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第70話【魔原】

セリファが連れ去られたと聞いた瞬間、考える間もなくラフェルの身体は勝手に動いた。  遠くにある小さな光以外、ラフェルの目には映らない。  (セリファ、答えてくれセリファ!!)  重さを感じさせぬラフェルの体は容易く屋敷を飛び越え屋根の上を疾走する。燃えるように熱い身体とは裏腹にラフェルの頭は冷静さを取り戻しつつあった。  セリファから僅かだが反応が返ってくる。  恐らくセリファはまだ無事だ。  しかし、それでもラフェルは決してまともな状態であるとはいえなかった。  自分の行く手を阻む者は何人たりとも許さない。  それが例え誰であったとしても、そこまで思考してふと愛する青年の顔が頭を過ぎる。  何故、とラフェルは歯噛みする。  セリファはラフェルが初めて心から欲し守りたいと思った相手だ。彼はセリファに出会うまでどんな不測の事態にも揺るぐ事なく冷静で必要とあらば簡単に人を切り捨てる事が出来る人間だった。  例えばそれが家族父や母であったとしても必要な犠牲であれば彼にはそれが出来ただろう。  だが今は全く自身を制御出来きていない。  冷静に理性的にならなければと思うのにセリファを目にした途端その努力は全て無駄になってしまう。  セリファを誰よりも幸せにしてやりたい、それはラフェルの本心だ。この世界でたった一人自分が唯一愛する人。  あまり笑わない彼が見せる少し幼い笑顔を見るたびラフェルは幸福を感じた。そして、それが他の者に向けられた時の仄暗い感情が存在する事も同時に知った。  最初は彼が【シルビー】だから特別なのだと思った。  でもそれは違うと後に彼は知った。  セリファと引き合わされ彼の事情を知らされたラフェルはセリファが家族に捨てられたと気付いていた。  気付いていて、あえて何も聞かなかった。  健気に家族を守ろうとする強さに何度も胸が締め付けられる思いがした。  自分には出来なかったことを、この子はやり遂げようとしている。必死に大人になろうと足掻くセリファが愛しくて、その強さが眩しかった。  自分が諦め簡単に捨てたモノを彼は諦めず守ろうとしている。それならば、彼の願いを叶えてあげたい。  自分が捨ててしまったその思いを叶えさせてやりたい。  そうすれば、いつか自分も|許《・》|せ《・》|る《・》気がした。  そう思っていた筈なのに、ラフェルは結局自分の欲を優先させた。愛だけ与えれば良かったのに、愛が欲しいと願ってしまった。そして愛を返されてラフェルはやっと自分が愛にずっと飢えていた事を知った。  (私は、許せるのか?)  自分の身を売ってまで家族を守ろうとしたセリファ。  そのセリファを裏切ったかも知れない、彼の父親を。  ラフェルは自問自答する。  (本当に、許せるのか?) 『恨むならこの母を恨みなさい。私は愛する夫を解放する代償に息子の貴方を国に売るのだから』   まだ五歳に満たないラフェルに母マリアンヌが放ったあの日の言葉をラフェルは未だにハッキリと覚えている。  あの日から、ラフェルは誰も愛さなくなった。  そして、誰かの愛も望まなくなった。  本当に許せるのだろうか、自分は父と母を許す事が出来ないのに。自分を捨てたと言った癖にラフェルに纏わり付き息子を心配する母親を演じる母。自分が助かる為に自分の子供が国に売られるのを黙認していた父。  "もう二度と失いたくない"  ラフェルの中のもう一人のラフェルが叫んでいる。  (そうだ、私はセリファを失いたくない。だから、セリファが望まない事は決してしない。例え殺したい程憎い相手だったとしてもだ)  ピシリと、何かが崩れる音がした。    突然湧き上がった違和感にラフェルは駆けていた足を止め違和感を感じた左耳に触れる。すると、左耳にあったピアスが灰色になり崩れ落ちた。  (・・・なんだ?魔力制御をするピアスが何故今更・・・)  ラフェルの疑問は反対側のピアスを抜いた事でようやく晴れる。 「これ、は。まさか魔原、だと?」  不気味に光るその石は明らかに異常な魔力を蓄えていた。しかし、これを与えられた時は確かにラフェルの魔力を押さえる為の魔石だった筈だ。  ラフェルが全ての魔道具を外すと驚くほど視界が明るくなった気がした。いや、実際に眩しかった。  ラフェルとセリファが生み出した光の妖精がラフェルを囲んでいたからだ。 『やっと通じた、精霊の愛し子よ』 『これでやっと還る事が出来る』 『さぁ手をとって、我らの父、我らの子』  それは初めて聞く妖精達の声だった。 『貴方ならみえるでしょう?』 『だって貴方達は特別だもの』 『さぁ真っ直ぐ前を見て?』  疑問よりも早く理解がやって来た。  ラフェルの胸元には白く輝く模様が現れていた。  そして視えた。  小さな部屋の中、見知った三人の姿。  セリファを守るように光が囲っている。  そしてセリファとは対称的に澱んだ紫の煙が一人の令嬢とマリアンヌを絡めとっていた。そこから聴こえる叫び声が。  【どうして?どうして?約束したのに!どうして愛してくれないの?】  【行かないで!置いて行かないで!お願い私はここ!ここにいるのに!】  【許さない許さない許さない!私以外を愛すなんて絶対に許さないから!】  その多くの怨嗟の声は聞き覚えがあるかのように耳に馴染んだ。これは、少し前まで自分にも馴染みがあった感情だった。 「・・・まさ、か、あれは、全部・・・」 『あれは、約束が果たされず愛されなかった妖精の哀れな成れの果て、そして・・・愛し子よ』  魔力は元々精霊達だけのものだった。    それを、人間は騙して奪い取った。  正確には奪い取ったと勘違いした。    本当は奪ったのではなく混ざり合った。  彼等は二つで一つになった。    そして精霊達は、自分の愛した人間と約束した。  【それは、呪いを解く合図】  【私を見つけたら真実の愛を込めて、こう呼んで】   『貴方達の約束を果たしなさい』       【"愛しのシルビー"と】

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