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いつか訪れる日の祝福 Ⅱ
「社会見学?が何か俺にはよく分かんないんだけどさー、ノンケなんだからあんまりこういうとこに一人で来ちゃだめだと思うなぁ。君かわいい顔してるから、さっきみたいなのに捕まって、一瞬でオンナノコにされちゃうよ?」
「・・・おんなのこ・・・」
「どうしても来たいならウミちゃんと来なよ」
「天海さんはもうここには来ません、俺が行くなって言ったんで」
「・・・あ、そう」
一昨日くらいここで一緒に飲んだけど、とは言わないでおこうと、真剣な顔をしてそう言う織部を見ながら、土岐田は小さく溜め息を吐いた。天海は本気じゃないと言っていたけれど、これは本気でしかないだろう、こんなに真剣な顔をしてとんちんかんなことを言うのだ、これを恋のせいじゃないわけにはできない。考えながら、土岐田はまた少しだけカクテルを飲んだ。
「その分じゃ上手くいってそうだね、あのウミちゃんを落とすなんてすごいよ、君」
「・・・はぁ」
やっとカウンターにビールが置かれて、忙しなく持ってきた上条に愛想よく礼だけ言っておく。織部は複雑そうな顔をしていて、やっと運ばれてきたビールにもあんまり関心がないようだったし、土岐田にそう褒められても全く嬉しそうではなかった。まぁあの天海が一筋縄でいかないのは分かる、痛いほど分かるよと思いながら、勝手に織部のビールのグラスに自分のカクテルグラスを合わせて乾杯をする。
「社会見学ってなんなの?ゲイの世界のことが知りたいわけ?」
「いや、べつにそういうことじゃ・・・でも天海さんが俺のことノーマルだノンケだって言うので腹立って」
「・・・あ、そう」
でもそれが真実なのだろうと、言いたい唇を結んで、あんまり天海に虐めないように言っておいてあげようと、心の中で思う。
「あのね、君が何の心配をしてるのか俺にはよく分かんないけど」
「・・・はぁ」
「ここにいる客の何人がウミちゃんと寝たことあると思う?多分タチのほとんどとあの人寝てるんじゃないかなぁ」
言いながら、土岐田は自分のグラスの淵を指でついっと撫でた。多分さっき、遊び慣れた手つきで織部の腰に手を回した男も、土岐田の名前を知っているくらいなのだから、天海と寝たことがあるだろう。そういうことをいちいちここに確かめに来たのだとしたら、それはもうただのマゾとしか言いようがない。天海に今更いくらそんなことを言っても無駄なことだし、道徳を解いても彼には絶対に響かないのだ、そんなことはよく分かっている。ちらりと隣の織部を見ると、目元を赤くして少しだけ俯いている。やり場のない怒りに火を注いでしまったかなと思いながら、土岐田は口角を上げる自分を戒め切れない。
「はは、そんな怖い顔しないで」
「・・・いや」
「でもその誰でもなかったんだよ、その誰でも、ウミちゃんを手に入れることはできなかったんだ、一晩限りの相手にはなれてもね」
「・・・―――」
ぱっと織部が顔を上げて、やっと目が合ったと土岐田は思った。
「だから君はもっと自信を持ったほうがいい。あのウミちゃんが君がいいって思ったかどうかは知らないけど、君でもいいとは思ってるんだ、きっと」
「・・・でもそれは、俺じゃなくてもいいってことじゃ」
「それはこれからの君の手腕の見せ所じゃないのぉー?」
あははと土岐田が大袈裟に笑って見せると、織部もそれが土岐田の冗談だと分かったのか、はじめてそこで少しだけ笑ったような気がした。
「あのウミちゃんを俺たちから君は奪ったんだ、がっかりさせないでくれよ」
「・・・頑張ります」
肩をぽんぽんと叩くと、織部は溜め息を吐くみたいにそう元気なく呟いた。それを見て土岐田はまたあははと笑い声を立てた。
「なーんて。俺は結構ほっとしてるんだ、ウミちゃんがもうその辺のタチを食い荒らさなくていいことに」
「なんで・・・ですか」
いつもの癖でタメ口を利きそうになった織部は、慌てて言葉を付け足した。土岐田が幾つなのか、その飄々とした雰囲気からはよく分からなかったけれど、天海と同じか、もう少し若いくらいだろうとは思っていたので、どちらにしても自分よりは年上なのだろうというあたりだけは持っていた。それにさっき、土岐田も自分で自分のことをお兄さんと言っていた。だから土岐田は会ってからずっとタメ口だったけれど、織部からは敬語を使っておいたほうが良かった、おそらく。
「だって危ないじゃーん、いつどこで変な奴に捕まるか分かんないしさー」
「それはそう、ですよね」
「あ、でもウミちゃんからしたら君がその変な奴で、捕まっちゃってる最中なのかもしれないけど」
「・・・俺はフツーです」
「だよねぇ、だってノーマルだって言われて腹立ってこんなとこ来ちゃってんだもんね・・・!あ、ごめん、なんか改めると面白くなってきた・・・!」
「笑わないでくださいよ・・・!俺は本気なんだから・・・!」
そりゃそうだろう、本気なのだろう、本気だからこんなところまで追いかけてくるのだろう。でも天海にはそれが分からなかったりして、そういう簡単なことでも単純には伝わらなかったりしているのだろう。こんなところに迷い込むようにやってきてしまうくらいには、織部はもう天海相手にどうしたらいいのか分からないでいるのだ、きっと。そう考えると、やっぱり織部のことが少し不憫になって、自分だけでも少しは優しくしてやらなければなんて、関係ないのにそんな気持ちになっていく。
「あはは、ごめんね。だって君面白くってさー、はー、ノンケとこんな風に話をすることもないしさ。俺らって基本、外にはばれないようにしてるから」
「・・・―――」
織部は口を開けてそれに何か言おうとしたけれど、多分反論をしようとしたのだけれど、次の瞬間には逡巡するようにその口を閉じた。それを見ながら土岐田は何か変なことを言ったかなと、思ったけれど、織部がそんな風にする理由が、その時の土岐田には見当たらなかった。
「・・・すいませんでした」
「え?なんで君が謝るの?」
ややあって織部はまた少し俯き加減に戻って、小さい声でそう言った。
「いや、はじめて会った時、すいません、俺あんまり覚えてないんですけど、失礼なことを言ったような?」
「・・・―――」
その時のことは多分、織部があまり覚えていないというのなら、きっと自分のほうが良く覚えているだろうと土岐田は思った。そして多分、天海だってあの時のことを、きっと鮮明に覚えているに違いなかった。土岐田はなぜか確信的にそう思う。
「いや、すごいかっこよかったよ、君」
「え?」
「あはは、俺みたいなゲイに褒められても嬉しくないかもしれないけど、きっとウミちゃんが恋に落ちることがあるんだとしたら、こういう子なんだろうなって会った瞬間ぴんときた。俺の勘は割と当たるんだよ、だから君はもっと自信を持って、ウミちゃんをふらつかせないように頑張って」
そう言って織部の湾曲した背中を叩くと、織部はまた少しだけ俯く角度を深くした。あれだけ威勢のいいことを言って啖呵を切って『ウミちゃん』をここから連れ去ったのだ、その代償はきっとこれからその両肩に重く圧し掛かるだろう、もしかしたら圧し掛かっている最中なのかもしれないが。天海なんて、なんという面倒臭い人を好きになってしまったのか、ノンケなら普通にその辺の女の子と遊んでおけばよかったのに、そのほうがきっと楽しいし将来性もあるのに、可哀想にと今日何度目か、土岐田は思いながらグラスを傾けた。それでも天海の手を引いてしまったのが、きっと間違いでも気の迷いでも好奇心でも何でもよかった、その手を織部が離さないでいてくれたら、土岐田はもう何でもいいと思った。
たとえ、その先がトゥルーエンドでなくても。
fin.
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