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11’:4分33秒
いい気なもんだ、と胸中で悪態をつく。さっきまでしょうもないことを言っていたかと思いきや、急にスイッチが切れたように眠りやがって。
俺は人知れず深々と溜息を吐いて、ベッドに頬をつけた。
水無瀬の無防備な寝顔が嫌でも目に入る。元々童顔だが、こうしてみると一層あどけない。水無瀬の額に当てた手の平から、未だ高い体温を感じる。もう片方の握り合った手はしっとりと汗ばんでいた。
離れがたく思っていると、廊下の方から足音が聞こえてきた。弾かれたように顔を上げ、居住まいを正す。
こんこん、と控えめなノックが聞こえた。俺は立ち上がり、先んじてドアを開ける。
「あれ、御子柴くん?」
扉の向こうにいた水無瀬のお母さんに、ちらっと室内へ目配せする。
「あー、水無瀬、寝ました」
「あらら……ごめんね。せっかく来てくれたのに」
「いえ、長居しちゃ悪いし、帰ろうとしてたところです」
俺は静かに照明のスイッチを消すと、お母さんと連れ立って、こそこそと水無瀬の部屋を出た。
廊下の向こうに玄関が見える。その手前からひょこっと可愛らしい女の子が顔を覗かせていた。
「こんにちは」
「あ、こら、美海」
お母さんの手をすり抜けて、美海と呼ばれた子は俺の前にとことことやってきた。きっと例の年の離れた妹さんだろう。
「ハルくんのお友達?」
「そ。御子柴っての。よろしくね」
「水無瀬美海でーす。ねえ、御子柴くんってめっちゃイケメンだね。モテるでしょ?」
「美ー海っ」
「あはは、ありがと」
「否定しなーい、本物だぁ。あ、でも、美海のタイプじゃないけどね」
「え」
「美海、もうちょっと塩顔が好きなの。ごめんね」
「……嘘やん」
玄関でスニーカーに足を突っ込んでいると、いつの間にかリビングに取って返していたお母さんが、俺に紙袋を渡してきた。
「これ、もらいもののお菓子だけど。良かったらご家族で食べて」
「あ、いや、悪いっす」
「気にしないで、ほんのお礼だから。ね?」
これ以上遠慮するのも気が引けて、紙袋を受け取る。お母さんは屈託のない笑顔を浮かべていた。やっぱり、親子だ。どことなく水無瀬の面影がある——
「——御子柴くん、これからも晴希と仲良くしてやってね」
スニーカーを履く動きが危うく止まりそうになった。
俺は履き損じた振りをして、踵を浮かせる。
もう一度、踵を突っ込み、それからゆっくりと顔を上げた。
「もちろんです」
我ながら、うまく笑えていたと思う。
水無瀬の家を後にして、マンションのエレベーターを待っている間、俺は伏し目がちに足元を睨んでいた。
マンションを出ると、辺りは薄暗くなりかけていた。
住宅街の上にかかる薄い茜色を押し出すように、空の天辺から夜の帳が迫ってきている。黄昏時の曖昧模糊な景色の中を、俺は鞄と紙袋をぶらさげて、のろのろと歩き始めた。
——時折、自分が酷い間違いを犯しているのではないかと、考えることがある。
真っ白い服に墨汁をぶちまけてしまったかのような、山中をひたすらぐるぐると彷徨っているかのような、あるいは——どうしようもなく他人を裏切ってしまったかのような。
そんな取り返しのつかない失敗を、見て見ぬ振りをしたまま、ずっと歩き続けている気がする。
今更、引き返すこともできずに——
俺は沈みゆく夕陽を眺めた。脳裏によぎるのは規則正しく並ぶ、白と黒の鍵盤だった。
帰ったらピアノを弾こう。いつものルーティンではない。指が痛くなっても、腕が上がらなくなっても、夜が更けても、ぶっ倒れるまで。
何も、考えられなくなるまで。
俺は歩幅を広げて、家路を急いだ。また何かを置き去りにしたような気がしたが、首を振って払い除けた。
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