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10−2:チョコレート・カプリチオ 2

 ホームルームが終わるなり、御子柴はこちらに振り向き、俺の机の上に頬杖をついた。いつも涼しい顔をしているこいつにしては珍しく、眉間に皺が寄っている。 「さすがに疲れたか?」 「ちょっとな」  ちょっとで済むところがすごい。あれだけの人数の女子に囲まれたら、俺なんかトラウマになるかもしれない。  とはいえ、バレンタイン攻勢は一段落していた。  まぁ、すぐに再燃するのは、目に……見えてるが…… 「な、何?」  俺は戸惑って目を瞬かせた。御子柴がさっきから無言で、俺をじっと見つめているのだ。  当然、俺はうろうろと視線を彷徨わせる。廊下側の窓から漏れる光が、黒目がちの瞳を彩り、まるで夜空を覗き込んでいるかのようだ。何かを見通すような、訴えるような真っ直ぐな目。その中に閉じ込められた自分の虚像を見つけ、さらに落ち着かなくなる。  すると御子柴が小声で囁いた。 「三秒でいいから、目合わせて」  な……なななな? 尚も上目遣いをやめない御子柴に、俺は押し負けて言われた通りにしてみる。一、二、——いや、無理!  ぎゅっと目を瞑って顔を逸らすと、御子柴は一拍遅れて深い溜息をついた。そして力のこもっていた眉間を緩めるようにほぐし始める。 「お前は……本当に、すぐそうやって」 「だって人とそんなに目合わせることなんてないだろ。一体、何なんだよ」 「いや、もしかしてどっかに——」  と、そこへ俺たちの間に人影が落ちた。 「おはよ、御子柴くん。たくさんもらってるだろうけど、どうぞ」  さらりと、にこやかに。御子柴に小さな箱を差し出したのは、クラスメートの天野游那だった。  艶やかな黒髪ロングが流れるように揺れる。  チョコも他の子の派手なラッピングとは違って、クリーム色の包装紙に包まれた簡素なものだった。  高牧曰く、天野さんは御子柴のことが——好きらしい。さりげない仕草の中にも一匙の緊張が感じ取れるような気がして、俺はなんとなく目を伏せた。  少し休んでいつもの余裕が出てきたのだろう。御子柴もまた爽やかな笑顔で天野さんのチョコを受け取った。 「ありがと。天野のチョコ、甘過ぎなくていいんだよな」 「え? ほ、ほんと? 嬉しいな……」  どうやら手作りのようだ。前髪を梳いたりして照れ隠しする天野さんは、とてもいじらしい。  美男美女が繰り広げる甘酸っぱい光景が、ちくりと胸の隅を刺す。精一杯気配を消していると、天野さんは不意に俺の方を振り向いた。 「はい、水無瀬くんにも」 「え?」  渡されたのは御子柴と同じものだった。台詞からして完全無欠なる義理チョコだけど、まさかおこぼれに預かれるとは思わず、俺は目を丸くする。 「いいの?」 「もちろん。私、お菓子作るの好きで、いつもクラス全員にあげてるんだ。水無瀬くんとクラス一緒になるの初めてだから、お口に合えばいいんだけど……」  ふんわりとした眉がちょっと下がって、大きな瞳が心配そうに俺を見ている。どくどくと心臓の音がうるさい。俺は天野さんを直視できず、しどろもどろになる。 「多分、大丈夫。いや、絶対。俺、妹のチョコも笑って食べれるし」 「あはは、笑って食べれるってどんなチョコなの?」 「まだ十歳だからさ……。その、昨日も台所が大変で」 「へえ、小学生? そんなに歳離れてるんだ、可愛いね〜」  天野さんはその後も俺と、二、三言交わすと、じゃあね、と手を振って友達の輪に戻っていった。ああ、悪いことをしたかもしれない、天野さんは御子柴と話したかっただろうに。  手の中の箱に視線を落とす。眩しすぎる光を浴びて目が潰れそうな、そんな錯覚に陥る。  途端、ぎゅむっとつま先を踏まれた。それほど痛くはなかったものの、驚いて向かいを見ると、御子柴がにこにこと俺を眺めていた。 「なんだよ」 「いやぁ、ちょっと釘を差しとこうかと」  ……あ、なんか勘違いしてるな、こいつ。  俺の呆れかえった表情をさらりと躱し、御子柴はおもむろにスマホをいじりはじめた。こっちの気も知らないでいい気なものだと口を尖らせていると、鞄の中からメッセージの受信を報せるバイブレーションが聞こえて来た。 『それ以上デレデレしたら浮気と見なす』  思わず顔を上げて、御子柴を睨む。一時間目の始業のチャイムが鳴り響いた。御子柴は俺の頭をぽんと軽く叩いてから、前に向き直った。

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