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第72話【彼等が救うのは】

小さな令嬢が突き飛ばされたその瞬間、マリアンヌの身体が前のめりになり露出した背中の皮膚が歪な形に盛り上がった。  もうそこにマリアンヌ・リンドールの意志は存在しない。ラナは変わっていく彼女の姿を見ながら楽し気に微笑んでいる。 「マリアンヌ様ったら。私が長い時間をかけてここまでディア様をお育てしたのに、彼女の晴れ舞台を奪ってしまうなんて酷いですわ。私の努力が水の泡ではないですか」 「・・・っう!ラ、ラナ・・・あな、た」  マリアンヌに突き飛ばされた令嬢が未だに信じられないのか呆然と自分の使用人だった女の名を呼んだ。しかし、身体に力が入らないのか身体を起こす事が出来ないようだった。  ラナと呼ばれた女はそんな主人には目もくれずセリファに話しかけてきた。 「誤解しないで下さいねセリファ様。この事態は想定外です。まさか貴方の番のお母様が魔原に侵されてしまうなんて・・・まぁ、正直私の手間は省けましたが」 平然と話しかけてくるラナに比べセリファには言葉を返す余裕などない。魔物になりかけているマリアンヌを止めなければならないが、セリファは具体的にどう対処すればいいのか分からない。今まで、まともに魔法を扱った事がないのだ。  先程から歪な形の岩が擦れるような、もしくはぶつかっているような音がマリアンヌの身体から発せられている。その度に皮膚が盛り上がり膨らみ、これ以上魔物化が進行すれば元に戻せないかもしれない。  セリファは、一か八か自分の魔力を練り出そうと目を閉じたが、反射的に目を見開いた。 『セリファ!』  (ーーーーーーッラフェル!?)  待ち望んでいた声を彼は確かに聞いた。  そしてまるで背中から抱き締められたような、そんな感覚を覚えた。しかし今セリファの背後には誰もいない。  『大丈夫。セリファなら出来る。私を呼んでくれるだけでいい。あとは、私がセリファを導く』  セリファには分かる。  実態はないけれど、セリファのすぐ背後にラフェルはいる。自分は彼に抱き締められている。そう確信した途端セリファは深く安堵した。そして、ラフェルから流れてくる心情を感じとり、可笑しくて笑ってしまった。  「セリファ様?」  この場に相応しくないセリファの笑みにラナが反応し近づいて来たが、セリファ達の方が彼女よりも動きがが早かった。 「ーーーっなに?」  突然駆け出したセリファを追うように振り向いたラナが見たのは、澱んだ魔力に埋もれ形を変え続けているマリアンヌ目掛け、飛び込んで行くセリファの姿だった。  まるで水分を失った枯れ木のように萎み、歪に拗れ伸びた腕がセリファ目掛け振り下ろされる。セリファはギリギリそれを避け、腕を掴むと空いた左手をマリアンヌの心臓に押し当てた。セリファの身体にマリアンヌの魔力が移動しネットリと絡みついてくる。  それでもセリファは狼狽えなかった。  彼は、一人ではなかったから。  セリファは叫んだ。 「ーーーーーーッらふぁぇぇぇぇえええる!!!」 『大丈夫、もう側にいるよ』  激しい振動と同時に、窓のない部屋に一筋の光が差し込んだ。セリファから放たれた光が部屋の屋根を突き破り太陽の光が彼等のいる場所を露わにする。 「いたいたぁー!おーいセリファ!無事か?」  緊張感のない、しかし覚えのある呑気な声を天井からかけられてセリファは反射的に上を見上げた。  そこにいたのは意外な人物達だった。 「ーーーーーーっえ?ルミィールと、エゼキエル様?って、あ?」 「こら。魔原に囚われているのに余所見をしては駄目だよセリファ。ちゃんと集中するんだ」  慌てて振り向けば背後で本物のラフェルがセリファを抱えている。注意されて前を見ると知らぬ間にいく本もの光の槍がマリアンヌの体を地面に縫い止め拘束していた。 「ルミィールが騒がしいから来てみれば、まさかこんな近くに魔原の元凶がいるとはなぁ?おい、ラフェル!その女を捕まえりゃいいんだな?」 「ああ、そちらはお前に任せる」  まさかの助っ人に思わず顔が緩んでしまう。  何故ルミィール達までこの場所に来たのか疑問だったし、ラナの目的も気になるがエゼキエル達が彼女を引きつけている内にマリアンヌを救わなければならない。  セリファは集中するべく前を向いて、それでもどうしても気になった事をラフェルに尋ねた。 「突然ラフェルを近くに感じたけど、どうやったの?」  背中に感じた気配がラフェルだと直感的にセリファは理解した。ただ、それがいつもの様にラフェルの魔力ではなく、ラフェル本人だった事にセリファは驚いていた。  本来使えない筈の魔法を自分が使っている事もラフェルが関係しているとセリファは推測していたのだ。  「難しく考える必要はないよ。私とセリファは繋がっている。だから、セリファは私の力を使えるし、私はセリファの力を使える。私達は・・・二人で一つの【シルビー】だ」  その言葉を合図にラフェルとセリファ、二人の背中から何枚もの光の帯が飛び出した。それはまるで輝く透明な羽のようにも見える。  マリアンヌの中で暴れ回っている魔力をラフェルの力が抑えセリファの眼が彼女の皮膚を這い回り広がりつつある魔原の核を捕らえた。セリファは、躊躇いなくその核を握り締めた。途端に魔原は標的をマリアンヌからセリファに変えセリファの身体を奪おうとした。しかし、魔原にセリファの身体は奪えはしない。  魔原に触れたセリファはこの時、その根源を知った。  【お願い・・・どうか・・・】  魔原が自分と同じ【シルビー】と呼ばれた者達の成れの果てであるという真実を。    【アノカタヲ、タスケテ】  それは、叶えられなかった誰かの想い。  セリファの頬を何かが滑り落ちる。    背後を振り返ると、ラフェルが憂いを帯びた表情でセリファを見下ろしていた。視線を移すと自分達が光に包み込まれ外から遮断された状態になっていたことに気が付いた。 『泣かないでくれセリファ。大丈夫だから』  その言葉で自分が涙を流していたと気付く。  セリファは、服の裾で涙を拭う。    魔原に触れ、その正体を知ったセリファは今なら"出来る"と思った。だから望みを口にした。   『お願いラフェル。この人達を助けて』  大神官は番う事が出来なかった【シルビー】は人には生まれ変われず消滅すると説明した。  しかし彼等も知らなかった真実がここにある。 『セリファが望むなら私はそれを叶えるよ。私のー』  触れた唇の感触にセリファは身を委ねた。  セリファとラフェル。  二人はこの時、間違いなく一つだった。

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