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第27話「ハルの拒絶」
玄関に見慣れた靴がある事に気がついて、晴也は呆れたようにリビングのドア目掛けて声を掛けた。
「ユキいんのー?」
靴を脱いで廊下に上がり、リビングに入ると時計は既に午後21時を回るところだった。
テレビの前のソファではうとうとしながら録画したお笑い番組を見ている奈津香と冬理がいる。
「あ、おかえり。ユキちゃん具合悪くてハルの部屋で寝てるよ」
「具合悪い?絶対嘘だ」
「いいから行ってあげて。夕飯食べて来たんだよね?」
「うん、光瑠くんと」
部活のない今日はエナメルの鞄は持っていなかった。
学生鞄を肩にかけたまま、靴下を脱いで脱衣所の洗濯機に放り込んでおく。
リビングと脱衣所を後にすると、ゆっくりと階段を上って自室へと向かった。
「ユキー?」
ガチャ、といつもの音。
雨戸が閉められていない部屋は真っ暗だが月明かりが窓から差し込み、ぼんやりと全体が見て取れた。
テキトーに床に置かれた智幸の鞄と丸められた靴下。それから、こんもりと盛り上がったベッドが目に入る。
(本当に具合悪いのか?)
智幸に気を遣って、晴也はドアのすぐ横の壁にある電気のスイッチを押さずに足音を忍ばせ、鞄を床に置き、ゆっくりベッドに近づいてから智幸の頭の横あたりだろうベッドの縁に腰をかける。
ボス、と座る音がやたらと大きく部屋に響いた。
「ユキ」
「、、、」
壁側を向いた顔はこちらを振り向こうとしない。
「ユキ、大丈夫か」
毛布から少しだけはみ出ている黒髪に手を伸ばし、優しく頭を撫でてやる。
「、、、うるせえ」
低い声は天邪鬼で、可愛げのない言葉を漏らした。
「そっか」
優しい声に、まだ微睡の中にいる智幸は晴也の方へ少しずつ身体の向きを変えた。
「おかえり、ユキ」
「、、うるせえ」
「ただいま」
「うるせえな」
待ち焦がれた優しい笑顔は、月明かりで何処か艶かしく見える。
身震いしたくなる程、それは愛しく切なく彼の瞳に反射した。
「何でヒカルといた」
「え?」
この関係が壊れるとしたらいつだろう。
最近ようやくこの関係に終止符を打たなければならないと思うようになった晴也は、そんな事を考えていた。
高校生中に解決しないなら、高校卒業と共に終わらせる。
それが1番後腐れないような気がしていた。
中学までは同じ学校で、常にではなくとも一緒にいた。高校生になって初めて違う学校になり、生活が離れた。その危機感はある筈なのに、智幸は一向に自分との関係を発展させもせず、終わらせるでもなくズルズルズルズルと甘えて来ている。
晴也は智幸に尽くして来た。
出来る限りの事を彼に与えるのが当たり前だったからだ。
けれど晴也は意思がない訳ではない。
この関係にずっと縛られ続ける程、彼自身が子供ではないのだ。
晴也は智幸と違って、関係が変わる事も、外の世界と関わる事も怖くはない。
自分が求めた結果にならないなら、智幸を捨てていく事も厭わない。
「見てたの?」
ベッドで寝転がったままの智幸の頭を撫でてやった。
不機嫌面なまま、智幸は黙って彼を睨み上げ、毛布にくるまっている。
「、、んー、遊ぼって言われたから、行ってきた」
「、、もう会うな」
「はあ?何で」
呆れた嫉妬に、晴也は眉根を寄せて眉間に皺を作り、大きくため息をついて智幸の髪から手を離す。
「会うな」
「、、いやだよ」
光瑠と言う人間の何が引っかかるのだろう。
今までこんな態度を示したことがなかった智幸に、晴也は少しだけ期待をしてもいる。
「会う必要ねえだろ」
「友達なんだけど、普通に。遊びたいし会いたいよ」
「必要ねえだろ」
「、、何がそんなにいやなんだよ」
マットレスに手をついて、智幸が毛布の中から這い出しながら起き上がり、あぐらをかいてそこに座る。
晴也も智幸も、お互いに不機嫌な顔をしていた。
「俺が言ってんだからもう会うな」
「、、、」
これはまた、晴也の彼女を潰すときと同じ事なのだと理解した。
「気に入らない」の中身を追求せず、ただ晴也に求めるばかりのワガママだった。
「ちゃんと理由を教えて」
その一言に智幸は奥歯を噛み締めて、苛立っている、と表に出してくる。
「理由なんかねえよ。俺が気に入らないんだからやめろっつってんだよ」
(いつになったらお前、逃げるのやめるんだよ)
晴也はだんだんと虚しさを感じ始めていた。
(度胸もない。覚悟もない。ワガママばっかり。俺に求めるばっかり)
たった一言、智幸が言ってくれれば終わるものを、いつまでもいつまでも言わないと言うだけで時間ばかりが過ぎて来た。
傷つけ合うばかりで疲れないのか、と晴也はぼんやりと彼を見つめる。
もう眠くはなさそうだった。
『なんて言うか、トモのこと、飼い慣らしてる感じがする』
脳裏をよぎって行ったのは、昼間の光瑠の言葉だった。
(強くて格好良くて喧嘩っ早くて、誰も手をつけられない、、、いつからそんな大層なものになったんだろう)
世間から見た彼と、晴也の目の前にいる彼は随分違う。
光瑠が言っていたのは智幸が何とか作り上げて来た外面であり、晴也といるときの自然な彼の顔ではないのだ。
(飼い慣らすってなに。違うよ。こいつ、そんなに強くないよ。弱くてちっちゃくてすぐ泣くんだよ。だから、)
何をいつまでそんなに怖がっているのか。
智幸はずっと晴也を睨んでいる。
(馬鹿で弱いから、好きなのに)
呆れられた。
晴也が悲しそうな表情をしたからか、一瞬智幸は怯んで彼に手を伸ばしかけた。
「別に俺達、付き合ってないだろ」
その手が届く前に、そんな台詞が脳を殴った。
「、、、え?」
瞬きの後、薄暗い視界の中でもう一度よく晴也の顔を見る。
整い切った顔面の、緑色の目がこちらを睨んでいるのが見てとれた。
「彼氏でも友達でも何でもない。他人のお前に何でそこまで言われなきゃいけない。何で俺がそれに従わなきゃいけないんだよ」
「ッ、、」
いつもなら、「分かった」で終わる事なのに。
今日の晴也はそれを許さない。
智幸のどんなワガママでも聞いて来た晴也が、今回ばかりはそれを聞き入れてくれない。
そんな事態に智幸は思考が追い付かず、ただ慌てている。
「そうだよな?付き合ってないよな?お前、キスなんて誰とでもしてるだろ。俺は特別なんかじゃないんだろ」
「、、、」
「友達とキスなんかしないよな?じゃあ友達でもない」
「は、ハル、」
「だからそんなワガママきかない」
「え、」
そうやって狼狽えることができるなら、もっとちゃんとした感情を口に出して欲しかった。
智幸の困惑した表情に、晴也は複雑な胸の内を全部は出さず、ただ彼が1番傷つく言葉だけを言った。
「そんな事しか言えないなら、ユキなんていらない」
それは完全な拒絶だった。
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