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第32話「ハルの夏休み」
智幸と会わなくなって、1ヶ月が過ぎた。
季節はもう夏で、夏休みが始まっている。
「合コン行こーぜ、合コン」
「行くにしたって合コンの予定ねーだろ。何言ってんの」
弘也、猪田、多田、秋津、そして晴也。
同じクラス組に猪田とアメフト部繋がりである秋津が入り仲良くなっていたのは7月の初め頃で、今ではすっかりいつメンと言う仲になっていた。
今日の練習はハンド部もアメフト部も午前中で終わり、昼飯を近くのファストフード店で済ませている最中に弘也、多田と合流した。
猪田と弘也は身体の大きさもあってか、他の男子達と違い大きなバーガーを3つずつ頼んでいる。
高校1年生の男の子である彼らの話題は彼女欲しさの合コンの話だが、誰が女の子を集められる訳でも、誰かが誘われている訳でもない。
「御手洗とかに聞いたらなんかねーかな?」
「アイツいるとアイツに全員持ってかれる」
ハンドボール部の御手洗は彼女がいてもいなくても合コンやら女の子達とのつながりには強いのだが、本人の器用さやルックスの良さもあり、侍らせている女子は全員彼狙いになるのだ。
そこから奪って恋をするのも何とも負けた感じがしてならない。
「ウシも別れちゃったしなあ」
「あー、友梨ちゃん。御手洗が言ってたぞ、まだ未練たらたらだって。体育の授業のときとか窓からずっとお前のこと見てるって言ってた」
「え、こわ」
晴也の中ではそんなものはもう笑い話だった。
浮気した方が悪いのだから。
ポテトを取って口に入れ、むぐむぐと噛み潰して行く。
練習後のどこかふわふわしている身体に、晴也はフッと目を閉じて息をついた。
(あれから何にも言ってこないってことは、もう俺のことは諦めたかな)
ゆっくりと目を開けると、バチン、と向かいの席に座っている弘也と目が合った。
「ウシ、大丈夫か?」
猪田と秋津が女子と言う生き物に対してギャーギャーと語り始めたのを爆笑しながら多田が聞いている。
弘也はテーブルに身を乗り出すと、コソッと小さな声で晴也に問いかけてきた。
「ん?大丈夫だよ?」
「練習大変だったんか?疲れた顔してる」
「おー、、そっか?」
弘也がたまに妙な距離感になる事は晴也も知っている。
現に今、垂れてきていた晴也の少し長めの前髪をヒョイとすくって後ろに流してくれた。
こんな風にスマートに男に触れて、こちらが少しドキッとするような事をしかけてくるのはよくある。
大柄な身体に似合わない繊細な気配りだった。
「あんま無理すんなよ」
「ありがとう」
(優しくて大人。こう言う女の子と付き合いたいなあ)
晴也はぼんやりとそんな事を考えた。
智幸の事を気にしていない訳ではない。
ただ気にしたところで智幸が変わるかと言えば、また晴也に気にしてもらえた、優しくしてもらえる、と勘違いしてフラフラと近づいてくるような気がして許せなかった。
だから、この1ヶ月はまったく連絡を取り合っていない。
「、、、」
たった一言、好き、とも言えない男がこの先頼りになるとも思えなかった。
自分達が生きて行く上で、男同士でそう言った関係になるなら少なくとも周りからの圧に耐えなければならない。
親にバレた場合、またはカミングアウトをするのかどうか。
今、智幸に優しくしてしまえば、そう言ったもの全てから彼が逃げ続けるような気がしてしまった。
(だったらこのまま、いい加減、腐れ縁を切った方がお互いの為だ)
晴也はまたポテトを食べた。
その様子を、どこか心配そうに弘也は横目で眺めている。
1週間遅れている生理が気になって、原田はその日初めて妊娠検査薬を買った。
「大丈夫だよ、ケイちゃん」
晴也が考えているよりも事態は重く進んでいて、智幸は晴也の代わりになると言った原田に対して今までの女の子達とのお付き合いからは考えられない程強烈な束縛をしていた。
この日、光瑠に無理を言って智幸を原田から引き剥がしてもらった由依は、先日から聞いていた原田の悩みをどうにかしようと薬局に連れて行き、一緒にそれを買った。
震えながらショッピングモールのトイレの個室に入った彼女を見送り、由依は強張った腕をさすりながらトイレの外の通路にあるベンチに座って彼女を待つ事にした。
「はあー、、」
原田と智幸が付き合い始めたと聞いて、由依は嬉しかった。
しかしそれも束の間で、2日後、体育の授業の着替えのときに見つけた彼女の腕や脚にできたアザに驚愕した事を覚えている。
「なに、それ、、」
「あっ、」
自分の身体を哀れみと驚きの顔で見る由依を見て、原田は咄嗟にジャージで身体を隠し、震えながら首を横に振る。
「違うの、違うの」
何を言っているのか自分でも分からなかったが、そのアザが智幸に付けられたものである事に変わりはなかった。
付き合った日、とても乱暴に抱かれたのに原田の心は満たされていた。
満足して隣で眠る智幸を見て、やっと彼を自分のものにできた。
「飼いならせた」と思った。
けれど翌日から、他の男と喋ったと言って頬をぶたれ、無理矢理に抱かれ、やめてと言っても何度も中出しをされた。
それが、ここ1ヶ月ずっと続いたのだ。
(頭がおかしい、、)
それでも好きだ。
けれど、月経管理のアプリから通知が来た予定日から1週間経っても生理が来ないとなった今、彼女は心の底から色んなものを恐れていた。
自分の家にいては智幸が渡した合鍵を使って簡単に侵入してくる。
由依の家は家族がいて妊娠検査薬なんて使うわけにはいかない。
見つからず、安全な場所と考えた結果がここだった。
(妊娠はいや、妊娠だけはいや、お願い、お願い、)
親に顔向けできない。
原田は震えながら2本入りのそれを箱から1つだけ出した。
銀色の袋を破ると、白く平たい棒状の検査キットが目の前に現れる。
(妊娠はいや、智幸くんの赤ちゃんでも、今はいや、だって、だって今は付き合ってるけど、智幸くんが浮気しないか分かんないし、最近怖いし、赤ちゃんに暴力振われたくないし、高校生で妊娠したらどうなるの?赤ちゃん産まなきゃいけないの?お母さん、お母さんに嫌われたらどうしよう)
ぼたぼたと涙が溢れてくる。
泣きながらも、説明書を読んでから震える手でそれを持って、便座に座る自分の脚の間に差し込んだ。
(大丈夫、大丈夫、大丈夫)
電源を切っている携帯電話すら怖かった。
智幸から電話がかかってくるに決まっているのだ。
最近は、由依と遊びに行くと言ってもどこへでも付いてきて片時も離れてくれなかったのだから。
それだけ、智幸は原田を雁字搦めに束縛している。
そうして浮気の疑いがかかったり、自分の気に入らない事をしようものなら暴力を振るったりまた無理矢理セックスをさせられるのだ。
(苦しい、、人と付き合うってこんなに苦しいの、、?)
脚もガタガタと震え出していた。
尿をかけ終えたそれは汚くも思えたが、仕方がないのだと言い聞かせてトイレットペーパーで軽くキットと手を拭いて、震えたまま検査結果が出るまで息を殺して待った。
(嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、お願い、お願い、、何でもするから妊娠だけはやめて、来ないで、赤ちゃんなんかいらない、お母さんとお父さんの子供でいたい、やめて、お願い)
彼女の兄にも最近恋人ができ、恋人の家に行くことが多くなった。
智幸の存在を知られてはいるが、兄はそこまで彼と関わってもおらず、本性を知らない。
加えて、原田自身が智幸に何をされているのかを彼女は由依と光瑠以外には教えていなかった。
智幸が光瑠と別れれば、今日ももちろん原田の家に帰って来る。
ほぼ半同棲状態で、毎日一緒にいるのだ。
(帰ったらまたセックス?ゴム付けてくれないのにまたするの?赤ちゃんができてたらどうしよう、なんて言うの?喜んでくれる?お腹殴って殺される?おろせって言われる?それとも結婚?結婚なんてしていいの?だって、暴力振るってくるのに)
ギュッと目を閉じて、手の中にある検査キットを握りしめた。
呼吸が浅くなっていて、意識して深呼吸をしないと苦しい。
うまく頭に酸素が回らず、視界が揺らぐようにすら感じていた。
(怖い)
どうして1人でこんな不安と対峙しなければならないのか。
原田はトイレの個室で1人、そんな事を考えていた。
(もう5分くらいこうしてる、、結果、1分で出るって書いてあった、、もう出てるよね)
結果を見るのが恐ろしくて、なかなか目が開けられない。
背中を嫌な汗が伝っていって、腰を超えてパンツにしみた。
噛んでいる下唇にくっきりと歯形が残る程、身体に力が入っていて抜けてくれない。
(怖い、怖いよ、智幸くん)
答えてくれる訳もない。
スッと息を吸い込んで、意を決して目を開けた。
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