。
それが長じて、十八歳で独立してから本格的に調達屋の看板を掲げた。いまのところ仕事は順調だ。金になる仕事もあれば、ならない仕事もあるが、一人で生活して、死んだ時に最低限の葬式を挙げるくらいの貯金はある。
ランニングの終盤、角を曲がれば目的地の孤児院だ。その手前にある顔見知りのカフェでコーヒー豆を挽いてもらい、新鮮なミルクとクロワッサンとカップケーキを買う。朝のパンとミルクを孤児院まで届けるのが調達屋の仕事であり、毎朝の日課だ。
荷物を片手に孤児院までクールダウンしながら歩く。孤児院は角を曲がって三軒目、フレンチコロニアル様式の建物だ。可愛らしい庭とブランコ、真っ白の壁に赤い瓦の三角屋根が特徴的で、風見鶏が回っている。
コウも、この孤児院の出身だ。十歳の時に家族が亡くなって、十八歳で独立するまで世話になった。
「まいど~調達屋です。サティーヌ、ミホシ、おはよ~」
午前七時十分、コウは預かっている合鍵で家に入り、声をかける。
孤児院を経営しているのは齢八十を過ぎたサティーヌという人間の老女で、ミホシというのはここで世話になっている狐の獣人の子供の名前だ。
サティーヌは、体力的、年齢的、病気がちであることを理由に孤児院の閉鎖を決定していて、面倒を見ていたほとんどの子供たちに里親を探し、一人一人に信頼のおける弁護士や後見人を世話し、現在は最後の一人であるミホシと一緒に暮らしていた。
コウは、毎日昼過ぎまで孤児院で過ごす。サティーヌの代わりに郵便物や役所の書類をチェックし、朝食の支度をしつつ洗濯物をして、現在は空き部屋となった子供部屋や生活空間の掃除、敷地の保全といった雑事全般をこなす。
ほかにも、昼食と夕食の買い出し、その日によって異なるサティーヌに頼まれた用事を済ませ、三人で昼食を食べる。
昼からは福祉施設から通いの看護人が来てくれて、サティーヌの健康状態の確認や入浴介助をしてくれるから、その人たちに引き継ぎをして、コウは家へ戻って着替えて自分の仕事に出かける。
夜は近所の人かヘルパーが通いで来てくれる。午前中にコウが買っておいた材料で夕食と翌日の昼食を作り、火の始末と施錠をしてくれる。毎日決まったルーティンだ。
コウも、可能な限り孤児院で過ごすようにしていて、昼夜を問わず顔を出し、時には寝泊まりして、ここから仕事に行くこともあった。
特にここ一年くらいは自宅ではなくほとんど孤児院で過ごしていて、着替えやなにやらを置いているものだから、サティーヌにも「あなた、ここを卒業したのに、またここの子になったみたいね」と頭を撫でられることがままある。
昨夜は仕事に疲れて眠気に抗えず、実に一ヵ月ぶりに自宅の寝床で寝落ちした。
「……ふぁ、ぁあー……」
台所に入ってミルクやパンをテーブルに置き、大きく伸びをしながら洗面所で手洗いうがいをして顔も洗う。
台所に戻ってくると、戸棚に置いてある小箱の鍵を開けて、サティーヌが薬を飲んでいるか確認し、今日三回と就寝前に分けて飲む薬を小分けにして入れる。鍵付きの小箱に入れているのは、子供のミホシが間違って飲まないようにするためだ。
電気ケトルでお湯を沸かし、コーヒーメーカーをセットして、オーブンでクロワッサンを温め直し、レンジで一人分のミルクを温めつつ、食器の支度をする。
七時半にミホシとサティーヌを起こしに行って、八時からサティーヌの部屋で三人で朝食を始める。朝食を用意する合間に洗濯物の下洗いをして、郵便物の確認も行う。完璧にこなせて当然のことだが、完璧にこなして時間を節約したら、ミホシと遊んだり勉強を見てあげる時間を増やせる。
「ミホシ、おはよう。そろそろ起きな」
二階のミホシの部屋をノックして、声をかけた。
「うん、……みほし、起きる……」
扉の向こうから眠たげな声が聞こえてくる。
まだ四歳だけれど、ミホシはしっかり者で、着替えと朝のトイレが自分でできた。
「サティーヌ、おはようございます」
廊下の奥の扉をノックする。
一度の呼びかけで返事がなければ部屋に入って起こしてちょうだい。……というサティーヌの言いつけどおり、コウは「入りますよ、サティーヌ」と声をかけてサティーヌの私室に足を踏み入れる。
白いレースとフランス刺繍のファブリックやフランス家具に囲まれた部屋だ。サティーヌは庭で摘んだ花を飾り、窓辺のテーブルに置いたタブレット一枚で孤児院の経理から趣味のこと、株の取引までこなしていた。
この部屋の風情は、栗色の巻き毛の少女のようであり、生存能力の高い百獣の王のようでもあった彼女の気風をそのまま表していて、いつも明るく温かで、どこか芯の強さを感じる趣があった。
「サティーヌ……」
衝立の向こう、白いシルクシフォンの天蓋に覆われた寝台。
サティーヌは、そこで、眠るように亡くなっていた。
実に几帳面で気高く美しい彼女らしい。胸の前できちんと両手を組んで、ゆるく結わえた三つ編みを左肩から胸もとへ流し、白い寝間着と寝具を乱すことなく、永遠の眠りについていた。
ともだちにシェアしよう!