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第17話【リューイの覚悟②】
「リューイ。国王が【古の誓約】の継承を承諾されたぞ!クハハッ!これで必要なものは全て揃った、完璧だ!お前の魔力と頭脳、そして"竜"の血があれば全て思うがままに操れよう。どの一族よりも我々ハイゼンバードが優れていると知らしめるのだ!」
リューイ・ハイゼンバードが父親から【古の誓約】を受け継いだ日。感極まり抑えきれないのか、感情を吐露する男にリューイは冷ややかな目を向けた。
男は知らずにいた。
この後、自らに訪れる運命を。
◆◆◆
リューイの最初の記憶は鉄格子が嵌められた研究室から始まる。彼は物心ついた頃からたった一人、膨大な量の魔法医療書に埋もれた生活をおくっていた。人と会うのは最低限、彼の身の回りの世話をする使用人か父親が彼の解いた魔法式を取り上げに来る程度であった。幼い頃から隔離された生活であったが彼がそれらに不満を抱いた事はなかった。リューイ・ハイゼンバードは薬術以外興味がない子供だったのだ。そんな彼が生み出す魔法や薬術法は医療術を長年研究して来た古参の研究者たちを唸らせた。リューイの父親は金の卵を産み続ける息子を逃さぬよう隔離し部屋へ閉じ込めた。そしてリューイをハイゼンバードの真の統治者にしようと目論んだ。
血の病が蔓延するこの世界で竜から人へ進化した一族ハイゼンバード。はるか昔、全知の竜の末裔であるが故、古来より他の種族から忌避されて来た者達。
そんな最も精霊に近い種族であっても他と例外なく血の交わりにより望まぬ変化がおとずれた。
魔人やエルフが収まりきらぬ魔力に身体を蝕まれるように彼等も時を重ねる毎に蝕まれるものがある。
人が抱く"感情"の損失
彼等の多くは人を形成する上で必要なそれを大きく損なっていった。彼等と同じ一族であるリューイもまた例外なく足りない状態でこの世界に生み出された。
だが、竜の血が混じった竜人はその呪いすら相殺出来る特殊な性質を持っていた。その真実を彼等は隠して生きて来た。そしてそれこそが彼等が外との交流を断っている本当の理由でもあった。
そして幼いリューイは見つけてしまった。
「すみません。少しだけここに居させて下さい。彼等が諦めたら直ぐここから離れますから」
それは通常なら決して人など潜り込む隙のないリューイの屋敷の庭に侵入して来た。
不法侵入者はリューイよりも背の低い小さな身体でその身にそぐわぬ剣を両手に抱えリューイの部屋の鉄格子の窓の下で蹲っていた。少し日に焼けた肌は傷だらけで所々血が出ている。
リューイと目が合った傷だらけの子供は彼に気付くと困ったように眉毛を八の字にして目を潤ませた。自分と歳の近い子供を生まれて初めて目にしたリューイは衝撃を受けた。
(………なんだ、この生き物。す、すごく可愛い………)
リューイが最初にその子供に抱いた感情は"飼いたい"という欲求だった。到底人に向けるものとは思えぬその欲求が皮肉にもリューイ・ハイゼンバードに人の感情を芽生えさせるきっかけになったのは確かだった。
「別に構わないけど、君怪我してるね。ちょっと待って………ほら」
「わっ!?え?あ、あの。これは?」
高い場所から無造作に放り投げら出た何かを少年が慌てて受け取るとそれは小さな小物入れだった。少年はなんだか分からず再びリューイを見上げてくる。その戸惑っている表情を見てリューイは、やはりその子が欲しいと思った。
「傷薬、傷が膿む前に塗っておいた方がいい。あと、この場所に来た事、秘密にできるならまた来てもいいよ。私は今ここから出られなくて丁度退屈していたから君が私の話し相手になってよ」
怖がらせないように優しく話しかけると少年は驚いたのか数回目を瞬かせ、何故か頬を赤らめた。
「そ、の………私は、お喋りは、得意ではないので、私と話をしてもきっと面白くはないと思います」
「面白いよ。君には分からないかも知れないけど、今のこの状況がすでに面白い。また気が向いたらおいで」
少年は少し迷った後、頷いて頭を下げると、もと来た道を走って行った。そして少年はその後もリューイの元を訪れた。リューイが少年に名を告げなかったのは、名乗れば彼が二度とここに来ないと思ったからだ。それを知ってか知らずか少年も名乗る事はなかった。
やがて少しの交流を重ね仲良くなった二人は約束した。
いつか二人で外で会おうと。
その約束はほどなくして果たされた。
二人の関係の終わりと共に。
「………ア、アル…………」
リューイが好きだった彼の瞳は光を失い澱んでいた。
頭部に酷い傷を負い何日も死の境を彷徨った彼が目覚めリューイが会いに行った時には、全てが終わった後だった。
「……………だれ?」
自分の知る少年とは違う氷の様な冷え切った声にリューイの心臓が悲鳴を上げた。そして、もう二度と前の様に目の前の少年が自分を見る事がないという現実に耐え切れずリューイはその場から逃げる様に飛び出した。
バラバラになりそうな心を保とうと手を伸ばした先は少し前に彼がリューイの部屋に投げ入れた小さな短剣で、その事実が余計にリューイの心を蝕んだ。
◆◆◆
「ば、馬鹿な!?お、お前は父親の私に、一体なにを?お前をここまで育て全てを与えた私に、こんな事をして許されるとでも!?」
リューイは無感情に自分の父親と名乗るその男を見返した。彼はこの男に今まで何の不満も抱いてこなかった。
普通の人間が抱くであろう家族に対する愛情など彼等の間には存在しなかった。リューイ自身もそれが日常で当たり前だった。だからこそ、男は自分の息子の手でその命を奪われるのだ。
「貴方が私に押し付けたこの役目。責任をもって私が引き受けます。いい加減黙って眺めている作業にも飽きていたので丁度良かった。ああ、それと貴方が今日死ぬことに大した意味はないのでご心配なく。強いて言うなら貴方が少し前、私にした"検証"を確かにするだけですから」
実の息子から出たその言葉に男は初めて顔色を変えた。
そして、信じられないモノを見る目でリューイを凝視する。
「リュ、リューイ?そ、そんなはずは……お前は、なんの感情も持っていない筈だ……お前は完璧な、竜の血を。その証拠にあの小僧を見てもなにも………っ!ぎゃぁあ!?」
「……馬鹿な男だ。貴方が余計な事をしなければ恐らく私は貴方の望む完璧な"竜の王"としてハイゼンバードを統治しただろうに。貴方の唯一の失敗はアルティニアを巻き込んだ事だ」
多くの思惑が絡み合い最悪の結果を生み出したその日。アルティニアは酷い傷を負い全てを失った。だが、そのアルティニアよりも重傷を負ったのは実はリューイ・ハイゼンバードだった。
「………あの子は……アルティニアは、私の"竜の番"だった」
「…………っ!?あ、ありえない!!あの子供は、ハイゼンバードの血筋ではない!いや、ま、まさか………そんな、ことが」
「竜は番を害する者を決して許さない。そう教えたのは父上、貴方だ」
リューイが口にした竜の番は【シルビー】の番とは異なるものである。だからこそリューイは考えもしなかった。自分が同じ相手から違う種類の番の印を付けられていたなどと。
「私の魔力で傷を負ったあの子は記憶を失った状態で私を拒絶した。私は二度とあの子に近づく事は許されない。分かりましたか?だから貴方は今、私の足下に跪いているんだ」
竜の番。その権利をリューイはこの日諦めた。一度でも本気で拒絶された番は二度と選ばれないとされていたからだ。しかし目覚めた感情は二度と消える事はなく延々とリューイを苦しめた。
「貴方の下らない好奇心と軽率な行動で私は戻れなくなった。その責任を貴方が負うのは当然でしょう?」
数ヶ月後、王宮にハイゼンバードの当主が入れ替わったと報せが届いた。同時に告げられた前当主の死は実験中の事故として疑われる事なく処理された。
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