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第41話「ユキの問答」

(ハル、帰ってきたら怒るんだろうなあ) メモに書かれていた事もあり、作っておいてくれた朝食を食べに一度リビングに向かった。 それを食べ終え、メモに書かれていたように歩いて5分もかからない自分の家に戻ろうとも思ったが、いつ帰れと書かれていなかった事もあり、智幸はまた階段を上って晴也の部屋に戻り、ベッドに潜って目を閉じた。 それから2時間は経ったと思う。 晴也のブランケットにくるまったまま何度か寝て起きてを繰り返し、やっと頭が冴えた。 切っていた携帯電話の電源を入れるといくつかの通知が表示され、目を細めて眩しく思える画面を睨み付ける。 桂子[別れたくない。帰ってきて。お願い] 桂子[どこにいるの?] 桂子[お願いします帰ってきて下さい] 「、、、」 何故か、胸が苦しくなった。 連絡用のアプリを起動すると、原田以外にも色んな人間から連絡が入っている。 1番上の欄にいるのは原田で、昨日の夜から寝ずに連絡をしてきていたようだ。 電話は先程の一件と、智幸が電源を切っている内に数十件、ほぼ1分おきや5分おきでかかって来ていた。 原田の下に、光瑠の名前があった。 「、、、」 メッセージは読まず、何となしに通話ボタンを押す。 どうしてそうしたかは分からなかった。 5回程コールが続いたものの、出ないなと思って耳から携帯電話を離す。 その瞬間に、通話中の画面に切り替わった。 「あ、、?」 《ーー?ーーー??》 微かに人の声が聞こえる。 智幸はゆっくりと携帯電話を耳に押し付け、寝起きで掠れる喉から声を絞り出した。 「ヒカル」 昨日思い切り殴った友人は、何がおかしかったのか通話口の向こうで大きな声で笑い始めた。 《あっはっはっはっ!トモから電話来たー!とか思ったら、なに、寝てた?声ちっさ!!》 そんな事気にせずキレてくればいいのに、光瑠は楽しげで悪びれもせずしばらく智幸を圧倒する程豪快に笑うと、落ち着いてきたのか深く息を吐いて、「で、」と切り出してくる。 《どした、電話。あれ?お前俺からのメッセ見た?》 「見てねえ」 《見てねーんかい。ま、いいや、口でちゃんと言おうと思ってたし、もう一回》 「何を」 ぶっきらぼう、と言うよりも、気持ちが穏やかになり過ぎてふわふわしている智幸はまだ頭が回っておらず、やたらと優しい声で話す。 晴也の枕をグイグイと自分の方に寄せると、抱え込んで鼻先を埋めた。 (ハルのシャンプーの匂いだ) 当たり前にも、そこからは彼の匂いがした。 《その、ほら、、ウシくんとのこと、言って、ごめん、て》 「あー、、」 《?》 またキレ出すか怒鳴るか、それともヒステリックになるか。 智幸のそんな反応を恐れつつも話を切り出した光瑠は、あまりにも呆けた声に首を傾げた。 「俺も、あんま、そう言うの言わなくてごめんな」 《、、、、、、、、え?》 拍子抜けにも程がある。 電話の向こうの人間が、本当に智幸なのかと疑った。 たまにやたらと律儀なるところは確かにあったが、最近は暴走と横暴で場の空気を乱し切っていた筈だ。 そんな男が急にまた丸くなってしまった。 1ヶ月ともう少し前、急に穏やかになったあのときのように。 「殴ったのもごめん。腫れてねえか」 智幸は優しい気持ちになっていた。 晴也の家で、晴也の部屋で、晴也のものに囲まれて、包まれて、晴也の枕を抱きこんで。 智幸はいつも感じている苛立ち、、もとい、彼の中に居座り続けている「恐れ」が今とても落ち着いてしまっている。 それを感じずに済むのは智幸にとって最大のストレスがない事になる。 だからか、彼の頭の中はここ数年で1番穏やかでゆっくりとしていて、そうしてクリアにものが見えていた。 光瑠の声を聞いて昨日の事を思い出し、素直に、あれは悪かったな、と思えたのだ。 《冷やしたから、大丈夫、、え、トモ、なに、どした??お前が大丈夫か?死のうとしてないよな?どこにいんの?原田の家?》 「違う」 《あ、、もしかして、ウシくんのとこ?》 何故光瑠がそこまで察しがいいのかは少し疑問だったが、いつもと違ってその疑問に対して苛立ちは起きない。 焦りもなかった。 「ハルのとこ」 照れるような、嬉しそうな声だった。 《ウシくんといんの?》 「部活行ってる」 《あ、そっか、ハンド部大変なんだな。あー、そっか、そっか、、、あ、あのさあ、トモ。怒んないで聞いて欲しいんだけど》 「ん?」 《原田とさ、、別れられねーかな。それか、あのー、暴力とか、もうやめてやってほしい。頼む》 「、、、」 ああ、そうか。 智幸は一瞬天井を見上げた。 頭の中の霞がない今なら理解できたのだ。 自分が原田を殴っていた事を。 (光瑠がこれだけ止める。あいつ、痛かったんだろうな) 余裕のない日々の中では、智幸は自分の事しか見えておらず、そんな事すら気が付けていなかった。 自分が人を殴って痛めつけていると言う感覚もなく、正直、あまり覚えてもいないのだ。 「、、、」 《落ち着いて考えて欲しい。あいつ、》 「わかった。別れる」 《え、、?》 自分が彼女を傷付けた事を、智幸はやっと自覚した。 誰かを、何かを、傷付ける、壊す。 人の事など考えない。 そんな行為が智幸にとっては当たり前の事過ぎていた。 それが為に、彼はそれが呼吸のようなものだったので、まるで分からなかったのだ。 『いらない』 その言葉で自分が傷付いて、悲しくて、絶望したように、周りの人間もまた、そう言う想いに駆られるときがあるのだろうと。 そしてそれを自分は気にした事すらなかったのだと。 《トモ、、》 傷付くのは嫌だ。 普通過ぎるそんな考えが、無意識ではなく智幸の中にやっとハッキリと芽生えていた。 「ヒカル。俺も、頼みたいことがある」 《え、、あ、うん。どした?》 「、、ハルのこと、もう、ハルって呼ぶな」 《、、、》 それはあまりにも可愛らしく、子供じみたお願いだった。 《あれってそんなに嫌なの?》 「嫌だ」 光瑠の中でずっと周りから怖がられていると思っていた存在が、目の前で急に小さく弱いものになった。 昨日の一連の流れで光瑠は智幸が実際は物凄く幼い考えの持ち主だと言うことは察していたが、やはりそれが「牛尾晴也」に関係しているのだと確信する。 《ん、じゃあやめる》 「嫌だ」と、一瞬だけ拗ねたように聞こえた声に、光瑠はフッと笑いが漏れた。 「青木と山中にも謝る」 《改心し過ぎだろ、すげーな》 フハハッ、と電話の向こうから聞こえる声に、智幸は光瑠がどう笑っているのかを想像した。 いつも身体をユサユサ揺らしながら笑う彼を容易に思い出せて何だか面白い。 出会ってまだ数ヶ月だと言うのに、彼はそんな時間など関係ないと言ってくれているかのように智幸の近くにいる。 青木も山中もそうだ。 腰巾着みたいに付いてくるだけかと思うとそうではない。 そこにはきちんと意思があり、意地がある。 「、、、俺、どんだけお前らのこと傷付けた?」 ポツリと智幸がこぼした一言に、光瑠は一瞬言葉を失った。 《んー、、》 そうしてしばらく考えていた。 自分を含めた男友達。 智幸と2人で遊んでは捨ててきた女の子達。 由依。 そして原田。 《まあ、結構みんな、しんどいときあったと思う》 出会ってまだ数ヶ月だ。 でも人生のどの場面よりも、何より濃くてめちゃくちゃな数ヶ月だった。 それを巻き起こしてきた張本人は、確かに智幸だ。 「、、、そっか」 彼は全てを思い出せはしない。 1番最近の、光瑠を殴った記憶。 それから、原田に対しての暴力。 先程、原田からの連絡を見て胸が苦しくなったのは、多分自分がやっと何をして来たのかが身に沁みて分かるようになったからだろうと思った。 大切な人に突き放されるのは何より痛い。 晴也がそれを、自分と智幸の関係を使って智幸に分からせたからこそ、やっと考えられるようになった。 《でもさあトモ》 「ん?」 《俺達は数ヶ月だけど、ウシくんはもっとだろ》 「、、、」 脳裏に蘇ったのは、昨夜の泣きじゃくる晴也の姿だった。 《ウシくん大人だし、お前のそう言うの慣れてるかもしれないけど、もう彼女とったり嫌がらせすんのやめろよ》 「嫌がらせ、、」 そうか、晴也からすれば自分の行動はそう言った類のものに入るのか。 《2人がどんくらい仲良いかとか知らねえし、ウシくんは大丈夫だ大丈夫だって言うけど、やっぱ良くないと思う。傷付いてんじゃねえかなあ》 晴也が傷付いている。 それは分かっているが、彼女を取っても他の女を抱いても晴也は何も気にせずいつも通りへらへらしていた筈だ。 《お前、ウシくんにはちゃんと優しくできるんだから、なんて言うか、、もっとちゃんとした意味で優しくしろよ。優しくと言うか、あれだ。大事にしろ》 「、、、」 《お前といてくれる人なんか、俺達みたいなクズはいくらでもいるかもしんねーけど、ウシくんみたいなちゃんとした人はウシくん以外いねーよ、絶対。だからお前、ウシくんに対しては1番ちゃんとしろ。な?ウシくんいなくなったら嫌だろ?》 「嫌だ」 すぐさま返事が返ってくる。 だが少し違う気がした。 彼女を取るとかそう言う次元の話だろうか。 晴也が自分に求めているのは、晴也に彼女ができたら取らないとか、そんなものなのだろうか。 (聞かないと分からない) 枕をトン、トン、と優しく寝かせるように叩きながら、智幸はまた天井を見つめた。

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