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第25話
「はぁ、会社の子ね」
「・・・」
「駄目なんじゃないの、それは。ウミちゃん、珍しくそんな詰めの甘いことしてるんだなぁ、らしくない」
「・・・―――」
そんな風に土岐田が呆れたみたいに言うのに、天海は俯いて何も言い返すことが出来ずに、何杯目かのジントニックを飲んでいた。取り敢えず強引に織部には一万円札を握らせて、店から追い出したのがさっきのこと、かかないで良い汗をかいてしまったと思いながら、それを見られたのが土岐田で良かったと天海は心底思った。土岐田は天海と同じ、aquaの常連客で、天海が土岐田のことをタチと勘違いして話しかけたのが切欠で知り合い、土岐田が妙に懐いてくるのでそれを邪険に扱えない天海と徐々に仲良くなり、今では時々飲む間柄になっていた。そもそも天海のそういうことへのセンサーは驚くほど優秀であったから、今までタチネコを間違えたことはなかったし、それこそ織部みたいに追いかけ回してくるような変な男を捕まえたこともなかった。だから、土岐田は何となく特別な感じがすると、天海は密かに思っている。
「しなきゃばらすって脅されたんだ、だから仕方なく」
「あー・・・それはなかなか、何とも言えない選択。写真でもあったの?」
「いや、なかったけど」
「なら人違いで押し切れたんじゃない。やっぱ詰めが甘いよ、ウミちゃん」
呆れたように土岐田が笑って、確かにそうだったと天海は思った。あの時は柴田のことと氷川のことが重なって、心身ともに疲弊していて、いつもなら軽口だと言ってかわせたかもしれないけれど、そういう些細なストレスがきっと降り積もって、天海の足を鈍らせて、判断能力を削っていた。それを今さら土岐田相手に言ったところで、何ともならないのは分かっていたので、天海は黙って俯いていた。土岐田の言っていることは全部正論で、自分の言おうとしていることは全部言い訳で、それが何だか嫌だったから口には出せなかった。楽しいはずの飲みの席で、どうしてこんなに塞いだ気持ちでいるのかも、天海にはよく分からない。いつもは美味しいはずの、天海の内部を潤してくれるはずのジントニックも、段々味がしなくなっている。
「一回きりのつもりだったけど、いつもみたいに。でもなんかよく分からないこと言われて・・・付きまとわれて困ってる」
「・・・みたいだね。ウミちゃんのあんな困った顔はじめてみたよー、あんな顔できんだね」
言いながらまた土岐田が笑う。何が可笑しいのかよく分からなかった。あんな顔ってどんな顔なのだろう、表情筋の硬い天海にはよく分からない。ちらりと隣に座っている土岐田を見やると、土岐田はそこで何故かにやにやしている。そういえば、土岐田はさっきからずっと笑っていた。
「なんだよ」
「いや、こんなところまで追いかけてきて、必死だね、彼も。かわいいじゃん」
「・・・鬱陶しいの間違いだろ、欲しいならお前にやる」
「いやいや、俺もっとかわいいのが好みだし」
「さっき可愛いって言っただろ」
「見た目の問題、ね」
言いながら何が面白いのか天海には分からないがにこにこ笑って、土岐田はピンク色のカクテルを飲んだ。ここで出会う男たちは皆、ウミちゃんの欲求を満たしてくれたのに何故だろう、どうして同じようにしたはずだったのに、織部が今までの男たちと全く違うのか、天海にはとても理解できなかった。俯くと勝手に溜め息が出てきて、相当参っている割に、ストレスが溜まっている風でもないし、しかしこの焦燥する感じは何なのだろうと考えているうちに、また溜め息が出てくる。
「ウミちゃんのことだからまた情熱的なセックスしちゃったんでしょ、ノンケに変なこと教えるなよー、可哀想だろ。戻れなくなったらどうするんだよ」
「・・・情熱的ってなんだよ、いつも通りだ。それに自分でちゃんと慣らしたし、わざわざ騎乗位にしてやったのに」
「わー・・・なんかもう・・・色々駄目だな、このひとは・・・」
「何が駄目なんだよ。これでも俺なりに気を遣ってやったのに」
「それが裏目に出てるんじゃない、ご愁傷様」
あははと土岐田が笑うのを聞きながら、天海はジントニックを飲み干した。いつも幾らアルコールを入れても酔っぱらう事なんてできないが、今日は別の意味合いで頭が冴えていた。カウンターに置いていたピースの箱から煙草を取り出すと、それに火をつけて煙を肺の中に入れる。それでもゆらゆらと揺れ動く神経が、まったく凪いでくれる気配がなくて、天海はもうずっと困っている。
「それなのに今度はセックスしなくていいとか言い出して、もう訳が分からん」
「好きなんでしょ」
「・・・は?」
今までずっと笑って茶化していたのに、急に土岐田は静かな音でそう言って、天海は苛々したままそれに半ば喧嘩腰で返事をした。隣でニヤニヤしていたはずの土岐田は、真面目な顔をしてじっと天海を見ていた。痛いほどの視線に、天海はそれを反らしてしまいたくなる。
「火をつけてやった責任を取ったほうが良いんじゃない」
「・・・そんなことあるわけない。アイツのあれは好奇心だ」
「そうかなぁ、好奇心でこんなとこまで追いかけてこないよ、フツー」
言いながら土岐田は目を伏せて、飲んでいたカクテルグラスの飲み口を指でついっと触った。土岐田まで、気を許している土岐田にまで、そんな天海には理解しがたいことを、言って欲しくはなかった。けれどそれを土岐田にどう伝えればいいのか、天海には分からなかった。何故、今まで散々色々言われて迷惑だと思って振り切っていたのに、それを一度見ただけでそんな風に言い当てるみたいなことができるのだろう。頭の悪い妄想だ、そうやって天海は土岐田に言うのを、何故か足踏みしている。
「結構かっこいい顔してたから女の子にモテないわけじゃないでしょ、それなのにあんな風に追いかけてくるなんて本気なんじゃない」
「そんなこと有り得ない」
「・・・ウミちゃん、俺前から思ってたんだけどさー・・・」
その後、土岐田が何を言うつもりだったのか、天海は何となく想像が出来た。土岐田は都合が悪くなるとこちらの目を見なくなる癖がある。その時も視線が外れていたから、多分どちらかじゃなくて双方にとってそれは、都合の悪い話だったのかもしれない。
「俺は誰のことも好きにならないし、好きになってもらう権利なんかない」
「そんなことはもういいから、こんなことをしてるんだろ」
土岐田は黙ったまま、俯いて静かにそう呟く天海の頭をぽんぽんと撫でた。
「ウミちゃん、俺、前に言ったと思うんだけどさ。なんでそんなに刹那的なの、自分のこともっと大事にしたら?」
「・・・別に投げやりになってるわけじゃない」
「そう?俺には投げやりになってるみたいに見えるなぁ、もうずっと」
「・・・」
「自分のこと大事にして、自分のこと好きだって言ってくれる人のことも、おんなじように大事にしてみなよ」
俯いて土岐田が諭すように言ったことを、天海はきっと何年経っても思い出すだろうと思った。その時の店のライトの色も、皮膚が感じた温度も、飲んでいたジントニックの味も、ピースの甘い匂いも。
「それはきっと、そんなに悪いことじゃないと思うよ」
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