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13−1:ずっと好きだったから 1
冬の朝は清浄な空気に包まれていた。
東の空から昇る朝日が眩しい。同じ学校の生徒に交じって登校しながら、俺はふわぁと欠伸をした。
御子柴が倒れた一件から五日経っていた。御子柴はすっかり体調が戻り、いつも通り過ごしている。今、思えば俺が御子柴の違和感に不安を感じていたのだろう。息苦しさもいつの間にか消えていた。
とはいえ、あの日は本当に色々あって、それが今でも俺の頭にこびりついて離れない。俺の体に散らばった鬱血の跡は、まだうっすら残っているものもある。それを鏡で確認する度に、俺は頭を抱えていた。
——これから、俺達はどうなるんだろう。
そんな期待と不安が、ずっと胸の内で入り交じっている。
昇降口についた俺は妙な意識を退けるべく、ぶんぶんと首を振った。
そこへ、どんと肩口に軽い衝撃が走った。
「きゃっ……」
驚いて顔を上げると、小さな悲鳴が聞こえた。ぶつかった相手がよろけているのを見て、とっさにその腕を掴む。なんとか踏みとどまってこちらを見上げているのは、見知った顔だった。
「天野さん……?」
「あっ、み、水無瀬くん……!」
よほど慌てていたのだろうか、顔を真っ赤にしている。天野游那。同じクラスの女子だ。すらっとしたスタイルに、艶めくロングの黒髪。白くきめ細やかな肌に、常に濡れているような大きな黒い瞳。清純派若手女優と紹介されても信じてしまうような、紛うことなき美少女だ。
「お、おはよ。ごめんね、私、ぼーっとしてて」
「いや、俺の方こそごめん。前、ちゃんと見てなかった。大丈夫?」
「うん、全然平気」
照れたようにはにかんでいた天野さんは、俺の周りをきょろきょろと見回した。
「あれ、今日……御子柴くんは?」
「え? あぁ、たまに途中で会うってだけで、一緒に来てるわけじゃないけど……」
「あっ、そ、そうなんだ」
俺は密かに視線を落とした。
天野さんが御子柴に想いを寄せているのは周知の事実だ。何か用事があったのかもしれない。
下駄箱を確認するとまだ御子柴は登校していなかった。
「もうすぐ来るんじゃないかな。俺、先行くね」
「あ、ちょっと待って、水無瀬くん」
上履きに履き替えていると、思いがけず呼び止められる。天野さんは目元を染めたまま、困ったように眉を寄せていた。
「あの、よかったら教室まで一緒に行こ」
「え。でも、御子柴は……いいの?」
「別に用があるとかじゃないの。聞いただけだから」
断る理由はなく、連れ立って階段を昇る。段を上る度に揺れる長い髪からは、花のようないい香りがした。
「水無瀬くんとこうやって喋る機会、あまりなかったね」
「あぁ、うん。そうかも」
俺も男子だ、隣にこんな可愛い子がいると、緊張してしまう。そんなことは露知らず、天野さんは淡い笑みを浮かべた。
「もう二年生も終わりだから、ちょっと残念。うちのクラス、みんな良い人ばかりだもん」
「確かに平和だよな」
「三年生も同じメンバーだったらいいのになぁ。水無瀬くんは……御子柴くんと離れたら寂しくない?」
階段を昇り終えた瞬間そう聞かれて、思わず蹈鞴を踏みそうになった。
「な、なんで御子柴?」
「えっと……だって、ほら、すごく仲良しでしょ?」
「そう、かな。まぁ、そうかもだけど。あ、でも、天野さんこそ、御子柴と離れたら寂しいんじゃ……?」
失言は必ず口に出してから気づくものだ。天野さんは真っ赤になって俯いてしまった。
「わ、私は……一年の時も一緒だったから。連続で同じクラスなんて、運が良かったかな、なんて……。あ、ううん、そうじゃなくてその」
あたふたと手を振る仕草が可愛らしくて、思わず苦笑する。天野さんは怒ったように唇を尖らせた。
「笑わないでよ、もう」
「あ、ごめん」
馴れ馴れしかったかと思い眉を下げると、天野さんは一転、花咲くように微笑んだ。
「あのね、もし良かったらID教えてくれない?」
「えっ」
「その……水無瀬くんのこともっとよく知りたいなって。駄目かな?」
まったく他意のない様子で天野さんがそう言うのに、俺は面食らった。宝石のように輝く瞳が上目遣いで見つめてくる。これは……あれだ。天然人たらしの類だ。
「も、もちろん」
逆らえるわけもなく、スマホを取り出す。連絡先を交換し終えると、天野さんは弾むような足取りで教室へと入った。
「ありがとう。今日も一日頑張ろうね」
小さな踵が翻り、黒髪がなびく。先に着いていた友人の中に入っていく天野さんを、俺は呆然と見つめていた。
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