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10−3:チョコレート・カプリチオ 3

 昼休みになる頃には、御子柴のストレージがパンクした。  鞄は奇妙な凹凸の球体になり、机の中もロッカーもチョコで溢れかえった。見かねた天野さんが自分のチョコを入れて来た紙袋をくれたものの、到底入りきらない。  人の身に余る量のチョコを抱えて、傍目にも御子柴は途方に暮れていた。俺はなんとかロッカーの中に紙袋が入らないかと格闘している御子柴の隣で、悠々と教科書の整理をしていた。 「俺の方に少し入れる?」 「んー……」  押しても引いても、紙袋は入りそうになかった。なのに御子柴は難しい顔をして唸っている。ピアニストってこんなところでも負けず嫌いなんだろうか。諦めろ、と言う代わりに手を差し出すと、御子柴はひょいっと俺のロッカーを覗き込んだ。 「へえ、綺麗にしてんじゃん」 「あ、あんまりじろじろ見るな」 「天野以外のチョコはなし、か」 「悪いかよ。……で、入れんの、入れないの」 「いや、さすがにやめとく。高牧に入れてもらうわ」 「なんでそんな火に油を注ぐようなことを……」 「今朝の仕返し」  いたずらっぽい笑みを浮かべながら、御子柴は通りすがった高牧を呼び止めた。 「なぁ、高牧。チョコ入りきらねえから、お前のロッカー間借りさしてー」 「——地獄へ落ちろッ!!」  ぎゃんぎゃん噛みつく高牧と、笑顔で躱す御子柴を眺めながら、そりゃそうなるだろう、と俺は冷めた目で二人を眺めていた。  しばらくすると驚くべきことに話がついたらしく、高牧はぷりぷり怒りつつも御子柴から紙袋を受け取っていた。ようやく肩の荷が下りたとばかりに、御子柴は弾むような足取りで戻ってきた。 「お待たせ。昼食いにいこうぜ」  昼飯を持って御子柴と教室を出る。いつもは賑やかなだけの廊下にも、どことなく甘ったるい雰囲気が漂っていた。 「にしても、よく説得できたな」 「今度、牛丼おごるって言っといた」  ……安すぎるぞ、高牧。 「並盛りじゃないから。超特大盛りだから」 「いや、知らんけど……。てことは、一緒に食べに行くのか?」 「行かねーよ。うちにギフトカードあったはずだから、それやる」 「扱い、酷……」 「そんなことより、土日のどっちか、ラーメン食いにいかね? 元町商店街の近くに塩のうまいところあってさー」  華麗に話題をシフトしつつ、御子柴は屋上の扉を開いた。  今更だけど、屋上は本来出入り禁止だ。けど、ゆるゆるなうちの学校らしく、壊れた鍵をそのままにしている。  フェンス近くの指定席に向かおうとしたところで、貯水タンクの陰から誰かの話し声が聞こえた。気になってちらっと見やると、とんでもない光景が広がっていた。  知らない男子と女子が、抱き合ってキスをしていた。男子は受け取ったばかりであろうチョコレートのパッケージを胸に抱いていた。二人は完全に自分の世界に入っていて、俺たちの存在には気づいていない。そして御子柴も呑気に塩ラーメンの話をしていて、気づいていない。  俺は叫び出したいのをこらえて、御子柴の胴体に後ろからしがみついた。腕の中にある体が僅かに強張る。 「……!」 「み、御子柴、駄目……こっち、戻ろう」  俺は両腕でぐいぐいと御子柴を引っ張り、なんとか屋上から戻ることに成功した。  きょとんとしている御子柴から離れ、ドアを静かに閉める。慎重に聞き耳を立てるが、二人が騒いでいる様子はない。どうやら気づかれずに済んだようだ。 「何ごと?」 「いや。そ、その、人がいて。二人……キスしてた。こう、抱き合って、タンクの裏で」 「あらら」 「冷静かよ……」  まぁ、現場を目撃していないから無理もないが。俺はというと冷や汗と頬の火照りが酷かった。さすがはバレンタイン。あの裏寂れた屋上に人がいたことなんて、今まで一回もないのに。  御子柴は屋上への扉を呆れたように見やった。そしてのそのそとその場に座り込む。 「しゃーねーな。ここで食べる? ちょっと埃っぽいけど」 「いや、メンタル激強か。裏にいちゃついてるカップルいんだぞ」 「お互い様じゃん」  ……なんかとんでもないことを言われた気がしたが、俺は言い返す気力もなく、ぐったりと御子柴の隣にしゃがみこんだ。  薄暗い踊り場の底冷えする空気が、俺を熱を少し冷ましてくれた。  御子柴はコロッケパンをぱくぱくと食べ始めている。俺はというとなんとなく食う気になれず、カフェオレを啜った。早速、一つパンを食べ終えた御子柴がやにわに苦笑した。 「お前、顔赤すぎ。どんだけ熱烈だったわけ?」 「そんなには……なんだけど。た、他人のやつ、生で見ることってねーじゃん。だから……ちょっとあれで」 「自分はもっとあれなくせに?」  気がついた時には、紙パックを握りつぶしていた。げほごほと咽せる俺を横目に、御子柴はジャムパンにかぶりつこうとしていた。俺は思わずその腕を掴んで、御子柴の食事に水を差す。 「お前、いい加減にしろよ。いっつもいっつも、俺が食べてる時か飲んでる時狙ってんだろ!」 「はは、バレた」  さらに食ってかかろうとすると、御子柴は俺の唇に人差し指を宛がって、しー、と警告した。俺ははっとして、浮かしかけた腰をそろそろと下ろす。 「別に、お、俺だって、あれ以上は……。っていうか、俺があれならお前もあれだからな」 「——水無瀬クン、ところであれって何?」 「うるさいばか」  強めに脇腹を小突いたが、御子柴はどこ吹く風と言わんばかりに、踊り場の壁にもたれかかった。 「さっきさー、水無瀬が抱きついてきたじゃん?」 「だ、抱きついてない」  あれは御子柴を止めようとしただけだ。ただ、こいつの耳は都合の悪いことを受け流すようにできているので、俺の否定など聞きもしない。 「正直、ちょっと期待したわー……」 「は? 何を?」 「で、結局は、あれがあれですか。そうですか。はぁー……」  全く意味不明なことをのたまいながら、御子柴はそのままずるずると壁伝いに落ちていき、ついには床に転がってしまった。こちらに背を向けて、どこかふてくされたように黙り込む。  不貞寝したいのはこっちの方だ。俺は甚だ遺憾だとばかりに、音を立ててカフェオレを吸い続けていた。

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