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episode2 朝陽②-1
◇ 朝陽 ②-1 ◇
大丈夫。倭 に怒られるようなことはしていない。朝陽 は自分に言い聞かせるように心の中でつぶやいた。
塁 の夜遊びについていくなという警告だったから夕方までしか会わないし、塁の行きつけの店へは行かない。
それから初代のマネージャーから言われたことも守っているつもりだ。気持ちは殺さなくていい、でも世間にバレてはいけない。彼はそう言った。だから失礼を承知で車に乗る時は後部座席に座らせてもらっている。
朝陽の中ではこれをルールとして、あれから塁と何度かお茶をした。塁の自宅で夕暮れ前まで。
「渋谷は遠いからよかったのに」
紅白歌合戦の打ち合わせとリハーサルが昼過ぎまであった。そのあと塁の家へ行く約束をしていたのだが、いつものように迎えに来てくれたのだ。六本木なら近いけれど渋谷は悪いなと思った。
「全然遠くないよ。あの交差点が混んでるとちょっと時間かかるかもしれないけどね」
うしろから運転席の塁を見る。じーっと見ているとたまにルームミラーで目が合うからパッと目をそらす。
「クリスマスは会えなかったね」
ちょうど窓から外の景色を見ていて、クリスマスの装飾も終わっちゃったな、と思っていたところだった。
「あ、はい」
なんだか最近の会話はまるで恋人同士のようだ。
――塁さんは俺のことが好きなのかな。
「クリスマスはみんな一日中、仕事入ってました。事務所がわざと仕事入れてんのかなぁ。好きな人に会いにいかないように」
「好きな人……」
「え、……好きな人、……はい」
ちょっと渋滞に巻き込まれて、片手でハンドルを握ってもう片方の手が退屈そうな塁をうしろから見る。かっこいいなぁ、と見とれてしまう。
塁の部屋に着いた。来たのはこれで何回目だったか。朝陽は定位置のソファーに座る。
「そういえば今日はこのあとどこに送ればいい? 何時までいられるの?」
コーヒーを淹 れながら塁が訊いてくる。朝陽は持参した焼き菓子をテーブルに並べていた。
このあとの予定を塁に伝えていなかった。塁は仕事だと思っているようだが今日はなんの用事もない。ただ倭の呪縛 が解けないのだ。もし塁が朝陽を好きだと言ってくれたらこの魔法は解けるのだろう。
「朝陽くん?」
なにも返事をしないから、コーヒーカップをふたつ持った塁が近付いてきて顔を覗 き込まれる。
「あの、えっと……」
ソファーに座った塁は心配そうな顔で朝陽を見ている。
「あのっ、……ごめんなさい!」
「え、どうした? 朝陽くん、ちょっと顔上げてよ」
倭は一回会っただけではどんな人かわからないと言った。でも朝陽はもう塁に何度も会っている。そして悪い人じゃないと思っている。
「あの、俺、……嘘ついてました」
「え?」
「夜に仕事が入ってる日ももちろんあったけど、仕事がない日もありました」
塁は驚いているのかなにも言わない。しばらくしてから「どうして?」と訊いてきた。
「塁さんと飲みにいったりするのが怖かったから」
「……怖いの? 俺のことが?」
「違います。塁さんがどんなところに飲みにいってるのか知らないけど、そこで塁さんの知り合いに会って、知り合いの知り合いの女性とかに会って、ちょっと挨拶 しただけのところを写真撮られて記事書かれたら……、ファンの人に嫌な思いをさせちゃう」
ごめんなさいと頭を下げる。そしておそるおそる顔を上げた。
塁は優しく微笑んでいた。
「塁さん?」
「俺、そういうプロ魂 、好きだよって言ったよね」
初めて車に乗せてもらった時に言われた。
「そういうの好きだよ。そういう朝陽くん」
塁は優しい顔をしてそう言う。
「好きだよ。朝陽くんが好きだよ」
手が伸びてきて朝陽の髪はそっとなでられた。
「えっと、……返事、とかはないのかな」
「あ、すみません。ありがとうございます」
「いや、そうじゃなくて『好き』に対する返事は……」
「え、……えっ! あ、そういう?」
うん、と塁はうなずく。
「あ、はい。……俺も塁さんが好きです」
「ああ、よかった」
塁は安心したようにソファーに深く座り直した。
「朝陽くんの初めての恋人になっちゃった」
「塁さん、こっちに座って」
朝陽は塁の腕を引っ張って自分の隣に座らせた。いつも離れたソファーに座るから、こうして隣に座りたかったのだ。ずっと。
「う、意外と積極的なんだね……」
「そういうんじゃないですけど……」
あわてて塁の腕を離した。
それから塁は自分の話をした。野球選手は結婚したほうがいいのだと焦っていたこと、好意を持ってくれる女性と親しくなるたび女の人が好きではないと気付いていったこと、でも次こそはと思ってまた別の女性と親しくした結果遊び人のイメージがついてしまったこと。それでも特定の相手がいないプレイボーイみたいなキャラが良いと球団の上層部に言われること。でも今は朝陽が好きなこと。
朝陽も少しだけ自分の話をした。塁とは違ってけっこう早くに自分の指向を知ったから過去にふたり好きな男性がいたこと、どちらも片想いだったこと、それでもちゃんと好きだったから塁のことは三度目の恋であること。でもとても大好きなこと。
「過去に告白はしたの?」
「してないです。初恋は小学生の時でそもそも恋だって気付いたのはずっとあとになってからだし、中学生になって好きになった人には……、うーん、告白なんて考えなかったかなぁ」
「よかった。その人とうまくいってたら、今朝陽くんはここにいない」
ちょっとだけ朝陽の肩に触れていた塁の右腕がそっと腰にまわされた。
――あ……。
塁が顔を覗き込んだかと思ったら唇が近付いてきた。
――キス?
目を閉じて待っていると、「いや、だめだ」と塁の声が聞こえてきた。
「え?」
「だって、だめだろ。付き合ったその日にキスなんて。朝陽くん、初めて付き合うのに」
「そうですけど、キスはしたことあります」
「えっ! なんで!」
「ドラマで」
わぁ、と塁は頭を抱え込んでいる。朝陽のキスシーンとかイメージないと言うから、朝陽がしたのではなくて相手の年上女性からされる設定だったと説明する。
「相手の女優さんが誰かって俺に教えないで。嫉妬するから」
前からちょっと思っていたけれど意外とかわいいよな、と塁のことを見る。だから戸惑うところを見たくて、「んっ」と唇を差し出す。
まいったな、と塁は自分の髪をくしゃくしゃと触って、「じゃあ、軽く触れる程度の」と言いチュッと一瞬キスをした。
「ドラマでは三秒くらいのキスだった」
「まじか」
「だから三秒よりも長くして?」
今度は目を閉じずに塁の顔を見つめた。
塁はゆっくりと近付いてきて朝陽の目の前で顔を左に傾けた。唇が触れる瞬間、目を閉じた。五秒くらいのキスだった。
一瞬唇が離れたけれど、背中に腕をまわされて包み込まれると、塁は今度は反対側に顔を傾けてまた五秒くらいのキスをした。触れただけのさっきとは違って塁は朝陽の唇を少し食 んだ。
この店なら大丈夫と塁が言うから初めて外で食事をして、初めて家まで送ってもらった。
ひんやりとした部屋が暖まるのを待つのも、明日までに書かないといけないアンケートも、変更になったから復習しないといけないダンスも、どれも億劫 だとは思わなかった。
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