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青い花柄のワンピース Ⅲ
何とかその後1時間で店から脱出したが、結局会計は天海が全額払うというので、女の子たちはまた一層色めき立って、天海の腕やら何やらを掴んで、楽しそうに寄り添っていた。取りあえず、店から出ると、須賀原はすっかり意気消沈して機能しなくなった織部の代わりに、今日付き合ってくれた男性陣にお礼と謝罪を済ませた。幸い彼らも表面的にはにこやかで、タダ酒ありがとうと言ってくれたのがせめても救いだった。そこまでで、この地獄みたいな飲み会は終わる予定だったのだが。
「天海さん二次会行きましょー!」
「まだ飲めるでしょー!今日は朝まで飲み明かしましょー!」
「おー、いいな、二次会」
すっかり出来上がってしまっている彼女らと天海のそんなとんでもない会話が遠くから聞こえてきて、須賀原は耳を疑った。もう今帰らなければ確実に終電を逃してしまうのだが、その先の展開などとても自分には予想できなくて焦る。それが聞こえているはずなのに、もう弱音を吐くこともできないのか、ぼんやり天海一行についていく織部のジャケットの裾を引っ張る。
「オイ、織部。二次会なんかさせていいのかよ、終電なくなるぞ」
「・・・しんない。あのひと飲みたいだけだろ。それにタクシー代くれるんじゃない、気前良いから、天海さん。それかホテル?」
「ほて・・・お前、なぁ!」
生気のない目で呟く織部がまた歩き出そうとするのを、須賀原は慌てて追いかける。
「お前さぁ、そんなこと言ってていいのかよ。アマさん・・・その、付き合って?んだろ」
「・・・さぁ、どーなんだろ。どっちにしろ天海さん俺のこと好きじゃねーし」
「え?そうなの?」
こちらには振り向かないまま、織部はかくんと首を動かして頷いた。なんとなく織部のほうが懐いているのは、流石に見ていて分かるけれど、天海もそれを許してはいるのだから、織部ももう少し自信を持っていてもよさそうなのにと思ったけれど、天海相手に自信を持てというのもおかしな話なのかもしれない。あの何を考えているのか分からないポーカーフェイス相手には。仕方なく須賀原は、天海一行にふらふらとした足取りでついていく織部のすぐ後ろを追いかけた。
「おりべー、元気出せよ。きっとアマさん、嫉妬してるんだよ。お前が黙って合コンしてる上に、ヤれるとかヤれないとか言ってるから」
「・・・は、嫉妬?嫉妬なんかしねーよ、天海さんは」
「オイ、ほんとにもうお前、酔ってんだろ?」
後ろから腕を引くと、織部はそこでようやく振り返った。目の周りが随分と赤かった。きっとこれは酔っているのだと、不機嫌そうな顔をする織部を見ながら、須賀原は思った。後半ただ黙々と飲むしかなかった自分たちは、相当量飲んだような気がするが、織部は余り酒が強くないのか、途中で何やら弱気なことを言いながら俯いていた。それの相手をするのが面倒で、ほったらかしにしていたのは、確かに申し訳なかったけれど、須賀原の知らない間に織部はまたビールを摂取していたのだろう。
「ちょっとお前ここにいろ、アマさん呼んでくるから」
「えー・・・もうすがちゃんまで俺をひとりにしないでくれよー」
言いながら織部が須賀原の腕を掴むと、それはあっさりと離されて、織部は道の真ん中でひとりになる。天海は相当酒には強いようだったが、おんなじペースで飲んであれだったら、須賀原だって結構飲めるほうなのだろう、大学時代接点がなかったから、今までそんなこと知らなかった。ちゃんとまともなことを言う須賀原の背中が遠ざかって、天海一行を捕まえに走っている。何をやっているのだろうと思って、それを目で追いかけるのを途中でやめると、織部は歩道の柵に腰かけて俯いた。そういえば天海にゲイなのかと聞いたとき、違うとはっきり言っていた。女の子も好きなのかもしれない、あんな綺麗な顔をしているのだから、今までだってモテてきたに決まっているのだ。それなのに天海自身にその気がなかったから、きっとそれは今まで実にならなかったのだろうけれど、だから天海は未だにひとりでいるのだろうけれど。
(その気になったらどうすんだ、俺が好きだって言ってうるさいから付き合ってくれているだけで)
(別に天海さんは俺じゃなきゃダメな理由はないんだ。俺は天海さんじゃなきゃダメなのに。こんなの不公平だ)
青い花柄のワンピースの彼女の顔が浮かんできた。例えば、あんなあまりにもあからさまに男の欲情を煽るそれを、好意とともに押し付けられて、天海はどんな風に思うのだろう。そんなこと考えたって意味がないことは分かっているけれど、織部は考えずにはいられなかった。
「織部」
ふっと自分を呼ぶ低い声が聞こえて、織部は俯いていた顔を上げた。そこにはジャケットを脱いだせいでノーカラーのシャツだけになった天海が立っていた。織部が歩道の手すりに腰かけているせいで、幾分か目線が高い。いつもと逆だと思いながら、ちらりと天海の周りを見てみたけれど、あれだけ熱心に張り付いていた女の子たちも、おそらく天海を呼びに行ってくれた須賀原の姿も、近くには見当たらなかった。須賀原がどんなふうに女の子たちを丸め込んだのか分からないが、よくもまぁあの巣窟から天海だけを引っ張ってこられたものである。合コンなんか初めてと震えていたくせに、織部は変なところで須賀原の行動力に感心していた。
「気持ち悪いんだって?大丈夫か」
(あー・・・すがちゃんマジ感謝する・・・)
「水かなにか買ってこようか、飲みすぎるなんて珍しいな」
半分くらい独り言みたいに言いながら、天海は半身になる。目の前がすぐコンビニだったから、そこに行くつもりだったのだろう、完全に天海が歩き出す前に手を取って止める。すると天海は大人しく引っ張られて止まり、くるりと振り返った。
「いい。水いらない」
「そうか、薬のほうがいいか。どんな薬がいいんだ、俺は酒飲んで気持ちが悪くなるなんてことがないから、よく分からない・・・」
「薬も別にいいから。天海さん側にいて」
「・・・―――」
織部が酔っぱらったままの赤い目でそう言うと、天海は少しだけ吃驚したように目を丸くしたけれど、織部が握った手にギュッと力を入れると、それが分かったみたいに織部の隣に来ると、歩道の手すりに織部と同じように腰かけた。手は離されなくて、織部はそれに少しだけほっとした。須賀原が嫉妬しているんじゃないと言った時に、そんなわけないとすぐさま否定したけれど、そうだったらいいのにとも同時に思った。ちょっとでも天海がそんな風に思ってくれたのなら、それを自分は喜んでもいいのだ、大分屈折した考えになってきていて、自分のことながら笑える。天海は大事な人を傷つけてしまったと言っていたけれど、織部には今まで天海が言うような大事な人はいなかった、いなかったと思う。無数の女の子と付き合ったし、関係も持ったけれど、多分その誰も自分にとって大事な人なんかではなかった。友達相手にろくな恋愛していないと言いながら、笑い話みたいにしたけれど、それは本当に字面通りで、笑い話なんかではなくて真実だった。
(でも今ならちょっと分かるよ、天海さん)
「織部、お前本当に大丈夫か、吐きそうなのか」
(天海さんが、きっと、俺の大事な人になるんだ)
「休んだら、タクシー呼ぶから帰ろう。乗れそうになったら言えよ」
帰るってどこに帰るのだろう。部屋に連れて行ってくれるのかなぁなんてぼんやり都合のいいように考えながら、天海のそれに適当に返事をしながら、多分確かに酔ってはいたけれど、吐きそうでもないし、気持ち悪いわけでもなかったけれど、須賀原の優しさだと分かっていたから、織部は俯いてできるだけ喋らないで具合が悪そうなふりをして、それに甘えることにした。
「あまみさん」
「なに」
「・・・ごめん」
ぽつりと俯いたまま謝ると、天海は何故織部がそんな風に謝るのか分からないみたいな表情を浮かべた。だから多分、天海のそれは嫉妬なんかじゃなかったのだろうけど、だけどそれをどんな風に解釈するのかは、取り敢えず今は自由ということでいいのではないだろうか。
fin.
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