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10−1:チョコレート・カプリチオ 1
こんなマンガみたいな光景、初めて見た。
なんていったって、下駄箱がラッピングされたチョコで溢れかえっているのだ。
もちろん俺の下駄箱ではなく、その隣である。上履きは邪魔だったのだろう、下駄箱の一番上にちょこんと置かれていた。
「……なぁ。毎年思うけど、これ、イジメじゃね?」
当の本人である御子柴が辟易した顔で言う。
俺はというと、怒りとか嫉妬とかそういった負の感情は微塵も芽生えなかった。まるでパズルのように器用に詰め込まれたチョコの群れを見て、思わず一歩後じさる。
なんというか怨念めいたものがすごい。バレンタインのチョコだろうとなんだろうと、人間、多すぎる物を見ると一旦ドン引きしてしまうことを知った。
隣で見てるだけの俺でさえこうなのだ。当人となればその恐怖はいかほどか。さしもの御子柴も大きな溜息をついている。
その動きに当てられてか、危ない均衡を保っていたチョコの一つがことんと床に落ちた。
「おー、おー、おー、やってんなぁ、今年も」
やけにオラついた声が聞こえてきたかと思うと、高牧が自分の上履きを取り出しているところだった。その中は空っぽ。まぁ、俺も同じだけど。
「それが下々の者には手が出ない、チョコレイトという菓子ですか。さすがお貴族様は口にするものが違いますなぁ」
絡み方が普段の三倍ウザいし、世界観が若干おかしい。御子柴は堰を切ったように次々と落ちてくるチョコを拾い集めながら、うんざりと高牧に言い返した。
「コンビニ行ってこいよ。二十円で売ってんぞ」
「俺が欲しいのはそんなどこででも買えるやつじゃねーんだよ、女子のかほりとか恋心とかあれやこれやが詰まったチョコなのッ!」
高牧は上履きに足を突っ込むと、俺の首に腕を回した。怒りがこもっていて力が強く、思わずぐえっと呻く。
「ちょ、苦し……」
「分かる、分かるぜ、その苦しい気持ち。行こうぜ、水無瀬。こんな奴は捨て置いて、いざゆかん、我らの輝かしい未来へ!」
「お前はどこ行くつもりなんだよっ」
「急くな、まだ機会はある。教室のロッカーとか、机の引き出しとか、声かけられたりとか。そう、お家に帰って寝るまでがバレンタインです!」
「いいから離せ!」
為す術なくずるずると引きずられていく。俺は息苦しさに目を眇めながら、離れていく御子柴を見やった。
御子柴はさっきにも増して苦虫を噛みつぶしたような顔をこちらに向けていたが、やがて諦めたようにチョコを鞄に詰め込み始めた。
俺は自席に着いて、半ば呆れたように嘆息した。
目の前の席には——机の上や中、果ては椅子の上にまで、大小形も色も様々な箱が山となって積まれている。
誰も彼もがどこか浮き足だっている中、チョコの山が今にも崩れそうなこと以外、俺の心を掻き乱すものはなかった。今日一日、こんなフィクションみたいな光景をずっと見続けなければならないのだろうかと思うと、自然と冷静にもなろうというものだ。
俺と高牧が教室に着いてから数十分経っても、御子柴は一向にやってこなかった。昇降口から二階へ続く階段の短い間、手渡しを狙う女子に捕まっているのかもしれない。
早く来いよ、と思う。だって教室の廊下にも十人は下らないファン達が待ち構えているのだから。
「嘘みたいだろ。これ、現実なんだぜ……」
やたらニヒルな口調で高牧が呟く。
俺は席を立ち上がり、乱雑に置かれたチョコの山を整えてやった。勝手に触るのもどうかと思ったが、ぐらぐらしている天辺の箱を見るとこっちまで不安定になる。
「……この中で、何人ぐらい本気なんだろうな」
ふと呟いた言葉を、高牧の耳に拾われた。
「さぁ。アイドル扱いとか記念受験とかも多いんじゃねー? どっちにしろ御子柴にはすみやかに禿げて欲しい」
「不用意なこと言うなよ。多分、お前が先にやられるぞ」
言うが早いか、廊下にさざめくような声が上がった。下駄箱に入っていた倍の量のチョコを抱えた御子柴が、入り待ちの女子達に囲まれているところだった。
あのチョコの数だけバックがついているのだ。御子柴に牙を剥いたところで敵うはずがない。高牧は明後日の方を向いて、話題の矛先を変えた。
「今年の一番は誰かねえ。我らが御子柴か、三組の溝久保か、五組の長谷あたりも結構いいセン行くと思うぜ。水無瀬、なんか賭ける?」
虚しくないのか、お前は……。そう返そうとしたが、高牧の笑顔があまりにも寂しそうなので、俺は言葉を呑み込んだ。
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