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第68話【シルビーを狙う者】

ラグドナは、黙って下を向いたきり顔を上げない自分の息子を不思議に思い肩に手を置こうとした。  しかしその直後差し伸べた右手に痛みを感じて自分の手が息子に払い落とされたのだと遅れて理解した。 「セ、セリファ?」 「…………帰れ」 「え?な、なにを」  ラグドナはセリファが身売りのようにラフェルの下へ行く事になり恨まれているかもしれないとは思っていた。  それでもどこかでセリファは許してくれるだろうと考えていた。何故ならセリファは父がどんなに失敗を繰り返し迷惑をかけても最後は許して来たのだ。  何かと理由をつけて家に帰らなかった時も  身重の母親と弟妹の面倒をセリファに丸投げした事も  家にまともにお金を入れない事も  騙されて借金を負わされた時も  病に倒れ治療費が払えなくなりセリファが学舎に通えなくなった時でさえセリファはラグドナを責めなかった。 「俺はあの家には二度と帰らない。……俺が馬鹿だった。あの家を出れば、少しは変わるかもって思った俺が」  ラグドナは、いま息子から向けられている感情が取り返しのつかない程の嫌悪であると、やっと認識した。  彼は息子のこんな表情を今まで一度も見た事がない。  セリファは幼い頃から前妻に似てあまり感情豊かな子供ではなかった。 「俺の今の家族は、ラフェルだけだ。どうせここに来たのだって父さんの意志じゃなくて誰かに唆されたんだろ?」  痛いところを突かれラグドナは言葉に詰まった。  正直最初の頃はセリファを取り返すことは諦めていた。  しかし、その可能性を示されたラグドナはセリファが望むならと協力者の援助でここまで訪ねて来ていたのだ。  セリファと一緒にいた護衛が足早に近づいて来る。  ラグドナは想定外の展開に内心慌てていた。  (このままではセリファが連れて行かれてしまう。そしたら今度こそ二度とこの子と会うことは許されない) 「セリファさん、一度屋敷に帰りましょう。彼の言うことが事実ならば神殿にも確認を取らなければなりません」 「待ってくれセリファ!もう少しだけ話をーっ!」  咄嗟に背を向けた息子の肩を掴んだラグドナは突然、目の前が激しく歪んで見えた。  そして気がつくと、見た事も無い場所に立っていた。  外にいた筈のラグドナとセリファは、いつの間にか何処かの建物の中にいたのだ。 「ーーーーーーっ!?っう!な、なんだ!?」 酷い目眩に思わず膝をつくと目の前には驚きで目を見開いたセリファがいた。しかし彼は自分が置かれた状況を正確に把握出来ていなかった。 「あんた何者だ?」    ラグドナ自身、喉元に鋭い何かが当てられていると自覚した時には全てが遅すぎた。嫌な汗が背中を伝い落ちていく。彼は目の端で自分を捕らえている人物を確認し震え上がった。  (な、なぜ!?アンタがこんなことを?)  愚かな男は大神官の言葉を聞き入れる事なく、都合のいい話だけを信じ、結果まんまと利用された。  更に不運だったのは彼がセリファを黙らせる道具として利用価値がある事だった。自分を人質にしている女はこの場に不釣り合いな優雅なカーテシーを披露した。 「お初にお目にかかりますセリファ様。私の主人が貴方をお招きしたいと申しております。大人しくついて来て下さるのであれば、この方にも危害を加えたり致しませんので」  「ちょっと待ってくれ!俺はこんな事聞いてない!これじゃまるでセリファを拐ったみたいじゃなーっっひ!?」  刃物の先が喉元に食い込み、その痛みを実感した瞬間、ラグドナは自分の過ちを自覚した。 「やめろ……従うから。それ以上、危害をくわえるな」  セリファが止めるとラグドナを捕らえていた者はナイフを離す代わりにラグドナの両手を何かで拘束し部屋の隅へ放り投げた。その力の強さにラグドナは抵抗出来ず床に打ちつけられる。床に転がされた状態の彼が最後に見たのは上等な靴と揺れる白のレースだった。 「あんたの主人は、貴族か?」 「ええ。そうです」 「分かった。話は聞くから、その人を解放しろ」  痛みに呻きながらラグドナは自分を助けようとする息子に必死に顔を向けた。セリファは優しい子供である。ここで自分を見捨てたりしないだろう。どんなに情けない父親であっても。 「そ、そうだ。そもそもセリファと話すだけなら俺は必要なかっただろう」  ラグドナは、ここでも息子より自分を優先した。 黒いワンピースに白いエプロン、二人を拐ったであろうその女は、ラグドナのその言葉を聞いて初めて微笑んだ。 「そうですね。では貴方はそこでセリファ様の番が迎えに来るのをお待ち下さいませ。…きっと今頃、血眼になってセリファ様を探していらっしゃいますでしょうから」  彼は自分を騙した女と出て行く息子を見送りながら神殿の大神官に言われた言葉を思い返していた。 『貴方の御子息を迎えた方はグルタニア王国で王族の次に権威ある貴族のうちの一人です。神殿の誓約書が意味を持たなくなったとしても彼は誓約書の約束を果たしている。そしてなによりセリファ自身が彼の側にいたいと望む間、決して手を出してはいけません。セリファは彼の【シルビー】ですが、貴方は違います。セリファの父親だからといって貴方達もセリファと同じ立場であると思わないでください』    女は微笑んでいたが、こちらを見下ろす瞳は仄暗い冷たさをはらんでいた。ラグドナは、その女の言葉の意味を考え震え上がった。 『セリファに何か起これば、彼はその全てを躊躇いなく灰にするでしょう。ご自分が御子息と同等の扱いを受けられるなどと考えてはいけませんよ』  女の目的は正しくそれであった。そして重要なのは恐らくラグドナの死そのものではなく、その後セリファと彼の間に入る小さな亀裂。  ラグドナはその為に静かな水面を波立たせる目的で投げ入れられた、ただの小石にすぎなかった。  

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