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第5話 高校最後の一年

 それから、俺たちは3年になった。  あの日の事は、俺だけが忘れられないまま、日々は過ぎていった。  いつものように教室にいる夕輝のところに行く。 「終わったぞ、帰ろうぜ」  夕輝は、携帯で音楽を聴いたまま、居眠りをしていた。  静かに腰をおろして、片耳からイヤホンを外し、自分の耳に入れてみる。  開けた窓から入る夏風で、ワイシャツの袖と、髪が揺れた。  気持ちよさそうに目を閉じている夕輝を見て、蒼空は顔が綻んでいた。  もう少しだけ、このまま……  耳から入って来る、夕輝が、好きだ、と言っていた音楽を聴きながら、頬杖をつく。  ひぐらしの鳴く声が聞こえる。  だんだんと、夕陽に染まっていく教室を眺め、幸せを感じた。  お互いが、想っていた事は、自分だけが知っていればいい。  すぅっ、と伸びた指先に触れ、爪を撫で、目を細めた。 「……ん。終わったのか?」 「いい曲だな」 「だろ?」  物足りない笑顔。  寝ぼけ眼で目を擦る夕輝は、机の上に散らかした紙をまとめていた。  その時。  ゴロゴロ、と遠くで雷が近づく音が聞こえた。 「やっべ! 降る前に帰ろうぜ!」 「間に合わねぇって」  帰る途中で、案の定、夕立に見舞われる。  だけど、雨は温くて、2人ははしゃぎながら走っていた。 「あのさ」 「ん?」 「俺、東京の学校に行く事にした」  バス停で、雨宿りしていると、夕輝がポツッと、零した。  夕輝がさっきまとめていた紙は、東京の学校だった。 「そっか……」  息苦しい。  咽せかえるような熱気。  透けるシャツが、ぺっとり、と夕輝の肌に張り付いている。  掻き上げた髪から、水滴がしたたって首筋を伝い、湧いてきた感情に、俺は、思わず夕輝の肩を掴んでいた。  初めて感じる、柔らかい唇の感触と、汗と混ざったシャンプーの匂い。 「やめろ……!」  俺を突き飛ばして、目を見開いていた後、逃げるように走っていく夕輝の背中を、苦しくて……ただ、黙って見ていた。            ※    最後の一年。  そう、思っていたのに、あれから夕輝は俺を、避けるようになった。  1人で帰る、路。  それでも、想いは、なくなりはしなかった。  関係は修復できないまま、2人とも試験の時期を迎え、そして受かった。  卒業式までは、もう少しある。それまでにはどうにか関係を戻そうと思っていた頃、世砂が話しかけてきた。 「そんな怖い目で見ないでよ。もう、蒼空くん。椋野くんしか見えてないんだもの。私、諦めたんだから」  前の席に座り、世砂は足を組んだ。 「でも、私だったら、遠距離恋愛なんて無理だな」 「遠距離恋愛じゃない」 「なんで? 両思いだったんじゃないの?」 「夕輝は、もう、俺をそういうふうには思ってない」 「そういう事か……なんで、ここにいるのかと思った」  世砂が、ため息をついた後、机を叩いた。 「いいの?! 椋野くん、今日、東京に行くんだよ?」 (嘘だろ……!)  俺は、鞄も持たずに、教室を飛び出していた。

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