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第23話【夢じゃなかった】

 思い返せばリューイの【シルビー】として引き合わされた時から自分はおかしくなったとアルティニアは思う。  リューイ・ハイゼンバード  五大貴族ハイゼンバード一族の当主であり王家と誓約を交わしグルタニア王国を支える男。悪い噂も絶えなず本来なら自分から話しかける事などかなわない相手だった。 「リューイ様……流石にユイル様に失礼なのでは……」 「心配しなくとも大丈夫さ。彼は快く頷いていたからね?可愛がっていた元部下の着替えを持って来るぐらい、なんて事ないさ」  それが今は背後から抱きつかれた状態のまま耳元で甘く囁かれている。通常ならば抵抗してもおかしくない場面であるのにアルティニアはされるがまま身を任せている。  何故か強く抵抗する気になれないのだ。  (い、一体私はどうなってしまったんだ?確かにリューイ様に会えなくて落ち着かなかったが、以前ならこんな気持ちには、ならなかった……と思う)  昨日の夜。あれ程会いたいと切望していた相手が目覚めたら隣にいた。 朧げにしか覚えていないが記憶に間違いがなければアルティニアがリューイの元を訪れ、あろうことか夜這いをかけたのだ。 しかし何故そんな事態になったか本人にも全く見当がつかない。ただ分かっているのは驚くほど自分が満たされている事だけだ。頭ではこれはおかしいと思っているのにリューイに抱きつかれ執着されている現状に喜びを感じてしまっている。 「アルティニア?もしかして、まだ足りないとか?」 「た、足りない、とは?」  背後から抱き込んだ状態でアルティニアを覗き込んでいるリューイの柔らかい髪が頬に滑り落ちる。不意にアルティニアの瞼にリューイの唇が触れ、こめかみや耳の淵に移動して最後にはアルティニアの唇を軽く啄んだ。 「もっと噛まれたいんじゃない?それとも、噛みたい?」  そう言われたアルティニアの動揺は凄まじかった。    羞恥心で今すぐ離れたいのに思うように身体が動かずひたすら下を向いて恥ずかしさに耐える。否定しようにも図星を突かれたので上手い言い訳が直ぐに出てこない。  そう、彼は噛みつきたい衝動を堪えていた。  なぜそんな衝動に襲われるのか分からないまま。  アルティニアは知る由もない。  噛み付くという行為が竜人特有の求愛行動であり、竜人族からすれば決しておかしな行動ではない事を。 そしてこの事実がハイゼンバードの一族に知れれば面倒な事態になるという事も。 「………ユ、ユイル様が、戻って来ます……これ以上は、駄目で……っん」  アルティニアの言葉をリューイの唇が強引に塞いでしまう。ここまでくると流石にアルティニアもリューイの行動が魔力交差目的の触れ合いでないと分かった。燻る熱を解消させるような触れ合いとも違うことも。 「……まだ今朝の返答を聞かせてもらってないじゃないか。本当に君は私を弄ぶのがとても上手いね。それとも、試しているのかな?私が、どこまで耐えられるかを」 「リュ……ィさま、……わ、たしが、これ以上は……」  まだ昨晩の記憶が残る肌を優しく撫でられながら、しっかりと味わうように口付けをされればアルティニアの体は容易く火照ってしまう。  優しいのに決して軽くないリューイの口付けに思わず身を委ねそうになったアルティニアは、そのすぐ後ドアを叩く音で現実に引き戻された。 「リューイ様、ユイルです。頼まれた物をお持ちしました。お邪魔しても宜しいですか?」  その声を聞いて慌ててリューイから離れると立ち上がりソファーの背後に立つ。 アルティニアは立場的にもう騎士でも誰かの従者でもないので立って待機する必要はないのだが、リューイはそれついては言及せず、ただ少し笑みを浮かべただけだった。 「ああ、どうぞ」   「失礼いたしま………っ!?な、なんです?何かありました?」  そこには先程あった甘い空気など微塵も残ってはいなかったが不自然なほど笑顔なリューイと顔を強張らせながら頸を赤くするアルティニアの二人に気付いたユイルはげんなりした。  (本当、勘弁してほしい………俺はただ、注文書を渡したかっただけなのに………)  明らかに間が悪かったユイルだが彼は全く悪くない。    彼が悪かったのは運だけだった。 「いいや?とても助かるよ副団長殿。面倒ついでにもう一つだけ頼まれてくれないかい?」  分かりやすく顔が引き攣ったユイルを無視してリューイは一枚の紙を差し出した。恐る恐る受け取ったユイルにリューイは満足そうに笑みを深めた。 「アルティニアはこのまま私と研究室に篭る。彼が王宮に滞在出来るよう許可を出しておいてくれ。理由を問われたら私の健康管理をする為だと伝えて欲しい」  てっきり着替えたら屋敷に帰るものと思っていたアルティニアはリューイのこの発言に動揺した。  特にリューイのいう健康管理という言葉の辺りに。 「………わかりました。その期間、貴方が呼ぶまでこの部屋には誰も近づかないよう伝えればいいんですね?」  そして完全に察してしまったユイルの同情の眼差しに今度こそ耐え切れずアルティニアの顔は真っ赤になった。

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