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第18話「ハルとユキのあの日」

続き続ける腐れ縁に嫌気が差していた頃、智幸に初めての彼女が出来た。 中学1年生のときだ。 (ユキに彼女、、まあ別に気にしなくていいか。あいつが俺に絡んでくる時間も減るし、楽になりそう) いじめられていた訳ではないが、相変わらず智幸に馬鹿だの阿保だのこっち見んなだのと言われて毎日付き纏われていた晴也は、これでやっと自分ではない誰かに智幸の目が向くのだとホッとした。 小学3年のあの日の事件以来、「目の色が気持ち悪い」とはあまり言わなくなった智幸に少しだけ成長を感じていた彼は、智幸が自分のもとから巣立っていくような感覚にジーンとしながらも、これからは自由に行動できるな、と残りの中学生活に思いを馳せた。 「好きです、付き合って下さい」 「え、、」 気持ちは後からついてくると思った。 思った通りに智幸が晴也にあまり寄り付かなくなってから半年が過ぎた頃、晴也は同じクラスの小平加那(こだいらかな)と言う、背が低くて身体が小さく、サラサラな黒髪を持った小動物のような女の子に告白された。 断る理由はなかった。 クラスの中でも数組のカップルが誕生しており、智幸だって青春を謳歌している。 今までは智幸目当ての女の子にラブレターを渡して欲しいだのバレンタインのチョコを渡して欲しいだの散々だった晴也は、こんなに可愛い子なら付き合っている内に好きになるだろうと快く告白をOKした。 「ハルくん」 周りが「ウシ」と晴也をあだ名で呼ぶ中、初めて智幸のように自分を呼ぶ存在ができた。 結果、1か月も一緒に過ごせば、晴也は加那を好きになっていた。 良く笑い、口が小さくて顎が外れそうになる事が多い彼女は面白く、クラスの他のカップルと一緒にデートしたりと智幸の事など忘れて加那と一緒に過ごす日々が続いた。 そして結局、事件は起きてしまった。 「ハルくんごめんね、今日は委員会があるから一緒に帰れないの」 「うん、分かった」 そう言っていた彼女の靴を智幸の家の玄関で見つけたとき、まさかな、と晴也は思った。 付き合いが悪くなり自分に興味なんてない筈の智幸が。 地味で真面目そうな加那に振り向くわけもない、と思って家に上がった。 金曜日だった。 智幸の両親は帰りが遅く、18時に帰宅する事はない。 気が付けば、何故か足音を忍ばせて2階への階段を上がっていた。 (あの靴、、多分加那のだ、でも何で) 信じたくない、疑いたくない。 胸はかつてない程うるさく鼓動を鳴らしている。 最後の一段に足をかけたとき、小さく開いている智幸の部屋のドアから微かに声が聞こえた。 「あんっ」 (加那の声だ) 何に対して自分が絶望しているのか、もう良く分からなかった。 「智幸くん」 声変わりが終わった低い声が彼の部屋に響く。開けられたドアの前に立っている自分と、ベッドの上で加那に自分のそれを突っ込んでいる智幸。 「はは、残念。もうおそ、」 もう遅い。 その言葉を聞き終わる前に、晴也が握りしめた拳が智幸の顔面にめり込んでいた。 「きゃぁああッ!!」 馬鹿でかい悲鳴も耳に入らず、晴也は全裸の智幸から血が出るまで殴ろうと拳を振るい続けた。 「ハル、やめッ、やめてッ」 舌が回るよりも早く殴る。口を開けたら殴る。自分から視線を逃したら殴る。 無表情で淡々と智幸を殴る中、加那は自分の洋服を急いで着込むと足音を散らばらせながら階段を降り、玄関のドアを開けて出て行ってしまった。 「は、はっ、る、」 「うるさい」 昔から、智幸よりも晴也の方がキレると手が付けられない事で有名だった。 優しい筈の彼が智幸を相手にしたときだけは誰も止められない程に力が強くなり、言う事を聞かなくなる。 だからこそ小学校1、2年生以来、2人が再び同じクラスになった事はなかった。 気が済むまで殴り、終わってみると自分の手からも血が垂れている事に気がついた。 晴也はぼんやりとそれを眺め、帰って消毒をして絆創膏を貼ろうと思い、殴り終わった智幸を離して立ち上がった。 「さよなら、智幸くん」 それだけを言い残して部屋を出る。 ポタポタと血が垂れるのも気にせず階段を降りて行き、加那の靴が無くなった事を確認して玄関のドアを開けると、そこでやっと右手が痛い事に気がついた。 (怪我してるんだから当たり前か) ガチャン、と背後でドアが閉まる。 玄関前の門を開けっ放しにして道路に出ると、とことことゆっくり自分の家の方へ向かって歩いた。 徒歩でも5分とかからない距離は便利だった。 (先に風呂入ろうかな) 晴也は行動と違って心は落ち着いていて冷静なままだ。 よくよく考えてみれば中学1年生で付き合っている男がいるのに他の男の家に上がり股を開くような女と付き合ってしまった自分も悪かったなあ、と呑気な事を思う。 既に暗くなった空から、ポタポタと雨が降ってきていた。 「ハル!!」 やっぱり追ってきたなあ、とも思った。 そして縋るようなその声を無視して振り返らずに歩いていく。 「ハル待って、お願い待って!!」 晴也を引き止めようと言う必死な声は住宅街に響いたが、人が出てくることはなかった。12月、外は寒いのだ。 「ハル待って!!」 中学の制服を着ているが、シャツはボタンを掛け違えているうえ、真ん中辺りの2つ程しか止められていない。ズボンは脱いでいたものに足を通しただけらしく、ベルトがブランと垂れてジッパーは途中までしか上がっていなかった。 そんな格好の男に後ろから抱きつかれ、晴也は迷惑そうに振り返る。 「何ですか?」 突き離す晴也の態度に、智幸は腫れ上がった顔でぐちゃぐちゃに涙を流していた。 「やめて、お願いだから、ハル!!」 誰がいけないのだろうか。 彼は何に謝っているのだろうか。 こんなに殴ってしまったが、晴也はもう加那の事はどうでも良かった。 「ご、め、ごめん、ごめんなさい」 涙なのか雨なのかが分からない。 智幸の顔はとにかくもうぐちゃぐちゃで汚かった。 対して晴也は美しく智幸の瞳に写っている。 生まれながらの浅い茶色の髪に雨粒がいくつも乗り、瞼を飾る睫毛に水滴がついていた。 「ごめんなさい、ハル、ごめんなさい、もうしないから!ハルのもの取らないから!!」 (違うだろ) 随分前からくすぶっていた苛立ちが晴也の中で暴れ回っている。 腑が煮えくり返り、反吐が出そうだった。 「ハル、お願いだから、」 「智幸くんは家に帰ってよ。俺も帰るから」 わんわんと泣くそれが、この世の何よりも頭の悪い生き物に思えてならない。 「嫌だ!!帰っても1人だもん、嫌だ!!」 ダラダラと晴也の足元まで崩れ落ち、智幸は必死に晴也の脚にしがみついた。 離すわけにはいかない。 ここで離したら、一生見放される気がしたのだ。 「一緒にいて!!お願い一緒にいて、1人にしないで!!ハル!!嫌だ!!」 あまりにも無様な態度の豹変に、晴也は雨に濡れながらため息をついた。 そして、濡れ始めていた自分のTシャツの裾で、こちらを見上げてる智幸の顔をグッと拭ってやった。 殴られて腫れた部分を押されて痛かったのか、智幸が小さく声を漏らしても、晴也は気にせずに乱暴に顔を拭いた。 「ハル」 名前を呼ぶ声はまだ泣いている。 情けなくて笑いが漏れた。 「ごめんなさい」 何に反省しているの、と聞きたかった。 人のものを取った事なんて怒っていない。 晴也がずっと怒っているのはもっと違う事だ。 「1人にしないで」 1人にした事があったか?、と聞きたかった。 晴也から離れたことなんて一度もなかったのだ。離れたのは智幸の方だ。 彼はそれをずっと怒っている。 けれど口に出した事はなかったな、と思った。 「分かった」 縋り付いて腰を抱きしめる智幸を見下ろす彼は、聖母のように穏やかな無表情でその腫れた頬を撫でる。 また泣き始めた智幸は必死に手に擦り寄って上を見上げた。 (俺を見てる) 彼は晴也のその視線に、どうしようもない安心と、優越感を覚えてしまっていた。 「俺がユキを1人にしない」 親が家にいる時間の少ない彼を。 友達にすぐいじわるをして嫌われる彼を。 この世で1番不器用で頭の悪い彼を。 その日、晴也は何があっても1人にしないと決めた。

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