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青い花柄のワンピース Ⅰ

何の会話の流れだったのか、もう忘れたけれど、彼女がもう長いこといないと言っていた須賀原のために、じゃあ合コンでもしようかと言ったのに、そういうことを嫌悪していそうなくせに、輝いた眼でマジでと迫られたので、今日に至っている。そんな風に今日に至るまでの経緯を考えながら、織部は斜め前の席で須賀原がもう酔っぱらっているのか、やや赤い顔をして俯き加減で何やら話しているのを、ぼんやりと見ていた。織部にとっては合コンなんてものは日常の催し物でしかなかったが、須賀原は合コン自体はじめてだと言って、はじまるまえに震えていたので少し心配していたが、お酒の力も幸いしたのか、思ったよりも両サイドの女の子は楽しそうにしていて、それを見ながら親心で安心する。しかし、表面的に楽しそうにしていても、実際問題彼女たちが楽しいかどうかは、また別の話であることを、織部は分かっていたが、詰まらなさそうにされるよりはマシだった。兎に角、初心者の須賀原にとっては、今の状況で上出来だった。 (すがちゃんどの子が良いんだろ、清楚でかわいい子なんてアバウトな好み過ぎてわっかんねー) 考えながらついっと、須賀原の座っている席から視線をそらして、一通り今日のメンツを眺める。女の子の調達は二本電話かければ友達がやってくれたので、織部も初対面なせいでひととなりが不明だ。しかし過去に関係のある子でも呼ばれたら、それはそれで後でややこしいことになりかねないので、初対面できっとよかったのだ。過去にそれで大変なことになったことがある織部は、思い出してゾッとした。その子の名前も顔も覚えてないけれど、喧嘩した友達の顔は覚えていた。友達は織部の頼みなら可愛い子揃えるよと気前よく引き受けてくれて、確かに今日の女の子たちは皆可愛くて、それでいて愛想もよかったしノリもよかった。だからこそ一層、須賀原がどの子が良いのかよく分からない。考えながらビールを飲む。 「織部くん、ビールばっかり飲んでるけど、ビール好きなの?」 「え」 黙って須賀原のことばかり観察していた織部は、隣の女の子にそう話しかけられて、慌てて笑顔を作った。須賀原のために開いているとはいえ、ひとり仏頂面で飲んでいるわけにはいかなかった。隣の子は清楚な青いワンピースを着ていたが、ワンピースの清楚な雰囲気とはまるで真逆を行くみたいに、その胸元がざっくり開いている。これは一体何を目的にした服なのだろうと、女の子のファッションのことなど微塵も分からない織部は、多分今までならそれを凝視していてもよかったけれど、一応それから意識的に目を反らして思う。こういう時に隣に座った男に胸を見せるために、そんなに布を始末しているのだろうか。 「んー、別に。特別好きってわけじゃないけど。ゆりちゃん何飲んでるの」 「私?ジントニック。でもこれちょっと薄くて。織部くん飲んでみて?」 「へぇ、マジ?けちってんのかなー」 まるでワンピースの布みたいに。考えながら、そういえば天海はジントニックが好きみたいで、家には流石にないが、外で飲むときはどの店に行っても大体ジンを飲んでいる。今日も土岐田と会うと言っていたので、どこかで飲んでいるのだろう。天海は仕事が早くて、ほとんど残業をしない人だったが、アフターファイブは何をしているのかというと、大体どこかで飲んでいる。そんなに毎日浴びるように飲んで、内臓は大丈夫なのかと思うくらい、まるで水みたいに天海は透き通ったジントニックを実に自然に飲む。ゆりがきれいにネイルされた指で織部に渡してきたそれを、何気なく手に取って、中の炭酸を眺めながら、織部がぼんやり考えていたのは、こんな場所にいたってやっぱり今日も天海のことだった。 (今どこにいるんだろ、天海さん。今日家行ったら、怒るかなー・・・) 怒られたことなんて一度もないけれど、思いながら彼女のグロスが僅かについている個所を外して、織部は薄いジントニックを飲んだ。 トイレの鏡に映っている顔は、少しだけ赤くなっていたけれど、いつもと同じように見えた。手を洗ってからハンカチで丁寧に拭いて、眼鏡を外してそれは大して汚れていなかったけれど、シャツの裾で一応拭いておく。なんだかよく分からないけれど、最近になって織部からよくランチに誘われるようになった。時々矢野が気まぐれで誘ってくれることもあったけれど、元々、須賀原は仕事しながらデスクで買ってきたものを食べていることが多かった。今まで同じ大学であったことを知らなかったくらい薄情で、軽くて浮ついていて苦手だったけれど、そんな織部と合コンなんかに来る日がくるなんて人生はよく分からない、と鏡に映った自分を見ながら溜め息を吐く。彼女がほしいという話をしたら、別にそんなつもりはなかったのに、じゃあ合コンでもする?と織部は携帯を弄りながら何でもない風に言って、流石遊んでいる奴は違うと、喉まで出かかって言うのをやめた。言わなくてよかった。それから織部は光のスピードで、相手の女の子と場所を決めて、日時を指定してきて、ことが現実的になるにつれておろおろする須賀原に向かってにっこりと笑った。 『いいか、すがちゃん。女の子には二種類しかいない』 『に、にしゅるい?』 『すぐヤれる子とヤれない子。ちなみにヤれない子に俺は意味がないと思っている』 『・・・お前は本当にそういう奴だよ・・・』 大学時代、つるんでいる人間が違ったので、織部とは学部も一緒だったのに、結局接点らしい接点はなかったけれど、その時の印象というか、流れてくる噂話というか、外聞というか、そういうものをいい意味でも悪い意味でも織部は裏切らなくて、それに安心したような、なんだか腑に落ちないような気がするような、不思議な気分だった。須賀原は自分の直属の上司と織部が最近どうも度を越えて仲良くしているらしいことを、分かってはいたけれど、本人に直接確かめたことはなかった。だから確信は持っていないし、今後も確信などいらないと思っているが、その上司はこんなちゃらんぽらんの浮ついた男で本当にいいのだろうかと、自分が心配することではないにしても、何故か不安になる。織部のせいで最近妙に機嫌の悪い矢野には、絶対に聞かせられない話である。自分がこんなに真摯に考えているのに、本人はあっからかんとしてそんなことを、全くもってもっともらしく言うので、自分だけがふたりのことを心配しているみたいで癪だった。 (はぁ・・・しかしあいつも一応アマさんと付き合って?るんだろ?なのに俺のためとはいえ、合コンなんか来ていいのか) (男同士は別にそういうのオーケーみたいな?そういうの、あるの?知らんけど!) 鏡の中の弱気な顔した自分によしと一度気合いを入れて、トイレから出ていこうとした。すると後ろから須賀原を呼ぶ声がして、反射的に振り返ってしまった。 「スガ、なんだ、奇遇だな」 「・・・え?」 そこに立っていたのは、事務所から今日もリーダーのくせにさっさと先に帰ったはずの天海だった。さっと何故か血の気が引いて、須賀原はふらふらとよろけた足を思わず踏ん張った。天海はそんな須賀原の様子は余り見ておらず、几帳面に手を洗っている。 「・・・な、なんでここにアマさんが・・・」 「あぁ、友達と飲んでた。もう帰るところだけど、お前も飲み会か?」 「え、あ・・・あぁ・・・そんなところです・・・」 何故無数にある飲み屋の中で、こんな風に鉢合わせになるのだろう。奇遇なのか、それは本当に天海の言った奇遇ということでいいのか、須賀原はトイレの柱にしがみつくようにもたれながら、現状を自分なりに理解しようと必死に考えていた。須賀原はこの春から天海の班に異動になった。天海のことは勿論知っていたけれど、内示が出たときは正直、最悪だと思った。天海は何があってもピクリとも顔色を変えないことで有名で、それでいて無駄に整った容姿をしているせいで、後輩の間ではクールビューティーなんて呼ばれたりもしているのだが、怒っているイメージが一切ないくせに、怖い印象しかない不思議なひとだった。実際に配属されてみたら、天海はただ淡々としていて、須賀原がミスをした時も、顔色ひとつ変えずに、的確に処理をして、怒りもせずにさっさと帰ってしまった。なんとなく内側の読めない不思議な人で、だからより一層、そんな天海が織部とそういう意味で仲良くしているのが、須賀原には不思議でたまらなかった。 (あ、そうだ、おりべ!織部に早く言わないと・・・!)

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