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episode2 塁②-2

   ◆ (るい) ②-2 ◆  朝陽から駐車場はG2エリアがいいと言われている。約束の十四時より少しだけ早く行きその場所で待っていた。  車内と室内にしかいないのだから天気は関係ないのだけれど、カラッとした薄水色の高い空が気持ちの良い午後だ。 〈あと五分で着きます〉  そうメールがきて朝陽はやってきた。コンコンと運転席の窓ガラスを叩かれたから、指で「うしろ」と示した。ドアを開けて「よろしくお願いします」と朝陽が乗ってきた。 「なんか、ホントにすみません。タクシーで行きますって言えばよかったって、あのあと思って。あと、家にお邪魔するなんて図々しかったかなとか」  朝陽がシートベルトをしたのを確認して車を発進させた。 「そんな、だってこっちから誘ったんだから。それにそういうプロ(だましい)? 俺は好きだよ」  ルームミラーで朝陽を見てニコッと笑うとマスクをしていても朝陽が笑ったのがわかる。 「ホントに近いんですね」  すぐにマンションに着いたから朝陽がそう言う。自分のパーキングエリアに駐車して、「地下駐車場には関係者以外入れないから大丈夫だよ」と言って車を降りた。朝陽はシートベルトを外すのに時間がかかっていたから後部座席のドアを開けてあげた。  駐車場から直通のエレベーターに乗る。塁の部屋は十五階だ。この階には四部屋あり、エレベーターホールを区切りにして、東に二部屋、西に二部屋ある。塁の部屋は東側で、向かいには会社の社長夫婦――確かIT関係だった――が住んでいる。  玄関を開けて「どうぞ」と招くと朝陽はそこでマスクを外した。 「そこ座ってて」  広いリビングのソファーを指さすと、「これ、紅茶です」と手土産をくれた。  塁は用意する飲み物を昨日から迷っていた。良いコーヒーメーカーを持っているからコーヒーでいいだろうと思ったが、人が()れたものとかって飲まなかったりして、とも思ったのだ。だってこんなかわいい子、睡眠薬でも入れられて眠らされたら……とか思った自分に「いやいや」と突っ込んだ。  ――俺はそんな変態じゃないぞ。というかそもそも俺、朝陽くんに近付いてどうしたいんだろう。いくら好意を持ったって、さすがに友達以上にはなれないだろうし。  ともかくコーヒーの他に小さめのペットボトルで、お茶、フルーツ系のジュース、野菜ジュース、とあれこれ用意した。  それが昨日のことだ。 「あ、じゃあせっかくだからこの紅茶淹れようか」 「ああ、いえ、それでもいいですけど、一応それは小日向選手へのお土産です。カモミールなんですけど、寝る前に飲むとゆっくり眠れるって聞いて」 「そうなんだ、ありがとう。じゃあ、……コーヒーか、それともお茶とかジュースがよければペットボトルいっぱいあるし」  朝陽は「コーヒーがいいです」と答えた。  コーヒーメーカーをセットしている間に、クッキーは食べられるか訊くと、食べると朝陽は言った。 「体型維持のために食べるもの気を付けてるのかなって思って」 「けっこうなんでも食べちゃいますよ。その分動くんで。夜は気を付けてますけど。小日向選手のほうが食事制限があるんじゃないですか?」 「うん、食事は基本的にはジムのトレーナーさんの指示通りにしてるかな。これくらいの間食はしちゃうけど」  そうだ、早めに言ったほうがいいなと塁は思った。どうしても朝陽に言いたいことがあったのだ。 「あのさ」  ソファーに座ってクッションを(ひざ)に乗せている朝陽を見て、かわいい……と倒れそうになる。 「はい」 「あー、えっと、朝陽くんも名前で呼んでくれたら……と思って」  かなり思いきって言ったのだけれども、朝陽は軽く「あ、はい。じゃあ、塁さんでいいですか」と言う。  コーヒーとクッキーの準備をするまでにだいぶ心臓がやられていた。  ソファーはもちろん隣ではなくもうひとつのほうに腰かける。「クッキーもコーヒーもおいしい!」と喜んでいる朝陽を見て、「もうなんかこの子、ラッピングして閉じ込めちゃいたい」なんて思う。 「広いしきれいにしてますね」  朝陽は塁の部屋を見渡しそう言う。 「きのう、すっごい片付けたから」  本当はおとといの夜からだ。 「家に人を呼ぶことなんてないから」  塁のその言葉に朝陽は「えっ」と小さく口にする。動揺を見せない朝陽だが少し目の動きに落ち着きがなくなった。  ――ああ、女をとっかえひっかえみたいな記事を見たことあんのかな。そりゃ、あるよな。あれだけ書かれたら。  なんとか言い訳をしたかった。言い訳というか、確かに遊んでいたことになるのだろうけれど塁だって必死だったのだ。自分も先輩たちのように結婚して野球選手として落ち着きたいと。 「彼女……とか」  朝陽のほうからそう訊いてきた。 「女の人は一度も家に上げたことないよ。仲間と飲む時も外だし、俺が実家に行くことはあるけど家族も来ない」  なにも言わない朝陽を見て、納得していないのかなと思う。 「朝陽くん、もしかしたらネットの記事とか週刊誌とか見た?」 「僕はネットは見ないんです」 「え?」  とてつもなくアナログなのかと思ったら朝陽が理由を説明した。 「へぇ、事務所からそんなこと言われるんだね」 「週刊誌もあんまり見ないですけど、置いてあるとたまにパラパラとは見ます」 「そっか。俺、プロ野球選手の中では、プライベートなこととかすごい書かれるほうだから。……ちょっと嫌になる」 「だから警戒して彼女も家に呼ばないんですか?」  意外にぐいぐい食い込んでくるんだな、と思う。 「いや、彼女はいないから」  朝陽は目を丸くして、「そうなんですか?」とちょっと大きな声を出した。 「あの、じゃあ……」 「ん?」 「あの、……また遊びに来てもいいですか?」 「えっ」 「あの、もしお邪魔でなければ、です」 「ああ、もちろん。朝陽くんともっと話したいって言ったのは俺だよ」  少し嬉しそうに下を向いて、「僕も塁さんともっと話したいです」と朝陽は言った。  ――え、これ。もしかして、いけちゃったりして……。 「朝陽くんはどうなの? って、アイドルに恋愛の話はNGか」  ちょっと探ろうと思ったが、対談の時の「朝陽に訊いてはいけない質問」を思い出した。 「公の場ではNGになってますけど、僕は別に訊かれても大丈夫なんです。探偵に調査されたってなにも出てきません。片想いしかしたことないんで」  か、片想い……。朝陽が片想い……、なんてかわいいんだ、と塁は叫びたくなる。  時間まで話をして、またテレビ局まで車で送る時は夕暮れが始まろうとしていた。 「ブルーとオレンジが混ざって空がすっごいきれい」  後部座席の窓から空を見ている朝陽を、塁はルームミラーで見ていた。 「ホントは塁さんの隣で見たかったな」  ――やばい、沈没だ。(おぼ)れてもう()い上がれない。 「ありがとうございました」  局の駐車場に着くと朝陽が礼を言いながらシートベルトを外そうとしている。 「朝陽くん」 「はい」  ――もう抑えきれない。 「次はいつ会える?」  恥ずかしくてミラーから目をそらす。  運転席のシートにパッと朝陽が捕まったから塁は驚いた。 「今日みたいな時間帯だったら空いてる日あります」 「そう。あの、じゃあ次もこうして迎えに来るからまたお茶しようか」 「はい!」  もう一度礼を言って朝陽は車から降りた。  ひとりになった車の中で塁はステアリングに突っ伏した。 「もー、恋じゃん。これー」  それからけっこうメールのやり取りをした。次来る時はなにを飲みたい? なにを食べたい? いつ来られる? そんなメールを送りながら朝陽の出ているテレビを見る。  バラエティー番組を見ると、朝陽は同じ事務所の先輩からかわいがられているのがわかる。 「俺、付き合うなら朝陽がいいー」 「僕も隼斗(はやと)くんがいいー。両想い!」  まわりが「チューしちゃえば」とからかっている。  ――するなよ? 絶対するなよ?  キャッキャと楽しそうに笑う朝陽を、塁はテレビ越しに見ていた。

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