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第55話【歪み①】
彼女は屋敷に到着すると出迎える使用人達に労いの言葉をかけた。
そして部屋で仕事をしている父親に今日のお茶会の報告をし夕食まで休息する予定で真っ直ぐ自分の部屋へ向かった。その傍らから一人の侍女が近付き声をかけた。
「お嬢様。お部屋に何かお持ちしますか?」
侍女がそう声をかけた瞬間、彼女の顔から笑顔が抜け落ちた。
「何もいらないわ。夕食まで誰も部屋に近づけないで。私が部屋を出たら来なさい。分かっているわね?」
「・・・かしこまりました」
そこからは無表情のまま足速に自分の部屋に向かう。
もう誰ともすれ違わないと分かっているからだ。
ドアノブに手を掛け扉を閉める。
そして扉に嵌め込まれた緑色の宝石に触れた瞬間、彼女は持っていた扇を床に投げつけた。
それだけでは収まらず棚に飾られている花瓶や置物を手当たり次第に壁に叩きつけていく。彼女はギリギリと奥歯を噛み締め汚れた壁を睨みつけた。
「・・・人を馬鹿にして・・・こんな屈辱、到底受け入れられませんわ・・・」
ラフェルの【シルビー】が現れる前マリアンヌのお茶会は月に一度の頻度で行われていた。それが【シルビー】が現れて以降開かれる事がなくなっていた。
だから彼女達はラフェルの【シルビー】が彼と結婚するのだろうと思っていた。
リンドールは王家の血筋とも繋がりのある一族だ。
その家と繋がりを持てるという事はただの貴族と結婚するのとは全く違う意味を持っていた。
似たような貴族は他にもいるがリンドールの一族は代々どの一族よりも王家からの信頼と支持を受けているのだ。
そんな一族の長男が成人をとっくに過ぎ適齢期を迎えても恋人さえ作らなかったのだ。彼女達の親は当然ラフェルを狙っていた。なんとかして自分の娘との魔力交差の機会を作ろうと画策し拒絶反応が起こらなければ、それを理由に強引に話を進めようとする者も少なくはなかった。
しかし、それは悉く失敗した。
結局ラフェルの膨大な魔力に釣り合わなかったのだ。
そんな彼女達は内心ラフェルの【シルビー】が見つかったと聞いて安堵した。確かにリンドールとの繋がりは惜しかったが魔力の相性が合わない者の伴侶になるとかなりの苦痛を伴う。そんな相手との子作りは女にとって命懸けなのだ。だからこそ彼女達はラフェルの【シルビー】を一度は心から歓迎した。
まさかラフェルの【シルビー】が平民の男だったなどとこの時、誰が想像出来ただろう。
彼女は今日マリアンヌに招かれ確信を深めた。
マリアンヌ・リンドールは何がなんでも息子に子供を作らせるつもりでいる。きっと自分達の意思など関係なくマリアンヌはただ従えと命令するだろう、と。
自分達は一族の、もしくはマリアンヌの都合の良い"道具"なのだ。
「・・・っあの頭の狂った魔女め・・・見てなさい、絶対貴女の思い通りになんてさせませんわ!私達の尊厳を無視するその行いを、かならず、必ず後悔させてやりますわ!!」
彼女は気付いていなかった。
確かにマリアンヌは当初、息子のラフェルに良い相手を探していた。その過程であのお茶会が行われていたのも事実であり、他の令嬢達もそれを理解した上でマリアンヌと交流を続けて来た。そんな中で政略的な駆け引きがあった事も決して間違いはなく、親から期待を押し付けられていた者も少なくはなかった。
しかしマリアンヌは今まで一度たりとも招待する相手に強制や圧力をかけた事はない。彼女は自ら望んでマリアンヌのお茶会に参加し自分の意思でマリアンヌとの関係を築いてきた。彼女は当初マリアンヌに強い憧れを抱いていた。
しかし、今彼女を支配する感情はマリアンヌに対する深い憎悪、そして激しい怒りだった。
彼女の体内で不安定な魔力がぐちゃぐちゃに混ざり端から外に漏れ出していく。それに気付いた彼女は慌ててドレッサーの扉を開き、中にあった小さな宝石箱を胸に抱え込んだ。
「っ!はぁ、はぁ・・・っっ!」
宝石箱を抱き込んだ形のまま、なんとか魔力の暴走を抑え込んでしばらくすると部屋のドアがノックされる。
「お嬢様。大丈夫ですか?」
その声は、先程彼女に声をかけて来た侍女のものだった。彼女はゆっくりと身体を起こす。
「ええ。入りなさい」
許可を得て扉を開けた侍女は表情を変えることなく彼女に頭を下げた。この侍女は彼女が唯一信用する側使えだった。
「私の着替えを手伝って頂戴。あと、夕食が終わるまでにこの部屋を片付けて」
「かしこまりました」
「あと貴女が用意してくれた石を使ってしまったから補充しておいて。高価でも構わないわ。コレを持って行きなさい」
彼女が引き出しから出した小ぶりの袋を押しつけると侍女は少し困った顔でそれを受け取り、そのまま懐に入れた。
「先ほどよりも顔色が良くなりましたね。お役に立ってよかったです」
「・・・ええ・・・でも、おかしいわ。・・・私、一体何に怒っていたのかしら?」
そう。|姿《・》|は《・》彼女が信用する側使いだった。
先程自ら荒らした部屋など視界に入らないのか彼女は不可解そうに侍女に話し続けている。
もしも彼女を知る第三者がこの二人のやり取りを見たならばその異様さに直ぐに気付いたに違いない。
「少し疲れているのでしょう。何も問題ありませんよ、お嬢様」
彼女の侍女は、この日初めて彼女に笑顔を向けた。
それが彼女の瞳の濁りを確認した上で向けられたものであった事を、彼女は知らない。
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