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第1話「ハルの日常」

「ウーシ!」 「うわッ」 バン、と背中を叩かれて、牛尾晴也(うしおはるなり)は驚いて声を上げた。 高校1年生、6月。 夏休みを意識せざるを得ないこの頃に、夏服を着た友人・猪田悠太(いのだゆうた)は春也の驚き様に満足そうにニヤついて手を振った。 「ごめんごめん!昼休みにお前が食堂いるの珍しかったから」 「あー、今日弁当なくてさ」 「お前んとこいつも親が作ってくれてるんだっけ?」 「そ。たまに自分でも作るんだけど、今日家族揃って寝坊して、俺と父さんは700円ずつ渡されて各自昼飯買えと」 「あははは!700円絶妙だな!でもいいじゃん、1番高い豚カツミニうどん定食も買える」 食堂に入ってすぐ左手にある券売機で券を買い、トレーを取って厨房の中が直接見えている受け渡し口の内、自分が買った券の名前が書いてある所まで行き、そこにいる誰かに券を渡して品を受け取る。 私立壱沿江学園壱沿江南高等学校(しりついちぞえがくえんいちぞえみなみこうとうがっこう)の食堂のシステムはこうだった。 「え、どれ?」 「あれ」 受け渡し口には特に仕切りがないが、上の壁にはそれぞれ少しずつ離されて「定食」「麺類」「丼物」などと書かれた紙が貼られてあり、それで棲み分けている。 「ちょうど700円だよ」 猪田が指差しているのはその棲み分け用の紙の上に貼られたこの食堂のメニューの方で、1番高い700円の豚カツミニうどん定食700円の紙だ。 山盛りのキャベツと厚みのある豚カツ、小さく切られたレモンが乗った皿と別に、白米と漬物、小さなうどんが付いた定食だった。 「いやいやいや、アレは食べないよ。腹苦しくなるじゃん」 晴也は困惑した顔で猪田に振り返る。 「俺いけたよ?」 「ガタイが違うんだよアメフト部!俺はラーメンで良いの」 「そんなんだから小さいんだよ」 「身長190もいらん」 猪田は縦にも横にも大きい事で有名で、スポーツ推薦でこの高校に来た。 所属しているのはアメフト部であり、期待のルーキーだと自分で言う程実力があるらしい。 対して晴也は身長173センチでハンドボール部に所属している。 ポジションはセンターを務め、1年生ながらに才能があると見込まれ3年生にも可愛がられていた。 「お前誰と食べんの?」 「あそこにいる多田と弘也と食べるよ」 晴也が指差した先には食堂の窓側の4人掛けの席で喋っている眼鏡の男と、猪田程ではないが背が高く身体の大きい、髪の短い男がいる。 「え、弘也学校来たの!?いつの間に!?」 猪田は驚いて「弘也ー!!」と身体の大きい男を呼びながら手を振った。 「おー、デブー」 弘也と呼ばれた男ともう1人の眼鏡を掛けた男・多田は笑いながら手を振り返してくる。 「デブって言うなお前もデブにすんぞ!」 猪田はほぼ筋肉で作られた身体をしているのだが、弘也は毎回こうしてふざけて彼に挨拶をしていた。 晴也を入れて4人とも同じ1年6組。 何かと騒がしいクラスだと何十人もいる教師陣の中でも問題視されている賑やかなクラスに所属している。 多田は頭が良く真面目で物静かだが、正反対の不良やうるさいタイプの男子に好かれがちで、弘也はあまり学校に来ない謂わゆる不良とレッテルを貼られており、今日も昼休みに入った瞬間に学校に来た。 昼休みになった瞬間に食堂に走る猪田とは入れ違いになったらしい。 猪田はアメフト部のルーキーで期待の星ではあるが上の学年と良く揉める癖がある。 晴也だけは全員と飄々と関わるが教師達からも信頼が厚く、勉強も部活も遊びも程良くこなす男だった。 「あ、アジフライ定食にしよ」 「唐揚げ付けてって言うと一個だけつけてくれるよ」 「それ絶対アメフト部限定だろ」 券だけ買うと定食と書かれた受け渡し口の下に止まる。 猪田が食堂の職員に「唐揚げ欲しい!」と言ってくれたおかげでその日の晴也の昼食は560円でアジフライ定食に一個だけ唐揚げが乗り込んだ豪勢なものになった。 「猪田、ありがとな」 「んー」 猪田はと言うと、見ていたら食べたくなったと言って豚カツミニうどん定食をトレーに乗せて同じ部活の友人達のところに歩いて行った。 先に席に着いていた多田克樹(ただかつき)と元原弘也(もとはらひろや)のいるテーブルまで行くと、晴也もやっと昼食を食べ始める。 「あ?今日月曜だから部活休みかお前」 「そうだよ」 隣に座っている弘也はラーメンを啜りながら多田と目を合わせる。 「ウシ、部活ないって」 「じゃあ帰りにうち寄ってゲームするぞ」 「無理。友梨とデート」 「はあー!?お前なあ、弘也が学校来たんだぞ!?ゲームして祝えよ!」 「ウシ冷たい俺泣きそう」 「すまんな」 弘也は泣き真似をしながら晴也の皿に箸を伸ばし、食べかけのアジフライを攫っていく。 「ごめんて。てか食べかけじゃないの持ってけよ」 「まるまる一個は悪いからいい」 「はあ、、」 これが、晴也の日常だった。 大体はクラスで猪田を入れた4人でふざけ、それなりに部活をして部活仲間とも仲良く過ごしている。 5月から付き合い始めた栄友梨(さかえゆり)とも順調で、先日彼女の初めてのキスを奪い、浮かれて2人で笑い合った。 (アイツ、飯食ってるかな) アジフライを眺め、脳裏に浮かぶ少し伸びた黒い髪を思い出した。 最初の以外、いつ開けたのか知らされもしなかったいくつものピアスがついた耳。吊り上がった鋭く悪い目つき、薄く大きい唇、筋の通った鼻、余分な肉のない頬。 突然思い出されたのは、ずっと近くで見ていた筈の知らない男の姿だった。 「ウシ、来週の月曜は遊ぼうよ」 「ん、どっか行く?」 「ゲーセンは怒られるんだもんなあ」 「離れた駅まで行けばいんじゃね?」 目に写る景色の中に、その男はいない。 平和ボケした様に穏やかで煌めく高校生活があるだけだ。 (喧嘩とかしてないといいけど) どこかで女子の騒つく黄色い声と、男の叫び声が聞こえる。 この窮屈で平凡で退屈な毎日が、晴也の日常になってしまっていた。

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