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第26話【忘却の薬】

 アルティニアと研究室に篭り数日後、なんとか気持ちを落ち着かせたリューイは当初の目的を果たすため、王族でも限られた者しか近づけなくなっている人物の下を訪れていた。 「殿下。ハイゼンバードのご当主様がご到着されました」 「………………通しなさい」  扉の奥から聞こえて来た声は彼が記憶していたものよりも力がなく掠れていたがリューイは特に気にする様子もなくさっさと用事を済ませるため部屋へ入室した。 「お前は下がりなさい。そして話が終わるまで誰も部屋に通さないように」  部屋の主の命令にリューイを連れて来た侍女は黙って頭を下げ部屋を出て行った。未婚の貴族や王族が侍従を置かず二人きりになるなど本来ならあり得ないが今回に限っては特別に免除されていた。 「私が生きている内にお会い出来るとは思わなかったわ。もう何年も良い返事が貰えなかったのですもの。私はとうに諦めておりましたのに……」  噂では聞いていたが実際に目にすると思った以上に深刻そうだとリューイは自分が向かい合っている人物を観察した。  王族が多く持つ輝くようなプラチナブロンドの髪は艶がなく、痩せ細った身体は骨ばっていて肌も艶がない。それでも真っ直ぐにリューイを見つめるその瞳の強さだけは相変わらずで、それがより一層彼女の危うさを引き立てていた。  グルタニア国第一王女アリス・アグドニ・グルタニアード  王族個人の有益の為に薬を作る事はないハイゼンバードにしつこく薬を要望していた人物である。  当然リューイが断っていた代物は治療薬などではない。  悪用されれば非常に面倒な類の薬で尚且つ使うにも細心の注意が必要なため仕方がなく薬を作った本人がやって来た。  最初に薬を求めたのは目の前の王女ではなく王女の父親だった。用途を尋ねれば自分の娘が位の低い男に入れ込み一緒になれないのなら城を出ると言い出したため無理矢理引き離したそうだ。それ以来王女は部屋に引き篭もりまともな食事もとろうとしないのだと。日に日に衰弱する娘を哀れに思った国王はハイゼンバードにいつまでも相手を思い続ける娘をどうにかする薬を調合して欲しいと依頼した。当然リューイはそんな薬は作れないと断った。王族の揉め事に巻き込まれるつもりもなければ正直彼等がどうなろうと興味がなかったからだ。  それでも王は諦めず時間が経つと騒動の張本人アリスまでリューイの薬を求めるようになった。その理由も聞かなかった。やはり全く興味がなかったからである。 「それは、大変お待たせして申し訳ありませんでした。しかし、記憶を操作する薬は危険です。ましてあなた方王族がお使いになるとなれば慎重に成らざる得ませんので」  リューイは適当な言い訳を口にしつつ、もう随分と前に完成していた薬の入った小箱を王女の側にあるテーブルに置いた。  しかし長い間望んでいた薬をやっと手に入れ喜色を浮かべるかと思われた王女は、それに目を向けただけで視線を直ぐに窓の外へ向けた。 「……それで、この薬を飲めば本当に記憶を消す事が出来るのかしら?」 「はい。飲む前に忘れたいと思う出来事を強く思い浮かべて頂ければその記憶を忘れる事ができますよ。ただし、あくまで忘れるだけです。完全に消し去る薬を作るのは現段階では無理でした。その代わり強い暗示がかかるよう調整しましたので二度と思い出したくないのでしたら、その方法で服用して頂ければ問題ないでしょう」  【忘却の薬】  王女が望んだのは忘れたい記憶を消し去る魔法の薬だった。グルタニア王族に生まれた者達は自分の意思で結婚相手を選ぶ事が出来ない。それは王族も人間族の血が最も濃い一族であり血の混じりの弊害を抑える手段として存在しているからという理由があった。混じりが少ない他種族と繋がりを持ち魔力障害を減らし円滑に国を維持する為、限られた者とだけ子をもうける決まりになっているのだ。  第一王女のアリスにもその義務がある。 それでも心ある限り、こういった問題は度々起こる。  ただ目の前にいる王女の様子は想像していたよりも落ち着いていた。だがそれが逆に不気味であり、リューイは直感的に今この部屋から出ては行けない気がした。  王女に感じる違和感がリューイを部屋に止めている。  そんなリューイを知ってか知らずか、彼女は対面して初めて笑みを浮かべた。   「…………ふふ、本当に間に合って良かった。最近は全てがどうでもよくて無気力だったのだけれど貴方が【シルビー】の番だと聞いて……最後の悪あがきを思いついたのよ」 「……あなた方の親子喧嘩に興味はありませんが、貴女のお話には少し興味が湧きますね?一体どんな内容でしょう?」  リューイは研究室で使っている防音装置をテーブルに置くとそれを起動させた。これを使用する事がバレても今は秘匿されるべき薬の話をしていたと説明すれば問題にはならない。ハイゼンバードが人の地位や名誉に興味がない事を、この国の貴族や王族は嫌というほど知っている。 「貴方は番が見つからなかった【シルビー】がどうなるかご存知かしら?」  しかし王女が【シルビー】について話し出した途端リューイは不機嫌になった。アルティニアに関係する内容を誰かに話したいと思わない。むしろ誰の目にもつかない場所に隠したいのを我慢しているのだ。それでもリューイにしては珍しく踏み止まった。 「…………行き場のない【シルビー】は神殿が保護すると聞いておりますが」 「そうですわね。しかし最近はその保護される【シルビー】もいないとか。ですから今回御三方の下にいらっしゃる【シルビー】はとても希少で貴重な存在ですわ。ではこれはご存知でしたかしら」  気が付けば窓越しに見える空は灰色の雲に覆われ激しい雨が降っている。面倒な王女の話に耳を傾けながら頭の片隅でアルティニアを一人で帰さなくて良かったな、などと考えていた。  彼女の言葉の先を聞くまでは。 「貴方の【シルビー】……アルティニア様を私の夜伽のお相手にという、お話が出ていること」  一筋の稲妻が閃光を放ち、地を這うような轟音が鳴り響く。  それは正に今のリューイの心情そのものであった。しかし、リューイは動かなかった。まだアリスから全てを聞いていないからだ。 「これもご存知?番以外が【シルビー】との間に子をもうけると、その子供は血の混じりがない真っさらな人間として産まれるわ。魔力も何も持たないただの人間が。そして神殿は昔から理由をつけて【シルビー】を王族の限られた者に預けている」  それは、決して外に知られてはならない王家の秘密の一部なのだろう。何故彼女が身の危険を顧みずこんな話をリューイにしたのか。その答えは一つしかない。  これは王家への復讐なのだ。  話を終えた王女はリューイの顔を真っ直ぐ見ると満足そうに笑った。 「貴重なお薬をありがとう。貴方の健闘を祈っているわ」  そして何も言わず退出するリューイを気にする事なく届けられた薬瓶の蓋を開けそのまま一気に飲み干した。

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