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10−4:チョコレート・カプリチオ 4
昇降口の外に広がる校庭に茜が差している。
紛うことなき夕方だが、御子柴の下駄箱には朝と同じ光景が広がっていた。
御子柴は何かの業者みたいに慣れた手つきで次々と紙袋にチョコをしまっていく。ちなみに二つ目の紙袋である。これほどではないが、同じくモテ男である設楽から分けてもらったものだ。曰く、バレンタインの日は最初から用意しておけとのこと。俺や高牧とは完全に住む世界が違う。
俺はスニーカーに足を突っ込みながら、御子柴に言った。
「そういえば、目乙木があとで数教えてくれだって。新聞部で集計してランキングにするんだと」
「断る」
ようやく御子柴のスニーカーが見えてきた。二人、連れ立って帰路に着く。女子達の好意の重みは相当のようで、御子柴の手の平には紙袋の紐が食い込んでいた。こうなると俺としてはピアニストの手のことがどうしても気になってしまう。
「片方持とうか」
「いいよ」
「でも……」
「いいって」
その頑なな口調に、俺は気が引けて黙り込んだ。さしものハイスペ男も相当疲れたらしい。そっとしておいた方がいいだろう。
黄昏時の住宅街は静かだった。時折、どこかの家から夕食の匂いが漂ってくる。あれは魚の煮付けだろうか、こっちはカレーだろうか。ああ、うちは何にしようかな——と思い巡らせている間に、御子柴と別れる道まで来てしまった。
未だどことなくむすっとしている御子柴を、労うべく声をかける。
「お疲れ様。ゆっくり休めよ」
「あー、うん」
「じゃあ、また明日な」
踵を返して、家路を急ぐ。
学童に美海を迎えに行って、それからスーパーに寄らなくてはならない。
今日一日、嘘みたいな光景を見ていたからか、特に何事もなかった俺もなんとなく疲れていた。
ご飯は炊いてあるし、味噌汁も昨日の残りがある。簡単に豚の生姜焼きにでもするか——
「うわっ」
唐突に、手首が強く引っ張られた。ぎょっとして振り返ると、別れたはずの御子柴が追いかけてきていた。
「な、何?」
御子柴はしばらく俯いていた。やっぱり荷物を持って家まで送った方がいいんだろうか? などと考えていると、思わぬ言葉が飛んできた。
「——チョコは」
「はい?」
「お前からは」
じとっと睨んでくる視線に、俺は呆気に取られた。チョ……え、チョコ? 俺? なんで?
——あ、そうか。
俺って一応、こいつと……そうか……
「……ごめん、ない」
「だと思ったわぁぁぁ」
途端に、御子柴は全身を脱力させる。
「知ってたわ。分かってたのに、くそ、最後まで期待したぁ……!」
「お前、もしかして昼休み言ってたのって」
「あーもー!」
御子柴は俺の言葉をかき消すように叫び、わしゃわしゃと髪を掻きむしっている。俺はむっとして口を尖らせた。
「つーかさ、この場合、どっちがやるわけ。お前だって持ってきてないくせに」
「あるよ、チョコじゃないけど」
「え?」
思わぬ返事に動きが止まる。御子柴は鞄から濃紺の不織布の包みを取り出した。銀色のリボンで口が縛られ、右下の隅に百貨店のロゴが入っている。
「ん」
胸元に押しつけられるように差し出されたそれを、反射的に受け取る。中身は柔らかくふわふわしていた。
なんと言っていいか分からず、お窺いを立てるように御子柴を見上げる。
「あ、開けてもいい?」
「……うん」
緊張しながら包みを開くと、中に入っていたのはマフラーだった。ダークブラウンを基調とした大きいチェック柄が入っている。なんか分からないけどすごいおしゃれだ。そしてびっくりするほど手触りがいい。今更だけど、これかなり高価なものなんじゃ……
「あ、あの、俺、ごめん、こんな、ええと——」
「貸して」
さっと奪い取ったマフラーを御子柴は俺の首にかけた。輪っかにしたところへ、もう一方の端を突っ込む、シンプルな巻き方だ。
寒風にさらされていた首元がふわりとしたぬくもりに包まれる。御子柴は結び目をぽんと叩いて、相好を崩した。
「似合ってんじゃん」
俺はとっさにマフラーの中へ口元を埋めた。御子柴は満足そうに続ける。
「前から、首元寒そうだなって思ってたんだよな。よしよし」
「御子柴、その」
「あ、タグは外してもらってるから、大丈夫」
「いや、そうじゃなくて」
さっきまでの自分が極悪人のように感じ、たまらず頭を下げる。
「ほんとにごめん。俺、マジで何も用意してなくて」
「いいじゃん、そのためにホワイトデーっつーもんがあんだし」
「あ、そうか。頑張る」
「頑張るんだ」
「うん。や、こんなにいいもん買えるかな……。なんとか貯める」
御子柴は途端に噴き出すと、俺の髪を手の平でかき混ぜた。
「嘘だよ、あんま気にすんなって。俺の自己満だから」
……これを笑顔でさらっと言うんだから、憎らしいことこの上ない。俺はやや乱れた髪を整えつつ、マフラーの中でそっと溜息をついた。
「じゃ、明日な」
軽く手を挙げ、御子柴は踵を返した。俺はマフラーの手触りを確かめながら、なんとはなしにしばらくその背中を見送っていた。
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