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第64話【ある雨の日】
雨が降っていた。
古着のシャツが雨に濡れ重さを増し憂鬱な気分になる。
それはセリファがラフェルに出会う前。
まだ市井で生活に追われながら暮らしていた頃。
働きながら学舎に通い母親の手伝いをしていたセリファに自由な時間はなかった。
唯一セリファが一人になれるのは店の買い出しを任され外に出る僅かなひと時。その日もセリファは一人買い出しを任された。
いつもなら服が濡れるのも構わず幼い弟妹の待つ家に急ぎ足で家に帰るのだが、その日は直ぐに帰る気になれなかった。
セリファは大粒の雨を避け近くに建っていた神殿に連なる建物の屋根の下で雨宿りしていた。
いや、雨が小降りになるのを待つふりをした。
内心ではもっと雨が激しくなればいいと思っていた。
(・・・疲れた・・・)
壁にもたれ、いつもよりも重い身体を少しでも休ませようと目を閉じる。壁は冷たいがセリファはそれが心地よかった。
ふと、朝のやり取りを思い出す。
『寝坊したの?いつも遅くまで起きているから・・・セリファが起きてくれないと、母さんお店を早く開けられないじゃない』
『・・・ごめん。少し疲れてたのかも』
『こんな忙しい時期に風邪なんか引かないでね?セリファだけが頼りなんだから』
夜遅くまで起きているのは勉強をしているからだ。家の手伝いがあるセリファはまともに学舎に通えていないのだ。そして無理がたたり昨日の夜から体調が悪く、実は立っているのも辛いことを彼は母親に言えなかった。
もしこれが幼い弟妹達であったなら母親は責めたりしないだろうとセリファは思う。そして当然のように弟達の面倒をセリファに託したに違いないとも。それが長子である自分の役目であるとセリファにも分かっている。それでも、時折どうしようもなく虚しさが込み上げる事があった。
(どうして、父さんと母さんは沢山子供を作ったんだろ・・・)
子供ながらに両親の計画性のなさをセリファは理解していた。いや、両親というよりは主に問題は父にあり、それを母が必死に補っている事を知っていた。
「・・・雨、止まないね」
唐突に声をかけられセリファは慌てて振り返った。
気付かぬ間に自分の隣にマントを羽織った女の子が立っている。
「・・・そうだね」
背が低くフードで隠された少女の顔はセリファからは見えなかった。声に聞き覚えがないので隣町の子だろうかと彼はぼんやりと考えた。
「荷物、沢山だね。お使いの途中?」
「母さんは忙しいから」
「ふーん?でもその量、あなた一人で運ぶには多過ぎない?休みの日に皆んなで買いに行けばいいのに」
少女の指摘にセリファは思わず下を向いた。
本来なら休日に必要な物を家族で纏めて買いに行くのが一般的だ。そもそも子供一人に多くお金を預けたりはしない。襲われる可能性があるからだ。しかし、セリファは両親と一緒に買い物に出かけた記憶がなかった。
「・・・母さんは、小料理屋の店主なんだ。弟妹達もまだ小さい、だから・・・」
「へぇ〜!とても繁盛してるんだね?でも、だったら貴方が店の手伝いをしてお父さんが買い出しをするべきよ!だってこの荷物は多過ぎるわ!」
女の子がセリファの足下にある大きな袋を指差して当然のように指摘する。それはセリファも分かっている。しかし、それが出来ないから父の代わりをセリファが補っているのだ。
「・・・父さんは、出稼ぎで家にいない事が多いんだ。だから、俺が父さんの代わりなんだ」
「・・・そうなんだ。色々、大変なのね」
「この辺りは貧しい家も多いから・・・」
そう口にしながらも本当にそれが原因だろうかと彼は疑問に思った。目まぐるしく過ぎる日々の中、セリファの心は確実に疲弊し、すり減っている。一向に改善しない状況に危機感を持っているのは恐らくセリファだけだった。
「・・・そういえば知ってる?今この街にとっても偉い大神官様が来てるんだって」
見知らぬ少女はセリファの様子などお構いなしに無邪気に話しかけて来る。
セリファは不思議とそれが不快ではなかった。
導かれるように彼女の指差した神殿の入り口に目を向ける。
「大神官様は神さまの声が聞こえるって本当なのかしら?もし本当なら私のお願い事を伝えてくれないかな〜」
願い事。
ぼんやりと入り口を見つめながらセリファはふと自分が望んでいるものはなんだろうと思った。
「おや、こんな所で雨宿りですか?」
「え?」
気がつくと自分の目の前に白の礼装を纏った男性が立っていた。セリファは驚き慌てて隣を振り向き、首を傾げた。
「あれ?えっと・・・」
「もしかして具合が悪いのですか?顔色が悪いですよ。ここは寒い。神殿で休んで行きなさい」
セリファは隣に誰もいないのを不思議に思いはしたが、やはり深く考えなかった。セリファがぼんやりとしている間に家に帰ったのかもしれない。体調の優れないセリファは先程のやり取りをすぐに忘れてしまった。
「・・・だいぶ熱が出ていますね。荷物も多いようですし少し休んだら馬車で家まで送ってあげましょう」
セリファはこの日の出来事を最近、思い出した。
自分の運命を変えた、大神官との出会いを。
「順調に回復されたのですね、安心致しました。それで、どんなご用件でしょう?」
大神官ゼグセリオンは向かい側に座っている色白で痩せこけた気弱そうな男に柔らかい口調で質問した。もちろん男がどんな言葉を吐くのかを知った上での対応である。
「・・・息子を、セリファを返して下さい。公爵様の魔力障害が治まったなら息子はもう必要ないですよね?」
本来なら知りえない内情を男は当然のように口にした。
大神官は心の中で大変大きな溜息をついた。
(やはり、平穏無事にはいきませんか)
大神官は目の前の男の強運に思わず感嘆した。
理由は男が最初にやって来たのがリンドール家でなく神殿であったから。それも、事情を知る人物と一番最初に接触出来た。これが逆であったなら恐らくこの男は秘密裏に消されていた可能性があった。
ラフェルはセリファが以前どの様な環境で暮らしていたのかを詳しく調べていない。もっと詳しくいえば必要以上に探る事が出来なかったというのが正しい。神殿がセリファの実家に必要以上に干渉するのを許可しなかったのだ。
そして、それが当初セリファを引き渡す条件の一つでもあった。
「困りましたね。セリファがラフェル・リンドールの【シルビー】になる事を承諾したのはセリファと保護者である貴方の奥様です。誓約書にも一度交わした契約は本人達の意思か若しくは神殿の措置以外破棄できないと記されていたはず。奥様はそれについて貴方に説明されなかったのですか?」
「彼女はセリファと血の繋がりはない!僕の許可なく勝手に息子を連れて行ったのでしょう?用が済んだなら家に返して下さい!」
心から、こちらに来てくれてよかったとゼグセリオンは思った。不必要に傷付く【シルビー】を彼は見たくなかった。
「・・・ではまず、貴方が今置かれている状況から説明致しましょう。それを知ればきっと私の話を聞き入れる気持ちになると思いますので」
やっと誕生した"奇跡の芽"を守る。
そのゼグセリオンの思いが結果的にセリファを危険に晒す事態になってしまうことを彼はまだ知らなかった。
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