6 / 8

第6話

       *   十日ほど孤児院で過ごした。  その間に、アンリたち大人とミホシ本人の意見を聞いて、コウがミホシを一時的に引き取ることになった。 「この家で暮らせばいい」  孤児院で暮らすことをアンリは提案した。  コウも、間借りしている家に、しかも家主の職業が金融業の家に子供を連れていくのは如何なものかと考えた。もしかしたら、ウェイデを逆恨みした債務者が自宅に火を放って火事……なんてこともないとは言い切れない。 「あの黒獅子、自宅で仕事はしとらん。外に事務所を構えているし、自宅の場所も公開していない。その点は確実で、安全だ」 「そうなの? アンリ、詳しいね」 「……まぁ、狭い町、狭い業界だ。いろいろとある」  アンリは言葉を濁したが、五年前にコウがいまの家に住むと決まった時、家主について調べたのだろう。その後も、定期的にウェイデの身辺調査をしているに違いない。 「アンリも過保護だよなぁ」 「言っておくが、俺が調べたんじゃないぞ。初めてのお前の一人暮らしにあたり、金貸しが家主では兄貴分や姉貴分である俺たちが不安だろうからと、あの黒獅子が勝手に情報開示してきたんだからな」 「…………」 「それはもうまるで結婚を前提にお前とお付き合いするかのように俺のところへ挨拶にきて、身上書を見せてきた。ちなみに、こちらでも改めて調べたが、嘘は書いていなかった。以後、定期的に向こうから資産状況の開示と今後の将来展望についての報告がある。その点、あの黒獅子が誠実なのは認める」 「…………そ、そんなことしてたんだ、あの人……」 「なぁ、本当にお前とあの黒獅子はなんの関係もないのか? そういう関係じゃないのか? 怒らないから言ってみなさい」 「ちがう、ちがう、なにもない……。ほら、獣人って一度でも懐に招き入れた奴は可愛がるって言うじゃん? たぶん、その習性だと思う」 「だが、ママ・サティーヌはあの黒獅子をクリスマスやバースデーパーティーに招いた。てっきり俺たちはいずれお前たちがそういうことになるのだと……」 「ち、ちがう、ちがう」 「お前にそのつもりがなくても、あの男のほうはそれとなく外堀を埋めて、囲い込みに入っているのではないか? それに、お前からはあの黒獅子の匂いがうっすらと……」 「それはっ! ……えっと、……それは、同じ家だから……」 「…………」 「とにかく、いまは俺のことじゃなくて、ミホシのこと!」  ミホシを口実にして、まだなにか言いたげなアンリから逃げた。  結局、ミホシが「こーくんのおうちに行きたい。ママ・サティーヌとそうお約束しました」と言ったことが決定打で、コウの自宅へ連れ帰ることになった。  生前のサティーヌも、「もしかしたら、私の死後、あなたのお宅でコウと一緒にミホシもお世話になるかもしれません」とウェイデに頼んでいたらしい。コウは知らなかったが、ミホシのことを話し合う都合でウェイデに連絡をとると、「ああ、マダム・サティーヌから話は聞いている」とウェイデは二つ返事でミホシの来訪と居住を受け入れてくれた。 「よいしょ……っと。ミホシ、荷物持ったか?」 「うん」 「忘れ物してもすぐに取りにこれるから、心配しなくていいよ」 「だいじょうぶ」  背中に小さなリュックを背負ったミホシがコウの腕に抱かれて、こくんと頷く。  いつもはしっかり者で「一人で歩ける」と言ってきかないミホシも、さすがにサティーヌが亡くなったことで心細いのか、ずっとコウにべったりで、この十日間ほどはカンガルーの親子のようにくっついていた。 「表通りに出たら、タクシー拾おうな」  左腕にミホシを抱えたコウは孤児院の門を施錠して、右手で大荷物を提げ持つ。 「にゃんこのおじちゃんたちは?」 「今日は平日。みんな仕事があるんだ」  自宅まで車を出してくれるとみんなが言ったが、今日までの話し合いなどで何度も休みをとってもらったし、走って一時間の距離の家へ帰るだけだからと送迎を断った。 「……こーくん、にゃんこがいるよ」 「アンリは仕事だよ」 「ちがうよ、アンリと違うねこちゃん」 「……違う猫?」  コウが振り返ると、目の前に大きな車が停まって、ウェイデが降りてきた。 「黒いねこちゃん」 「アレは猫ちゃんじゃなくて黒獅子だ。……ウェイデ、どうしたんです?」 「迎えに来た」 「迎えに来る約束してなかったですよね」 「してなかった。だが、十日もまともに姿を見ていなかったから……」  ウェイデはコウの荷物をさりげなくその手に持ち、後部座席に運び入れる。 「心配性だ。……けど、いつものことか」 「そう、いつものことだ」 「仕事で十日くらい留守にすることはザラだし、ウェイデ、俺のスマホにGPSぶっこんでるから居場所も特定できるでしょ? そもそも、ウェイデの携帯電話に俺のバイタルデータ、五分とか十分おきに送られてるし……」 「それはそうなんだが、十五分ほど前に充電が切れた」 「あ、ほんとだ」  コウは尻ポケットの自分の携帯電話を確認して充電が切れていることに気づく。 「孤児院の固定電話に連絡をとも思ったんだが、それより先に車を走らせてお前の安全確認をしたほうが早いと思ってな。……おはよう、仔狐君。俺のことは覚えているだろうか? 五年前からママ・サティーヌのバースデーパーティーとクリスマスパーティーにお邪魔している者だが……」  ウェイデは背を曲げ、尻尾をゆらゆらさせてミホシに挨拶する。 「おはようございます。ミホシ、ウェイデのこと覚えてます。毎年、みんなのお誕生日とママ・サティーヌのお誕生日、それと、クリスマスにプレゼント持ってきてくれる真っ黒の黒猫サンタさんでしょ? あとね、こーくんが暮らしてるおうちで一緒に暮らしてる人」  ミホシは尻尾を振って挨拶を返す。 「覚えていてくれて嬉しいよ。……ところで、そのリュックには大事な物が入っているかな?」 「リュックには、サティーヌのお写真が入ってます。ミホシの玩具も入ってます。だいじです」 「では、君の席の前に置こう」 「うん。ありがとう」  ミホシは背中のリュックを下ろすのをウェイデに手伝ってもらい、「初めての車だと車酔いするかい?」「しません。お外を見てます」と尻尾と尻尾で遊んでもらって楽しげにしている。 「ミホシ、後ろの席に座ろうな」  ウェイデが荷物を置く間に、コウはミホシをチャイルドシートに座らせた。  昨日、家へ連れ帰ると電話したからか、ウェイデは朝一番で早速チャイルドシートを買って設置してくれたらしい。 「領収書回してください。経費で落としますから」  運転席に回るウェイデに、そっと耳打ちする。 「不要だ。こちらが勝手にしたことだ」 「俺もサティーヌからちゃんと依頼料もらってるから、そういうとこはきっちりしたいです」 「……分かった」 「どうも」  コウの性分を分かってくれて、ウェイデはあっさり引き下がってくれる。  コウは「俺、後ろに座っていいですか?」と断りを入れて、助手席ではなく後部座席のミホシの隣に腰を下ろした。 「出すぞ」  ウェイデが声をかけて車が出発する。 「こーくんのおうち、初めて。うれしい」 「なんで俺の家が良かったんだ?」 「こーくん、いつも、おうちのお庭がきれいでだいすきって言ってたから」 「庭が見たかったのか?」 「ううん。ミホシにお庭のお話してくれるこーくんがにこにこしてるから、ミホシも一緒にお庭のあるおうちで暮らして、にこにこしたいって思ったの」 「そっかぁ……」  そうか、俺は庭の話をする時ににこにこ笑ってたのか。  不思議だ。確かに、あの庭は見事で気に入っているが、自分ではちっともそんなつもりなかったのに、笑っていたらしい。 「こーくん、ミホシとずっといっしょにいてね」 「大丈夫、ずっと一緒にいる。お前とずっと一緒にいてくれる家族も見つけるから安心しろ」  隣の席から腕を伸ばしてミホシの頭を撫でる。  真っ黒な癖のない髪と、真っ黒な狐耳と尻尾。ミホシのこれを受け入れてくれる家族を見つけるのが当面のコウの仕事であり責任となった。

ともだちにシェアしよう!