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第34話「ユキの苦しみ」

「トモ、今日俺の家泊まんね?」 午後21時。 そろそろ帰る、と言い出した山中達に合わせてずっと苛ついていた智幸も帰り支度をしていた。 夕飯は4人で済ませ、ファミレスから出ると言うときに、光瑠は智幸の肩を掴んでそう切り出した。 「は?」 ボーリングの途中、智幸の携帯に原田から電話が掛かってきた。 出られなくてごめん、映画を見ていて電源を切っていた。 その内容に納得した智幸は、何時に家に帰るのかとしきりに確認し、何とか少しだけ不機嫌さを治らせていたのだが、原田は妊娠していなかったがやはり智幸と2人にしたくないと言う連絡を由依から受けた光瑠はそれに賛同して、彼を1日だけでも原田から引き剥がそうとしている。 「桂子の家に帰る」 「1日くらい俺に付き合ってくれてもいいだろ」 「良くねえよ、うぜえな」 友梨に手を出した後の、あの穏やかな智幸はどこへ行ったのだろうか。 女にも飢えず、暴力もやめて牙が抜けたかのように優しくなったあの一瞬は幻だったのか。 やたらと悪くなった目付きで光瑠を睨み、智幸は原田に「帰る」とメッセージを送った。 「なあ、トモ。お前どうした?原田だってちょっとは1人になりたいって、絶対」 「うるせえなあ!!」 肩を掴んでいた手を振り払い、店の中だと言うのに大声を出す。 周りの客はどよめきながら光瑠と智幸を見つめ、何かヒソヒソと話し始めた。 遅めの時間だからこそ人が少なくて良かったものの、騒いだ結果、運が悪ければ店側に通報されかねない。 「ま、まあまあまあ!外出てろよお前ら、会計しとくから。な!」 1連の流れを見ていたが、現状をまったく理解していない山中が空気の悪さだけは読み取って2人をいさめ、何とか店の外に押し出していく。 青木はさっさと伝票を持ってレジへ向かった。 「トモ、頼むから!!」 外へ出るなり、智幸は駅への道を脚の長さを使ってすごい速さで歩き出してしまう。 それを追って光瑠も駅に向かい、山中は青木が出てくるのを待つ為に2人の背中へ「今度会ったら金返せよー」と声をかけた。 「なあ、トモ!!」 「、、、」 「もうアイツに暴力振るったり、無理矢理シたりするのやめてやれよ!!死んじまうって!!」 智幸の目の前に回り込み、今度は両肩を掴んでその身体を止める。 俯いた顔はこちらを見ていなかった。 「なあ、トモ、頼むから今日だけウチに来てくれ。原田、このままだと壊れちゃうよ。ちょっと話そう、な?お前があいつのことどう思ってるのか分からないけど、大事だろ?大事にしたいんだろ?なあ、」 「、、、何で俺があいつを大事にしないといけないんだよ」 「付き合ってんだろ!!彼女だろ!!あんな人前で殴ったり、家に帰っても殴られてるって言ってたぞ、あいつ!!」 「あ?お前と連絡取ってんのか?」 「え、?」 俯いていた顔がゆっくりと上がってくる。 瞳孔の開いた目は激情を纏った視線を容赦なく光瑠に突き刺し、彼の身体を一瞬震わせた。 「アイツまたお前と連絡取ってんのか?」 (そんな事にまで、、) らしくもない束縛と感情の起伏。 元々怒りやすい人間だと思ってはいたが、ここまでタガが外れた怒りを持った奴ではなかった筈だ。 光瑠は初めて彼を「怖い」と感じた。 駅に向かって進もうと歩き出した身体をもう一度力を込めて押さえ付け、後ろから山中と青木が追い付いてくるのを確認して口を開く。 「なあ、ウシくんなんだろ」 「、、、」 その一言を聞いた瞬間の智幸の顔を、光瑠は忘れられなくなるな、と感じた。 怒り、悲しみ、憎悪、それから、何だろうか。 色んなものをはらみ過ぎて、もう訳が分からなくなってしまったと言う様な全てが入り混じった表情は、今まで一度も見たことがない。 「ウシくんと、何かあったんだよな?」 「、、、」 「、、何があったんだよ」 光瑠は意を決して、わざと、その名前を口にした。 「は、ハル、と」 右の肩を掴まれた。 相手の指が肌に食い込み、骨が軋まされて痛みが走った。 それに気を取られて視線を右側にズラした瞬間、反対の視界の端に握り拳が映る。 「トモやめろッ!!」 青木の叫び声が人のいない夜の道路に響く。 夏真っ只中の、湿気たっぷりで吸うと肺が重くなるような空気を切り裂き、智幸の右の拳は力一杯に光瑠の左の頬に当たり、肉を歪ませ、骨に響き、皮を挟んで歯をなぞった。 ガッ!! 「ゔッ!!」 あまりの衝撃と痛さに、一瞬目の前が真っ白になる。 遅れて来た脳への衝撃で意識が朦朧とし、光瑠は呆気なくその場へ倒れ込んだ。 「ヒカルッ!!」 コンクリートの上の細かな砂利が手のひらに食い込む。 痛みで開いた口から、ぼたぼたと唾液が溢れていった。 「トモ!!てめえ何してんだよ!!」 2人に追いついて来た青木と山中は倒れて頭を押さえ込む光瑠に寄り添い、大丈夫かと声をかけながら智幸を睨みあげる。 「何なんだよ最近のお前!!訳わかんねえことばっかしやがって!!気持ち悪いんだよ!!」 ここ最近の智幸の行動にまったく納得のいっていなかった山中は、とうとう口から吐き出せる限りに彼を否定した。 「ヒカルがいるから今日だって来てやったのにずっと空気悪くするし、お前人付き合いできなさ過ぎんだよ!!迷惑とか考えろよ!!一緒にいても全然楽しくねえよ!!」 「ヤマ、いい、いいからやめろ、」 「黙ってろ!!」 智幸より小さく、彼ほど筋肉量もない。 それでも彼の目の前に立ち上がり、山中は智幸へ抑えていた敵意を剥き出しにして言葉で喰ってかかっている。 普段から周りに引けを感じてヘラヘラと振る舞う事が多い彼だったが、「友達と楽しく過ごしたい」と言う気持ちは人より強かった。 智幸への憧れもあって連んでいたのだが、彼の横暴さに自分の信念がぶつかり、光瑠を殴られる現場を目撃して沸点に達したのだ。 「原田だってお前なんかと付き合って可哀想だ!!」 智幸が情緒不安定な上、自分達が連んで仲良くしている女の子にまで暴力を振るっていると言うのは何となく察しがついていた。 光瑠も由依も周りに言わず、出来る限り原田と智幸の歪なお付き合いの現状を隠してきたが、近くにいる山中と青木は見ないフリをしつつもそれとなく分かってはいたのだ。 智幸がいつもと違うこと。 原田が笑わなくなったことに。 「あ?うっせえな何言ってんだ?」 「どうしちゃったんだよ!!何でそんなに俺達にまで冷たくするんだよ!!」 「下らね、帰る」 取り合おうとしない彼に、山中は歯を食いしばって声を張り上げた。 「ッ、、もう、、もうお前なんかいらねえよ!!」 「ッ、!!」 『お前なんかいらない。家に帰れ』 山中が発した言葉に、拒絶された日の晴也の言葉が智幸の耳元に甦って来る。 『お前なんかいらない』 あまりにも冷たくて恐ろしい程無表情。 美しい緑色の目は澱んで、自分を映してはくれなかった。 縋っても縋っても遠のいて行く。 触れたいのに、触れて欲しいのに、今、ここに彼はいない。 「ッく、、ぅ!!」 ガッ、と両手で顔を覆った。 手のひらを強く瞼に押しつけて、そう言い放ったときの晴也の顔を忘れたくてもがく。 (ハル、、、ハルなんか、ハルなんかいらない!!いらないのはお前だ!!いらない、必要ない、もう必要ない!!) 早く忘れたいのだ。 自分を苦しめる憎い男の姿を。 なのにどうしようもなく蘇って、ときに優しく笑いかけ、そして先程の冷たい言葉を何度も智幸に囁いてくる。 この1ヶ月と少し、もうずっとこんな風に晴也を思い出しては頭が痛くなって苦しんでいた。 「呼ぶ、、な、」 「、、え?」 急に情けない声を絞り出した智幸を、山中はキョトンとした顔で見つめる。 先程までの殺意に似た視線はなくなり、代わりにどこか子供のような声で何か小さく言っている。 「、、トモ」 うずくまっていた光瑠が立ち上がって、山中を抑えて智幸の前に出る。 「あ、あいつ、、を、」 「トモ、ごめん。俺が悪かったから、」 このときの智幸の姿を見て初めて、光瑠はやっとあの言葉を理解した。 『人に飼い慣らすなんて言葉、使っちゃダメだよ』 晴也が言ったあの言葉。 あのときの晴也の、どこか絶望したような、呆れたような、やる気のない表情の理由。 目の前で急に悔しそうにやるせなさそうに歯を食いしばり、自分の顔面を痛い程掴んで表情を歪ませている智幸を見て、晴也の言葉の意味にやっと辿り着いた。 「アイツを、ハルって、呼ぶのはやめろ」 「、、お前、」 (そんなに、ウシくんのこと、) 目の前のこの男は、誰にも飼い慣らせない狂犬でも、危険な獣でも、何でもない。 コレは子供だ。 好きな人を取られるのが怖くて周りを攻撃してしまう、ただの学習の足りない子供だ。

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