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第25話【この想いはどこから来たのか】

"こんな事になるのなら神官の言葉に耳を傾けたりしなければ良かった……私のせいでアルティニアが!"  ぼんやりとした意識の中、女性の泣き声が聞えた。  不思議に思ったアルティニアはその女性を見ようとしたが何故か目が開かない。暗闇の中わかるのは覚えのない温もりと近くで啜り泣く声音。彼女の声はどこか懐かしい感じがした。そして、どうやらもう一人別の人間が近くにいるようだった。  "君のせいじゃない。【シルビー】である事がこんな事態を起こすなどと誰が予測出来た?神殿の人間でさえこの事実は知らない。今ならまだ間に合う。ハイゼンバードにこの事実が知れる前に、ここから逃げよう"  男の言葉にアルティニアは動けないながらも不快感を覚えた。衝動的に嫌だと叫びたくなる。  あの子と離れるのは嫌だと、そう強く思った。 その反面、冷静な自分があの子とは誰だと問いかける。  きっとこれは一度も触れてこなかったアルティニアの欠けた断片。失われた彼の記憶。  "子供のアルティニアにこれは使いたくなかったが仕方がない。このまま彼の【シルビー】になれば間違いなくこの子は無事では済まない。彼にはまだアルティニアを守る力はないだろうから"  アルティニアの体に流し込まれたものが彼の自由を奪い、解き放たれる筈だったものを深い闇へ引き摺り込んでいく。  必死に抗おうとアルティニアは、もがいた。  (このまま消えるのは嫌だ!私は約束したんだ。あの子の口から、その名を………聞くまで…………っえ?)  動かない身体で必死に抵抗しながら彼は気付いてしまった。  自分から大切な約束を奪おうとするその力に覚えのある魔力が込められている事を。  (………嘘だ……あの子が、こんな事をする筈ない。だってあの子は、わたしの………わたしの………)  受け入れ難い状況が堪えていたアルティニアを絶望の淵に追い込んでいく。  (…………………………………ワタシノ………) 「………………」 「………ア………アルティニア?」 「ーーーーーーッハ!」  暗闇に光が差し込み開かないはずの瞼が開くと目に入ってきたのは見慣れた天井だった。少しの混乱の後、すぐに自分が今どこにいたかを思い出す。 「………随分とうなされていたね。夢見が悪かったのかい?」 「…………ハッキリと、おぼえていませんが……恐らく」  場所は王宮の離れにあるリューイの研究室。こうして共にベッドに入るのも違和感を感じなくなっていた。隣で横になっているリューイの手がアルティニアの額の汗を拭い、そっと頬を撫でる感触に目を閉じる。 「随分と汗をかいているね。何か飲み物を持って来よう」 「いえ、それなら自分で……」 「いや、私がよく眠れるお茶を淹れてあげよう」  アルティニアが研究室に押しかけてからの数日間、結局彼は引き止められるままリューイと共に時間を過ごしている。  それどころか一人で過ごすにも窮屈な空間に閉じ込められているのにアルティニアはここを出たいと思わなかった。  アルティニアはようやく理解し始めていた。  今までの己の不可解な行動や衝動の理由を。  ティーカップを持って戻ったリューイはアルティニアの前にあるテーブルにそれを置くと向かい側ではなく隣に腰を下ろし彼の腰に腕を回して引き寄せた。以前のアルティニアなら自分は揶揄われているのだと誤魔化せた。  けれど今はもう出来なかった。  自分がリューイに向けている感情がどんな部類のものか気付いたから。 「……もしや欲しかったのは飲み物ではなかったのかな?そんな顔で見つめられると我慢が効かなくなるなぁ。もう面倒な薬作りなんてやめてアルティニアと二人だけで毎日くっついて過ごそうか………」  研究室で目覚めて二人で過ごすようになってからリューイの態度が急激に変化した。以前なら表に出さなかった好意を隠そうとしないのだ。隙あらばアルティニアと触れ合おうとするしアルティニアが離れると寂しがる。そんなリューイの姿を目にするたび自分が満たされていくのを感じる事が出来た。 (………私は、この人に求められたかったのか)  一度自覚してしまえばあとは簡単だった。  今までの頑なさが嘘のようにアルティニアは目の前の男を求めていた。 「………私は、構いませんが、それだとリューイ様が困るのでは?」  はだけた寝衣の隙間から見えるアルティニアの素肌にはここ数日の間にリューイが付けた夥しい数の痕跡が隙間なく刻まれている。そしてその痕はリューイの身体にも残されていた。それでも二人はまだ最後の一線を越えてはいなかった。 「…………もしかして怒ってる?私のやり方が気に入らなかったかな?でも、君はこうでもしないといつまでも経っても自覚しないだろう?ただ私は他の二人とは違って|か《・》|な《・》|り《・》我慢強いからね。感情の赴くまま大事な人の尊厳を踏み躙る事はしないよ。まぁ相手が望むのであれば別だがね」 (私が望めば応えてくれるんだろうか)    ふと疑問がわいてくる。    リューイはどうして然程必要ではない【シルビー】にこれほど執着するのか。いつアルティニアに好意を持つようになったのか。  それは本来、彼がもっと早い段階で抱かなければならない疑問だった。だがアルティニアとリューイの関係性が特殊だったのもあり、その当然の疑問に到達するまでに至らなかったのである。何よりも一番謎なのは自らの形容し難いほど熱を持ったリューイへの感情が一体どこから生まれたのかだった。  ーソレデモ、アナタガノゾムナラ、ワタシハ……  彼等はまもなく知ることになる。アルティニアが答えに辿り着き、セリファと同じく新しい存在として生まれ変ろうとしていると。そしてその時、嫌でも理解する【シルビー】にということの本当の意味を。

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