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第40話「ハルとユキの朝」

目が覚めると、目の前に智幸の整った寝顔があった。 「、、あ、そうか」 昨夜、布団に忍び込んできた智幸を散々っぱら甘やかし、乳首を吸わせて、性器も触らせ、後ろの穴まで許したのだ、とぼんやりと記憶が蘇る。 何ともいやらしく、気持ちの良い夜だった。 思い出すと心拍数が上がり、顔が熱くなる程に。 (すごい気持ち良かったのだけちゃんと覚えてる、、あとは眠くでぼんやりだ) 確か、後ろは指を入れられただけで、智幸の人を殺せそうな程に大きいアレは入れられていない筈だ、と思い返して、晴也は安心して息をついた。 「ん、、んー、、」 寝言だろうか。 少しうなされたような声に思わず智幸の頭に手が伸びた。 ポンポン、と髪に触れてから、頬をなぞって撫でる。そうやると、気持ち良さそうに寝息を立て始めた。 「、、可愛い」 憎たらしさもある。 けれどこうして見る寝顔だけは、智幸が下手に自分を攻撃されないようにと作り上げてしまった厳しくて人を近づけない表情を忘れられる程に穏やかで、可愛らしく思えた。 「ユキ、、俺の、ユキ」 捨てる覚悟は出来ている。 不本意だったとは言え、昨日伝えてしまった言葉。あれまで教えてもダメなら、やはりダメなのだ。 待ちはするものの、またこうして甘えに来たら今度はちゃんと拒絶しなければいけない。 また少しでも成長していたら少しくらいはご褒美をあげてもいいが、今回は眠気に負けたのもあってあげすぎてしまった、と晴也は自分の甘さに反省する。 「頑張れないなら、捨てるよ」 起きない智幸の寝顔をしばらく見つめてから、身体を近づけ、ちゅ、と唇に軽くキスをした。 「ちゃんと俺のものになれるように、頑張れ」 それだけ言うと、彼が起きないようにゆっくりと静かにベッドから降りる。 「う、」 「、、ん?」 そうして、低く唸って寝返りを打った智幸に、昨日の夜は気が付かなかった異変を見つけて苦笑した。 「ん、、、ハル、?」 手を伸ばしたけれど、誰もいないブランケットに手が落ちた。 「、、ハル?」 まだ眠い。 思っていたのと違う朝を迎えた智幸はボーッとする頭を叩いて無理矢理起こすと、ベッドの上に座って部屋の中を見渡した。 晴也の姿はもうそこにない。 ボト、と違和感のあった左の頬から何かがシーツの上に落ちる。 「ん、?」 ティッシュが巻かれた保冷剤に、セロハンテープが貼ってある。 何だ?と思ってそれが付けられていた左の頬を触ると、微かに腫れていた。 (あ、、あの後、青木に殴られたんだった) 昨夜、原田の家に帰る前。 光瑠に晴也と何があったのかと問われ、山中に「いらない」と言われた後、最後に青木に「いい加減にしろ」と言われて思い切り殴られた。 普段から穏やかでケラケラと笑う彼からは誰も予想できないその暴力を、そばにいた光瑠ですら唖然と見送る事しかできなかった。 ぼんやり腫れた頬は冷たい。 腫れている事に気がついた晴也が冷やす為に保冷剤にティッシュを巻き、面倒だったからリビングに置いてあるセロハンテープを使って頬に無理矢理これを固定したのだろう。 (ハル、、) 何となく胸がふわふわした。 最近また酷くなっていた苛立ちが嘘のように消えている。 だが身体は怠く、気分も晴々としているわけではなかった。 「、、、?」 晴也が寝ていた側にある彼の使っている枕の上にメモがそっと置いてあるのが見えた。 手に取って、ぼやける視界で何とか読み解く。 おはよ。 テーブルに飯。 皿は洗え。 部活の午前練行く。 ちゃんと帰れ。 鍵閉めろ。 「、、、」 それだけがやたらと綺麗な字で書いてあった。 (何もやる気起きねえな) 昨日の夜のあの時間が幸せ過ぎだのだ。 触れられる晴也の体温や、匂い、声。すぐ近くにあればある程、密着できる程、智幸の中の何かが満たされていた。 起きて横にいないだけでこんなにも絶望するのだな、と彼は晴也の部屋の天井を眺めてぼんやりと思う。 「はあ」 もともと、何かに駆られて何かをする事が智幸にはない。 父親と同じ道に進みたかったが、勇気が出なくて諦めた。 父親に縋っても忙しいからと離され、母親に縋ってもごめんね、お父さんが、と言われ離された。 何をしても自分の気持ちやワガママが聞いてもらえた試しがなかったが故に、生まれて間も無くして自分の中に根付いた無力感と無気力。 病気のように、この歳になっても尚、それはそばにある。 「、、ハル」 それが、晴也の存在によってたびたび覆されて来た。 張り合いたい。勝ちたい。 そんな気持ちから始まった。 負かしたい。悲しませたい。 そんな歪みを生んだ。 見られたい。触られたい。特別になりたい。 そんな想いに変わった。 「、、、」 智幸の中で、晴也と言う人間そのものが彼の世界の革命そのものだった。 どんなに突き放しても冷たくしても酷くしても、絶対許してそばにいてくれた人間。 それが彼だ。 『何で言ってくれないの』 昨夜、泣きながら晴也が訴えて来た言葉が脳裏に蘇る。 『聞きたいだけなのに』 それを言ったら、多分全てが上手くいく。 晴也は自分を許してくれる。 そこだけは智幸でも理解できていた。 けれど何を言ったらいいのかが分からない。 晴也が何を求めているのかが。 『ユキの口から言ってよ』 あんなに泣かせた事はなかったと思う。 いや、小さい頃に何度かあっただろうか。 珍しく大人の皮を被り忘れて、乱れ切っただらしない顔でこぼした晴也の本音を思い出して、智幸の胸はドクドクと高鳴っていた。 (綺麗だった) 泣いているのに、まるで天使みたいで。 自分が触れてはいけない神聖な存在のような気がした。 「ハル、、俺の、ハル」 ずっと隣にいてくれると思っていた。 何をしても許してくれるから。 なのに今、空っぽの部屋で自分だけがポツンとそこにいる。 ブーッ ブーッ ブーッ 「?」 ぼんやりした頭のまま、枕元にある携帯電話の着信を見た。 画面には「桂子」と表示されている。 うるさくバイブの音が鳴り響いて止まない。 「、、、」 そう言えば、何で自分は晴也だけ殴れなくなったのだろうかと考えた。 苛立つと原田であろうと光瑠であろうと容易に暴力を振るうくせに。 いくら自分の方が身体が大きくても、確かに互角か、あるいはそれ以上に晴也が喧嘩が強いからと言うのはある。 キレると智幸ですら手が付けられない。 けれどそうではない、そう言う事では。 いつからか殴りたくなくなったのだ。 あの綺麗な生き物を。 「、、ハル、待ってちゃ、ダメか」 携帯電話の電源を切って、もう一度ベッドに潜り込む。 晴也の甘い匂いに包まれると頭も心も落ち着いて、何かをきちんと考えるならここが1番最適なように思えた。 「ハル」 いつから殴れなくなったんだろう。 あの美しい緑色の目に見つめられると、拳を振るう気がなくなる。 「、、、会い、たい」 殴るより、ただ触れたい。 喧嘩をするより、抱きしめて欲しい。 そう願うようになった。 そしてそれを、晴也は叶え続けてくれていた。 当然だった。 「、、何で」 どうしてそれが当たり前になったのだろう? 「ハルが、許してくれるから」 じゃあどうして許してくれなくなったのだろう? 「俺が、、何か、した」 自問自答を繰り返し、午前10時過ぎの日差しを浴びる。 見上げた天井の白色ですら、もう何年も見てきたものだ。

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