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第3話
式が終わり、その場で解散を告げる教頭に、少しだけ苛立ちを覚えた。あっさり新入生を放り出すと、コミュニケーション能力の乏しい人間にとっては、これから帰宅するまでのちょっとした時間が地獄と化すのだ。
例に漏れず、王史郎もその中のひとりになるだろう。気にしないことの方が悩ましいことであると、王史郎自身は思うのだが。
それよりも、新入生挨拶で衝撃を受けたあの後半の一言が脳裏に焼き付いて消えない。だが残念なことに、名前やソイツの全体像が記憶の引き出しからぽろっと落っこちてしまったらしい。その人物像さえ明瞭には思い出せないのだ。
もしかすると、話してみたい、と思った唯一の人物なだけに、晴れ晴れとした式後の空が淀んで見えた。
入学式の翌日、初めて踏み入れる教室に緊張も高揚感もなかった。きっと昨日登壇していた男の存在を探すことが不可能に近いからかもしれない。
そして、ずっとドア側の一番前の席が空いたまま、一ヶ月、二ヶ月——中間考査前日になっても、その席が埋まることはなかった。
当日、朝から教室はお経のように暗記モノを唱え続ける生徒たちで溢れかえる。
「よ、道重。テストはどうよ」
進学して親しくなった——否、親しげに話しかけてくる一ノ瀬が肩に手を乗せる。「俺、進学して早々やべー」。
「俺は一ノ瀬が髪染めてる時間くらいは勉強してきたから、それなりだと思う」
「おー? お説教しちゃう? いやな? あるじゃん、勉強しようとしたら部屋片付けちゃうやつ! あの現象が髪の毛に行っちゃったわけよ」
「毛の手入れか」
「そうそう!! って、毛の手入れ……他に言い方はなかったの」
ジト目でこちらをみてくる茶髪の一ノ瀬に、女子は気づく。「へぇ、一ノ瀬暗めの茶髪にしたんだ。チャラいくせに、毛の手入れは慎重にって?」。
「道重の真似しなくていいから!」
王史郎の周りに、いつの間にか人が集まる。無愛想に返答するしかできない、感情の表出が乏しい王史郎に。
「道重君、一ノ瀬の赤点にいちごオレ、何本賭ける?」と気にせず、女子たちは一ノ瀬で遊び始める。
「……俺は一ノ瀬が赤点に、ここにいる全員分賭ける」
「ここにいる全員?」
女子はグループで群れる習性があるからか、明確な確認をとる。だが、王史郎は含みなしでいった。「このクラス全員」。
太っ腹に感心して声を上げる。一ノ瀬は、自身のテスト結果を面白いように予想され、点数指示まで受けるのだから、八の字眉で「こんなはずじゃなかった。高校生活」と落胆した。
「あれ、待って。あそこの席の……誰だっけ。出席番号が最初の」
思い出した女子は溜めたままの会話を続ける。「庵野君。その人入学式以来来ていないらしいから、今日の考査来るかわかんないし、何より、その後来るかも分かんないんだけど……」。
「あー、庵野な。入学式だけ来てたなんてびっくりだよな。俺、自分のクラスがどんな雰囲気かも分かんねぇうちから学校来ないなんて有り得ないけど」
一ノ瀬が妙に刺々しく言う。「どうしたどうした一ノ瀬」と女子が緩和材を買って出るほど、一ノ瀬のスイッチが急に入っているらしかった。
「だってよー。こんなに楽しいヤツらと一緒に居れるなんてすごいことじゃん。勿体無ぇことする奴の気が知れねぇんだよ」
この言葉に「一ノ瀬、見た目に合わず熱いこと言うよね」と女子が茶化す。そうしていないと、教室の温度が春の季節を超えてしまいそうだ。
女子はいう。「じゃあ、尚更庵野君の分も入れて勝負しようじゃん!」。
唾を吐き捨てそうな勢いの一ノ瀬だが、完全に女子にいい感じにまとめられてこれ以上は何も言わなかった。
「一ノ瀬、頼むぞ赤点」
「王史郎ー?」
(あ、兄貴と言い回し似てんな)
一ノ瀬や女子の目が点になった。その表情を見て、王史郎は無言になる。「え、何」。
「あ、いや……ねぇ?」
目配せする一ノ瀬らに疑問符は上がったまま、ここでホームルーム五分前の予鈴が鳴る。
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