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第44話「ユキの不安」
「よく食べたな。腹減ってた?」
「、、美味かった」
「いつも不味いって言うくせに」
「、、ごめん。傷付けてた?」
あまりの野菜とソーセージを適当に切ってフライパンへ。市販の麺とソースの粉がセットになっている焼きそば同じようにフライパンへ。
出来上がったそれを、2人で4人前食べ終えた。
「今更そんくらいで傷付かないよ」
視線が絡むと、晴也はニッと笑った。
晴也がパパッと作って智幸が皿を洗い、落ち着いたところで2人でテレビの前のソファに座る。
晴也の家族が戻ってくるまであと2日。
いつもと違い静けさが詰まった部屋の中で、テレビの電源を入れたのは晴也の方だった。
「ハル」
「んー?、、やっぱあんま面白いのやってないな。微妙な時間の番組はつまらん」
「抱っこして」
「ん」
やたら甘えるな、とも思ったが、そう言えば違う高校に行くと告げたときもこんな時期があったように思い出した。
2人きりになるとすぐに膝枕やら抱っこやらで、このソファか智幸の家のL字のソファで擦り寄られた回数は数え切れない程にある。
「おいで」
テレビの画面を見ながらトントン、と膝を叩くと、180センチ超えの巨体がずりずりとこちらに近づいてきて向かい合わせに晴也の膝に跨り、長い脚を晴也の背中とソファの背もたれの間にねじ込み、首筋に顔を埋め、腕を腰に巻き付けて落ち着いた。
重さに耐え切れない事は分かりきっているので、晴也は智幸の尻の幅分に脚を開き、お互いソファに体重を掛けられるようにする。
(見えづら)
自分よりも縦にも横にも大きい智幸を正面から抱っこすると言うのは少し無理がある。
テレビ画面が彼の肩越しに上半分程も見えなくなった。
「ハルの匂い」
「する?」
「んん」
(まあ、俺だからなあ)
鼻先をすりすりと首筋に沿わせて楽しんでいる智幸の背中を撫でる。
こうしている方が1人でいるよりも心地良いのは晴也にしろ智幸にしろ同じだった。
そばにある事が当然の体温。
慣れ切ったそれが1番自分を満たしてくれる。
「ユキ」
「ん?」
「今日はゆっくりしようか。明日、俺が部活行ってる間に家片せば良いし」
「うん」
「どうしたい?」
「ん?」
背もたれと智幸の脚に寄り掛かりながら、晴也は彼を見上げた。
乾かし終えた髪は整髪料などが付いておらず、少しボサっとしていて前髪で目元がチラチラと隠れる。
(切らせようかな)
智幸の前髪に手を伸ばし、晴也はぼんやりと考えた。
「明日。友達と遊ぶならそれはそれでいいんじゃない。俺も部活あるし、」
「ハル、今日、俺がいるかもしれないから、早く帰ってきたんじゃないの」
「ん?そうだよ」
何だかんだ言って晴也は随分智幸を甘やかしている。
どうせ帰らず自分の部屋にいるのだろうと分かり切って、御手洗達からの昼食の誘いを断って真っ直ぐ家に帰ってきたのだ。
「ハルが帰って来てくれるならハルといたい」
「ん、、そっか」
晴也もまた、智幸が自分がいれば自分といたいと言うのも分かりきっていた。
それでも彼の意志を聞き、選ばせている。
そうしないと何でも自分の言う通りになってしまう事を晴也は知っていた。
智幸は晴也に甘え過ぎていた部分と彼自身が持つ無気力のせいで、「選ぶ」と言うのが苦手だ。
何でも晴也を取れば良いと思ってそうしている面もあるが、自分についての選択は彼に甘えていたいと言う最も簡単で甘え切った考えしか持っておらず、それ故に一緒に行くと思っていた高校に何も考えずに入り、晴也が違う高校に行く事になったときは多少なり荒れた。
「ちゃんと行けよ」。
といつものように呆れた晴也のひと言によって「高校に行く」と言う意思は出来上がったのだが、勉強しろとか真面目にやれと言われなかった為、荒んだ生活を送っていた。
「ハル、、」
首筋にグリグリと埋まってくる智幸の顔。
少しくすぐったいものの、晴也はそれを気にせず半ばまで隠れているテレビの画面を見ている。
「、、ハル」
「ん?」
甘えているわけではないきちんとした呼び掛けの声に、晴也は彼の背中を撫でていた手を止めた。
「ひ、、1人、に、しないで」
「、、俺が言ったことの意味、ちゃんと考えた?」
首筋に冷たい感覚がある。
何を考えたのかは分からなかったが、また智幸が泣いているのだけは分かった。
「ハルがいてくれなきゃ、、ハルがいないなら、俺、どうしたらいいの」
そんなもの自分で決めて欲しかった。
智幸は晴也といたいと言うくせに、向き合うつもりはないのだ。
持って生まれたヘタレさが、彼を真っ直ぐ見つめて求める事を邪魔している。
「自分で考えて」
晴也は彼の身体から手を離した。
「ハルに、そう言われると痛い、、拒否されると苦しい、1人ぼっちになる」
「そうだね。ユキは今、1人なんだよ」
「ハルといたい。ちゃんと、、ここに来て」
智幸は求めるばかりなのだ。
覚悟も決めずに逃げ回り、自分から晴也のそばを離れている事に気が付かない。
なのにどこまで逃げても追い付いて、と晴也にワガママばかり押し付けている。
「さっき言ったこと覚えてる?」
「、、、」
「智幸がされて嫌なこと、俺もされると嫌なんだよ」
晴也の考えはまだ読めないが、風呂場で言われたことは頭にあった。
自分が他の誰かと晴也のセックスを嫌がるように、晴也も自分と他の誰かのセックスが嫌なのだ。
自分が1人にされたくないように、晴也もまた、1人にされたくないのだ。
「俺が他の誰かとセックスするのが嫌なら、ハルは俺が誰かと付き合ったときどう思ってた、、?」
「考えて。逆は?」
「俺は、、嫌だったよ。だから加那も、友梨も、ハルから取った」
悪びれもせずにそう言った。
首筋から顔を上げ、泣きながら智幸は晴也を見つめる。
晴也は智幸の手に触れた。
その手はすぐに彼の手に握り込まれ、震えているのを感じながら何も言わずにそこに収めることにする。
「ユキに彼女ができたら仕返しに俺も彼女作ってたよ。ユキが他の子とセックスしたって聞いたから、俺も他の子とセックスした」
「セックスしたことあるの、、?」
手に痛みが走る。
「あるよ」
「ッ、、」
「ユキ、今どんな気持ち?」
「、、苦しい、嫌だ、ハルは、俺のなのに、、俺のなのに、なんで他の奴とすんの、、嫌だ、嫌だ嫌だ、嫌だ、もうしないで、俺のなんだから、もう、」
手は確かに痛いが、けれど智幸が懸命に握り潰しそうになる力を抑えている事は分かった。
大きくてゴツゴツした手はブルブルと震えながら、身長の割に大きさのある晴也の手に爪を立てないように、指の腹を押し付けて耐えている。
痛いだろうと思った。
自分が他の人間と肌で触れ合っていると知って、きっと苦しくて悲しいだろうと。
「俺はずっとそれに耐えてきたよ」
「ッ、、ぁ、」
そうだ、と智幸は目を見開いた。
自分が今感じている胸糞悪さややるせなさ、気持ちの悪いもの全てを、晴也は黙ってずっと堪えて来た筈だ。
それだけ女を抱いた記憶も、違う人間と付き合ってきた記憶も自分の中に存在している。
「もう分かんないんだけどね。ユキはずっと他の子ばっかり触るし、えっちなことするし、キスするし、、俺じゃなくて俺の彼女とセックスするから、それがずっとだったから、もう、ユキが誰と何してても何も感じない」
「え、、」
「嫌だよ。嫌だけど何も感じない。ああ、またか。そんなもんで終わる」
ニコ、と優しく笑う晴也を見て、智幸は絶句した。
何も言葉が出て来ず、ただ目の前にいる傷付き切って疲れ果てた大切な存在を、震えながら涙を流して見つめるしかなかった。
(ずっと、、、ずっと、何も、)
「は、、ハルが、教えてくれないから、」
「うん」
「何にも言ってくれなかったから、!」
「うん」
ダメだ。
言葉は晴也に届いている筈なのに、滑って、滑って、彼の心に届かずに全て眼前で朽ちてしまっている。
晴也の貼り付けたような笑みも、やたらと大人びた態度も、全部智幸自身が作り上げてしまった晴也なりの自分を守る為の鉄の壁だったのだと今更やっと気が付いた。
「だって、言ってどうなるの」
自分がしてきた事が原因で、晴也はずっと傷ついていたのだ。
そしてもう随分前から、その失望は続いていた。
「やめてって言ったらやめてくれた?」
「っ、、」
「やめないだろ。俺に触るの、怖いくせに」
こんなに触れ合っているのに、晴也は一体、自分が晴也のどこに触れるのを怖がっていると言うのだろう。
「怖く、ないよ」
「嘘つくのやめろ」
「怖くない!!」
手が震えている。
「じゃあ何で言ってくれないの」
もう分かってしまった。
晴也が自分に何を求めているのかが。
けれど智幸はずっとそれから逃げようとしている。
何とか晴也を丸め込んで、どうにかしようとしている。
「ハル、こんなに触れるよ、俺本当に、何も怖くないから、」
「じゃあ言って」
「違う、怖くないから、だから、大丈夫だから」
グッと下唇を噛んだ。
「怖くないから、、だからもう、他の奴としないで、、俺のものでしょ、もうやめて、一緒にいて、苦しくしないで」
結局ここに戻って来てしまうのだ。
やはり弱い。
晴也はため息をついた。
「俺と向き合わないくせにそう言う事だけ言うんだね」
「、、、」
「言ったよね。俺はもう1人になりたくない。ユキがそうやって俺を拒むなら、もういらないって」
「だ、って、、、」
もう目が腫れている。
吊り上がった鋭い目から落ちる大量の涙を拭ってくれる人もいない。
「だって、だって、、」
何がそんなに怖いのだろう。
晴也はそれが知りたい。
「こ、こわ、い、、怖い、よお、怖いよお」
ズウッと鼻水を吸う音。
いつの間にかテレビは消されていた。
窓から差し込む明かりはまだ明るいけれど、少しだけ寂しそうな色だ。
午後16時半。
まだ腹は空かない。
「ハルにフラれたら、俺、どうしたらいいか分かんないんだよお、、!!」
今までで1番情けない顔で泣いた。
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