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第5話【アルティニアの戸惑い】

 抵抗虚しく服を脱がされたアルティニアは現在寝衣を着てベットに横になっている。    彼は今まで風邪を引いて寝込んだ事などなかった。彼が寝込んだのは幼い頃事故に遭い大怪我を負ったその一度きりである。その後、義父に引き取られメイデン家の家督を奪われた彼は生き残る為、常に気を張って生きて来た。結局義父の企みとは別の形でメイデン家を追い出されたので今となっては無駄な行動だったのかも知れないのだが。  とにかく、アルティニアは今まで誰かに看病された経験がなかった。 「起きられるかい?風邪が原因の熱ではないから喉は腫れていないけれど熱が高いから消化のいい食べ物にしたよ。薬を飲む前に少し食べるんだ」  いつもは多少熱が出ても平気なのに今は身体を起こすだけで眩暈が起こる。なんとか自力で起きあがろうとしているとリューイがアルティニアの背中に手を回し起き上がるのを手伝ってくれた。そして手早く額の汗を濡れタオルで拭き取り飲み物を渡してくれる。 「……もうしわけ、ありません」 「謝る必要なんてないさ。【シルビー】の面倒をみるのも番の大事な役目だからね」  その言葉で【シルビー】は番に大事にされるものだとルミィールが言っていた事を思い出す。その行為に馴染みがなさすぎて流していたアルティニアだったが、こういうことかと少し納得する。 「はい、アルティニア。口を開けて」  リゾットが乗ったスプーンを差し出されアルティニアは首を傾げた。普段ならすぐに揶揄われていると抵抗したに違いないが、今は熱もあり思考が曖昧になっていて上手く反応が出来なかった。 「ほら、あーん」  リューイは悪戯心が隠しきれていないのか口の端が少し上がっている。しかしこの後、リューイにとっても思わぬ展開になった。  アルティニアが素直に口を開いてリューイが食べさせてくれるのを待ったのだ。何故そんな行動を取ってしまったのかアルティニア自信にも分からない。そもそも、この時アルティニアの思考は正常ではなかった。 「ーーーーーーッ!」  それ程待たされる事なく丁度いい温度のリゾットがアルティニアの口に運ばれた。食欲はなかったがリゾットは程よくトマトの酸味が効いていて熱の高いアルティニアでも難なく口に出来た。結局皿の半分の量をリューイに食べさせてもらい薬を飲んでアルティニアは横になる。  新しく用意された氷袋が気持ち良くてアルティニアは無意識に息を吐いた。 「気分が悪くなったらすぐに知らせて。声が出せないなら机のベルを振ればいいから」  あれこれと面倒をみてくれたリューイが動く気配を感じてアルティニアは咄嗟に目の前の服を掴んだ。  その指には力は入っていなかったので、掴んだ服は自分の手をすり抜けるだろうと彼はぼんやりと思っていた。  しかし、アルティニアの手はリューイの服を掴んだ状態のままを維持している。リューイが動かなくなったからだ。 「お仕事、ですか?」 「……いや、今日は出かけないよ。人の気配がしてはゆっくり眠れないかと思ったのだけれど気にしないタイプだったかな?」  リューイは使用人にいくつか指示を出して再びベッドの脇の椅子に腰掛けた。リューイが部屋を出ていかないと知りアルティニアは何故だかとても安心した。これも、彼には馴染みのない感情だった。 「今日は休みだ。私は読みたかった本が何冊かあるから何かあれば声をかけるといいよ」  そう言って微笑んだリューイの顔をアルティニアはボンヤリと見つめる。もし今アルティニアが正常な状態であれば、この状況に困惑して逃げ出していたに違いない。しかし今アルティニアは完全に無防備な状態だった。  美しいリューイの顔がゆっくりとアルティニアに近づいてくる。頬や頭に触れるリューイの手は気持ちよくもっと触れて欲しいとさえ思う。  ふいに熱く柔らかい感触がアルティニアの瞼に落とされた。それはそのまま頬や耳おでこに移動していき最後に何故か指で唇をそっとなぞられた。 「弱っている君の唇をこのまま塞いだら、嫌われてしまうかな」 「………したいの、ですか?」  仄かに草の様な香りを感じた。  恐らくリューイの服に染み込んだ薬剤の香りかもしれない。アルティニアはふと目の前の男の事を自分は何も知らないと思った。彼は最初【シルビー】にも自分の相手にも関心がなかったのだ。どう足掻いても自分は都合のいい様に利用される駒でありリューイも結局はアルティニアを都合のいい様に扱うのだろうと考えていた。  (……だからリューイ様は、私と距離をとったのか?) 「君が許してくれるならね。さぁ、もう少しお休み。側にいるから安心して寝ていいよ」  頭を優しく撫でられてアルティニアはおかしいなと思った。彼の記憶にはこんな風に誰かに優しく撫でられた記憶などない筈なのに、酷く懐かしかった。宮廷騎士だった頃話に聞いていたリューイ・ハイゼンバードと目の前の男が同一人物とは到底思えない。  撫でられる心地よさに身を任せアルティニアはそのまま瞼を閉じた。        そして翌朝。  熱がすっかり下がり目が覚めたアルティニアは、頭を抱えてベッドの上で蹲っていた。  (なっなんっなんてことを!!リューイ様に私の看病をさせてしまうなんて。それにあんな、あんなこと…)  服を着替えさせられ、ご飯を食べさせてもらった上、まるで側にいて欲しいと要求する態度までとってしまった。    しかしアルティニアはそんな自分の行動が受け入れられず責任転嫁しようとした。  (それもこれも全てリューイ様の所為だ!あの方があんなに優しくするから……弱っている時にあんな風に甘やかされたら誰だって……うっ!それにしたってなんで私はあんな、誘う様な態度を………)  責任転嫁しようとしてリューイの態度を思い出し、同時に自分の行いも思い出してしまうという負のループにアルティニアは突入した。  彼はこの日やっと本当の意味で【シルビー】としての第一歩を踏み出した。

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